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【枯れ木に水をあげる必要はあるか】
《田口:正直、とても怖かったです。いまは「愛されて育たないと、愛することができない」と思っている人がいっぱいいるんですね。だから子どもも愛して育てないといけないようです。そして、生命の尊さがわからない人間は、もうどうしようもない人間のクズのようです。だけど、その発想がもう、とても怖いです。そこに疑問をもっていないことが怖い。
田口:だけど、私がすごく反論したのは、死生を考えるということは、要するに一番悩んでいる人たちのところに下りていって、つまりわからない人たちのところに下りていって、いっしょに考えるということなんじゃないのと。だからもうわかってる人はいいんですよ。好きにしてよって。
だけど、こういう死生学というテーマで、それについて語ろう、考えようというコミュニティでやるべきことは、それがわからない、それが疑問だ、もしくは自分にはできないと悩んでいる人たちのところまで下りていかなかったら話にならないじゃないかということを書くんだけれども、私の書いてることの意味がわからないらしい。
そうか…と思った。福祉とか介護に携わっている人たちが、自分たちが思っている良識とか、真実だと思っていることに関して、もうなんの疑問も持ってない。それにのれない人を愛が足りないとか、生育環境が悪かったからという理由で、とっても優しい言葉を並べたてながら貶めていくわけですけれども、自分のやっていることがそういう人たちを常に傷つけているということにすら思いが至らないわけですよ》
●「自分のやっていることがそういう人たちを常に傷つけているということにすら思いが至らない」
…先にも述べましたが、純でありすぎることは気をつけなければいけない、ということでもあるでしょう。
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