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【ゆとり教育は横並び教育、画一教育より厳しい】
《「ゆとり教育で授業がゆるくなったと聞きますけれど、実際はどうなのでしょうか」と質問されたので、次のように答えたのである。
「いや、学ぶ内容は少なくなるけれど、そこから先は、自分の責任で選択幅を広げていくのだから、『ゆるい』とは言えない。たとえば、お仕着せで英語をやっていたら英語が嫌いだと言えるだろうけれども、自分が英語を選択しておきながら嫌いだといったら、おかしいじゃないか。もっと言えば、偏差値によって自動的に高校が決まっていた時代と違って、自分で選んだ高校で努力しないのは、おかしいということになる」
そう答えると、
「ゆとり教育って厳しい教育じゃないですか。最低限のことを学んだら、そこからは学ぶ内容を自分で選択して、それについて自分で責任を持たなくてはいけないですね」
と、彼は真剣な顔つきになった。
たしかにそうだ。選択し、責任を持つという点を見れば、ゆとり教育は、横並び教育、画一教育より厳しいかもしれない》
●そう、「ゆとり教育」って、実は厳しい教育だと私も感じていました。らくだも、一日一枚のプリントをやればいいわけですが、それが実はとても厳しいことは、やった人ならわかります。
ただ私が思うのは、学校の先生たちに、本当の意味で「ゆとり」を持って子どもたちに接することができるようなシステムにしてほしい、ということです。
【東大へ行けば選択肢が広がるというウソ】
《現在の成熟社会において求められているのは、選択幅の大きさであり、そこで選択していく力だ。
「格差社会が教育をゆがめる。だから、画一教育に戻せ」という学者の意見があるが、それは最悪だ。成熟社会では自由度が高くなるのが普通だ。画一教育では、この自由度がまったくないのだから最悪である。
そうした教育学者は、東大に行くことが最高の人生であるという前提で、教育制度を変えろと言っている。格差社会なのだから、塾や予備校に通う金のない貧しい子供たちでも、東大に行けるよう授業時間数を増やし、すべての子供が東大に進学できるようにしろと言う。
必要なのはそんなバカな話ではない。貧しい子供だろうと、自分で目標を定め、何かやりたいというときに、チャレンジする資金を貸与する制度を作ればいい。目標が東大ならば、それを実現する資金を貸与すればいいのである。学校教育全体を東大受験用に変える必要はない》
●実にいいことを言ってると思うんですがー。「それを実現する資金を貸与する」制度ができないものだろうかー。
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