さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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●農村交流音楽ツアー‥サックスプレイヤー・梅津和時さんとの出会い

 私がジンベを学び始めたのには、一つの思いがありました。それは、自分の周りに自分たちの音楽で楽しめる場を作りだしたい、という思いです。それは、約20年前、‘農村交流ツアー’でタイと韓国に行った時の体験が基になっています。

 当時千葉県の農業大学校で先生をしていた小松光一さんが、「これからは農業の時代だ!特にアジアの農業者同士がつながって学び合うことに意義がある」ということで、農業者同士で交流するツアーを組みました。

 私は当時「あじあくらぶ」というサークルを東京で主宰し、さまざまな場へ出かけ、また青年事業などに呼ばれることもありました。そのような中で出会ったのが、確か『おもしろ農民の時代』という本を書いた小松さんでした。私はその破天荒な人柄に惹かれていき、ついには農業者でもないのに‘農村交流ツアー’に参加することとなりました。

 それに参加することを決めた一つの大きな理由に、そのツアーには「楽士」が同行し、「地元の伝統音楽を演奏する人たちとセッションをしてもらい、私たちは村人たちといっしょに飲んで騒いで踊りまくる」という決まり?があったからです。

 小松さんは大のジャズファンで、ジャズ演奏家の方々と交流があります。このときは、サックスプレイヤーの梅津和時さんをお招きするということで、そのための費用はツアー参加費に一律1万円プラスすることになっていました。

 梅津和時さんは、当時から人気のあったRCサクセションで活躍するプレイヤーということで私は知っていましたが、もともとはジャズ畑でさまざまな人とのセッションでライブハウスを中心に活動している方でした。

 私は当時東京に住みながらさまざまな音楽を聴きに出歩いていました。特にワールドミュージックに傾倒していたので、梅津さんよりタイや韓国の地元の音楽の方を楽しみにしていましたが、実際に彼と地元の音楽家とのセッションを見て度肝を抜かれました。その場に溶け込んだものすごく楽しい演奏だったのですー。

●タイ東北部・イサーンの村にてージンベにつながる‘生活に根差した音楽’

 最初はタイの東北部、イサーンの村に滞在し、お世話になりました。タイでも一番貧しいと言われる地域でしたが、持続可能な農業に挑戦しているところでした。昼は農業、そして夜は、伝統音楽を奏でて楽しむライフスタイルは、とても惹かれるものがありました。

 音楽が奏でられ、目と目が合い、笑顔を交わし合うことは、言葉は伝わらなくても心が伝わり合う、最高のものでした。私が音楽をやりたいと思う原体験はここにあり、その後自分には何ができるだろうかといろいろとやっていくなかでジンベに出会い、これだ! と思ったのでした。既成のものではない自分たちの音楽、生活と隔たりのないその延長での音楽、今の日本人に失われてしまったものがここにあると感じました。

 この楽しみに輪をかけてくれたのが、梅津さんでした。私は行き帰りの飛行機の中で隣になったので、いろんな話をうかがい、梅津さんの人柄にも惹かれていきました。ステージでキヨシロー(RCサクセション)とともに派手な動きでサックスを吹き捲くるイメージとはまた別の、誰にでも気さくに声をかけてくれるとてもいい方でした。

 このツアーでもうひとつおもしろい決まり?は、空港の免税店で一人一本ウィスキーを買っていくことです。これは村へのお土産として持っていき、村人とともに飲むためのものです。「飲んで騒いでー」が、本当に好きな小松さんでした。今でもお元気でしょうか???

●韓国農村交流ツアー

 タイへ行った約1年後だったと思いますが、韓国でも同様のツアーで行き、今度は‘サムルノリ’と梅津さんが共演することになりました。‘サムルノリ’は、韓国伝統のタイコはカネでの基本は4人編成の打楽器隊です。当時からタイコが大好きだった私にとって、そのセッションは興奮ものとなりました。そして、サムルノリと梅津さんの壮大なセッションの中で踊りまくる日本人と韓国人。それもひなびた山あいの村でです。なんて先進的?なことをしていたのでしょうー。

 韓国の農村で‘ファームステイ’をしたのも、今思えばこれもまた画期的なことだったと思います。気のいいおじちゃんおばちゃんの家に泊まらせていただき、おいしい食事をいただきました。農村の朝の気持ちよかったことを思い出します。ここも、持続可能な農業に挑戦している場所だったと思います。

 夜の交流会では、村で作っているマッコルリ(日本でいうどぶろく)をいただいたのですが、そのおいしかったこと! 大きなポリバケツから柄杓ですくって注ぐのも豪快でしたが、韓国の方々の飲みっぷりの豪快さといったらかなうものではありませんでした。どんぶりで一気に飲んで、飲み終わったどんぶりを裏返しにして頭に乗っけていたような気がします…。

●それはジンベに出合う準備だったのか…

 タイや韓国でのこのような体験を経て、「自分の周りに生活に根差した音楽を!」という思いを秘めながら東京で暮らし、やがてジンベに出合いました。

 砂川正和さんと柳田知子さんのご夫婦が“WALK TALK”としてダンスワークショップの活動を東京で始めた頃に私は出会って衝撃を受け、その後ダンスに通うことになりました。当時はまだジンベを教えるということはしていませんし、もともとジンベというのは、ダンスを学ぶ人がワークショップの中で師匠の許しを得て学んでいくものでした。

 しかし、その後ジンベを学びたいという声が増えたことにより、砂川さんはジンベを伝えるということをすることになりました。伝えるからにはしっかりとやっていきたいということで、希望するメンバーと1対1で話をし、「なぜジンベを学びたいと思ったのか」、その動機を詳しく聞かれました。

 私は、タイや韓国での体験を話し、「自分の身の周りに生活に根差した音楽を作っていきたいんです。仲間たちとそれによって楽しめる、そんなツールを身につけたいんです」というようなことを述べたと思います。

 あれから約20年、地道に続けてきたジンベによって、私の願いはそこかしこで花開くこととなっています。人間、思いは叶うもの。そう、続けて来さえすればー。

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