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○大河原一義教頭に聞くー
子どもの不登校をきっかけにー
大河原さんの娘さんは、小学校時代の2年間不登校となりました。父親である大河原さんの落胆ぶりは相当なものでした。ご自分の勤める学校(当時鹿児島在住)に行かなくなったのですから、それも当然のことでしょう。そこから娘さんの居場所探しが始まりました。最初は家庭教師に来てみてもらいましたが、「そんなこともわからないのー?」と読み取れるちょっとした態度に娘さんはついていけず、やめました。次に宮崎にある自然学校に通うために母親と引っ越しをしました。自然体験教育の内容やスタッフの方々はよかったのですが、リーダーである方の押しつけ的な対応に娘さんは反感をもってやめました。
その後鹿児島に戻り、教育心理のカウンセラーの方にらくだの教室を紹介してもらいました。娘さんに合っているんじゃないかと思われたからだそうです。いろいろ試してもうまくいかずに意気消沈していく一方だった娘さんでしたが、らくだに出会って半年程の間にどんどん変わっていきました。小学校5年生の9月から3月位の間、一人で市電に乗って教室に通い、家でもいろいろな話を自分からするようになっていきました。
三育小学校には通わなくなった娘さんでしたが、兄が行っている広島の全寮制の三育中学校に行きたいと思っているのではないかと大河原さんは感じ、聞いてみました。するとやはり、行きたいという返事が返ってきました。あれほど学校に行きたくないと言っていた娘さんでしたが、大河原さんは彼女の変化を感じていました。どうしてそこに行きたいかを聞いてみると、「いろんな人と友だちになりたいから」という返事が返ってきました。娘さんは一人で家にいながらも、日々成長していたのだと、大河原さんが改めて実感した出来事でした。
らくだは、まわりを否定しない
大河原さんは、あんなに思い悩んでいた娘さんが、らくだに出会ってからの短期間でこんなに変化していった理由は何だったんだろうという思いを確かめたくて、指導者の方を訪れて話を聞きました。その中で今でも印象に残っている言葉が、「らくだは、まわりを否定しない」という言葉だそうです。大河原さんは、娘さんの様子を見たり指導者の方の話を聞く中で、「らくだは自分を育てていく何かがある」と感じ、娘さんが始めてから3ヶ月後くらいにご自分でもらくだプリントをやり始めました。そして、らくだのことを知れば知る程、自分のイメージしていた教育の理想に近いものであることに気づいていくことになりました。
自らの教育への疑問からー
大河原さんは、三育の教師を続けながらも、しだい次第にもんもんとした思いを抱くようになってきていました。それは、三育の教育は、公教育と違っているところに意義があり、そこに誇りを持つべきだと考えていたのが、だんだん公教育とあまり代りばえしない方向に進んできてしまっているのではないかと感じていたからです。また逆に、世の中の教育の流れの方が、もともと三育が持っているものの方向に進んできていると感じたからでもあります。
近年公教育では評価方法が「相対評価」から「絶対評価」になり、「総合的な学習」や「生活科」が始まりました。三育ではもともと絶対評価ですし、農作物を自分たちで育てる「労作教育」があります。「体験」を大切にして敢えて評価をしない授業も日常的にあります。最近では文部科学省でも「知・徳・体」を唱えた「全人教育」(バランスよく育つための教育)を主張してきていますが、それは三育教育の原点としてずっと基本にあるものでした。
大河原さんは、三育教育には誇るべき「思想」があるにも関わらず、それを「具現化」することが下手なのではないかと感じていました。他からの圧力に屈して、形や体裁ばかりを整え‘学校らしく’することは、結局三育らしさを失っていってるにすぎないからです。三育の教育に通じる思想を具現化したのが「らくだ教材」でありそのシステムであると大河原さんが感じたのは、その背景に、「ひとり一人を大切にする」考え方ー思想ーが根本にあると知ったからです。それが、キリスト教的思想をバックに設立された三育の教育の原点に通じるところであり、先に上げた「らくだは、まわりを否定しない」というらくだの指導者の方の言葉に通じるところでもあります。
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