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【人はなぜ宗教を必要とするか】
《田口:で、うちの父は近所に住んでる。たとえばうちの父親なんていうのは、それこそアル中で好き放題やってきて、お兄ちゃんは自殺しちゃうわ、とにかく私なんか父にはいい思い出は何もないわけですよ、子ども時代なんて、早く死んでほしいと思ってたもん、あの人に。
この人さえいなけりゃもっと家族みんな幸せなのにと思ってた父親を、自分のそばに呼んだだけでも奇跡だと思ってるのに、これでこの人が痴呆になったりしたときに、私ってこの人のよだれを拭いたりとか、おしめ取り替えたりとかってできるんだろうかというのは自分でわからないよね。あるときパスッと切れて、なにかとんでもないことをしちゃうときってあるのかなとかさ。自分で自信がないですよね、正直言って。
森:まあ、そう思いながら実際そうなったらけっこう優しくなっちゃうみたいな話はいっぱいあるけどね。
田口:それはそれでいいんだけれども、結局、人間の行動なんてその場になってみなきゃわからない。感情って推測不可能なんですよ。天気と同じ自然現象ですから。降雨確率30%って言ったって、雨は降るか降らないかでしょう。感情もキレないかですよね。私が30%の確率で父を看取る…なんていう確率論は私の人生にはまったく無意味なんだよな。それが人間ってものなんです。
まだうちの父なんてかわいいですよ。犯罪者でもなけりゃ、不道徳でもない。単に酒を飲むと見境なく家族を貶めるだけだから。攻撃は家族にしか向かわない。他人には親切でとてもよい人です。最近はすっかり年をとって、うちの草むしりなんかもやってくれるいいおじいちゃんになってきてるから、私も愛情を感じるようになってる。
でもね、そうじゃないような親とか、意固地なお姑さんをか、いろんな関係性のなかで長年悪意が育ってたりした場合に、果たして人って本当にその人の死を安らかな気持ちで看取ることが可能のなかなというのは、私にはちょっとわからないね。その不確実性を生きている人間に対して「愛が足りないから」という理由づけで批難することはできないと思う》
●私も、「こんな父親にだけはなりたくない」「早くこの人の元から立ち去って自力で歩んでいきたい」と思って生きてきたのに、結局その大嫌いな父親がボケてしまって自分が面倒を見ざるを得なくなったのだから、人生どうなるかわからない。
まあボケてしまったし、「大嫌い」だった時から年月を経ていたので、しょうがなく同居したわけですがー。
でもボケるって、その人の特長・本来の性格・癖などがおもいきり表に出て来るということなので、ボケているとわかっていても、「許せず」怒鳴ったりということの繰り返しでした。だから、肉親が介護することの限界があるのです。もっともっと第三者に委ねやすいシステムが必要です。
その後運良く特別養護老人ホームに入所することができなかったら、その後どうなっていただろうと思います。もっとも私の場合、自分自身のリフレッシュのために、デイサービスやショートステイはできる限り利用していました。
しかし、ショートステイに行って家に戻って来る度に、ボケは激しくなっていくのですから、ショートステイに預けることにも勇気がいるのです・・・。
とにかく介護をしている人には、常に精神的ケアが必要です。
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