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○玄田有史さんとの対話よりー 【宗教によって救われている部分】
《玄田:小田原に親子三代にわたって他人の子どもたち同士が共同生活する場所を営んでいるところがあるんです。ログハウスを自分たちで作らせたりとか、子どもの個性を尊重する。
その一方で有無もいわさずにやらせることも、とても大事にしている。たとえばとにかく朝6時30分に起きて、みんなでとにかく座禅をして五分間内省をする。
何十年もやってわかったというんだけど、そのバランスは八対二なんだそうです。個性は八尊重させて、二は有無を言わさずという感覚が必要。八対二と言い切る。
いまの若い人たちって、働く意味をすごく問うでしょう。生きる意味もすごく問う。でも意味だけじゃないんです。もっと意味すら超えたものなんです》
「親が嫌われることは大事」?
●「意味わかんな〜い」「意味ねぇじゃん」・・・今の子どもたちの口ぐせとも言える言葉です。
私も「意味のないことが大切」と、常々思います。「意味のない」と言うとわかりにくいかもしれませんが、「意味」よりも「やる」ことが先であり、「意味は後からついてくる」ということです。
私は自分の子どもたちに、「意味なんか聞いて来るな。とにかくやれ」と言うことが多いかもしれません。
そういった意味でも?、小さい頃、それこそ意味もわからないうちからの「しつけ(し続け)」「生活習慣」がとても大事に思えます。
そんな親であるということは、「友だち親子」にはなりえないということです。いや、まず間違いなく「嫌われる親」であることでしょう。
子どもを持つ前は、「子どもに理解のある親」でありたい、と思っていたような気がします。それはいいとして、そのことと「子どもに好かれる」とは別のことだと思うようになりました。
子どもに好かれていつも仲良く暮らしたい、それができれば楽だろうなーとは思います。でもやっぱり、それだけではダメなのです。子どもに対する愛情が本当にあるならば、厳しくあたることも必要で、そうすると「嫌われる」ことになるのは必然です。
親というのは因果な商売だなぁ、と思うことしばしばです。これが報われるのは?子どもたちが親になってからでしょう。ある方は、「子育てが成功したかどうかは、その子どもの子どもを見るまでわからない」とまで言っています。
「嫌われることは大事」だと今は思います。正確に言うと、「自分が伝えたいことを伝えていくためには、嫌われることを厭わないことが大事」。
「個性は八尊重させて、二は有無を言わさずという感覚」、今後の参考になりそうです。
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