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ずっと読みたかった本が、ようやく届きました。図書館で予約した時点で、100人以上の方の予約がすでに入っていた本です。別に急いで読まなければならないものでもないので、悠長に待つことにして、私も予約していました。
なぜ読みたかったかというと、作家の佐野洋子さんが、ご自身のお母さまの介護体験を、赤裸々に描いたものだと知ったからです。「赤裸々に」というのは、通常表に出したくないようなご自身の感情の動きまで記してあるからです。私も介護体験がありますから、佐野さんに共感する部分は大でした。
そして、最後の最後に、私には思ってもみなかった「どんでん返し」? がありました。「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、まさにそう感じさせられるものでした。私は大感動しました。予約して待って読んでよかったと本当に思いました。
「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」と心から思える佐野さんー私はその気持ちもよくわかります…。
簡単な言葉で表せるものではありませんが、親について、そして人生について、深く考えさせられました。
以下、特に心が動かされた部分から一部抜粋させてもらいます。
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《愚痴はこぼしたし、人の悪口も云ったが、しょぼくれた母を私は見たことはない。体が頑強であったように、精神もタフで荒っぽかった。
子供の話をしみじみ聞くことはなかったから、子供は母と話をしなくなった。
しかし他人の話はしみじみ聞いたからこそ、人に好かれもし、頼りにもされていた。
家族とは、非情な集団である。
他人を家族のように知りすぎたら、友人も知人も消滅するだろう。
父が死んでも、母はばっちり化粧をし、身だしなみが、だらしないことはなかった。
私はずっと母を嫌いだった。ずっと、ずっと嫌いだった。
私の反抗期は終りがなかった。》
《母さんに触れる様になった事はすごい事だった。呆け果てた母さんが、本当の母さんだったのだろうか。呆けても本能的に外敵を作らない様に自分を守ろうとする力が自然に湧いて来るのだろうか。》
《私は老人ホームのベッドの中で、自然に母さんのふとんをたたいていた。
「ねんねんよう、おころりよ、母さんはいい子だ、ねんねしな」母さんは笑った。とっても楽しそうに笑った。
そして母さんも、私の上のふとんをたたきながら「坊やはいい子だ、ねんねしなー。それから何だっけ?」
「坊やのお守りはどこへ行った?」
「あの山越えて、里越えて」とうたいながら私は母さんの白い髪の頭をなでていた。
そして私はどっと涙が湧き出した。自分でも予期していなかった。
そして思ってもいない言葉が出て来た。
「ごめんね、母さん、ごめんね」
号泣と云ってもよかった。
「私悪い子だったね、ごめんね」
母さんは、正気に戻ったのだろうか。
「私の方こそごめんなさい。あんたが悪いんじゃないのよ」
私の中で、何か爆発した。「母さん、呆けてくれて、ありがとう。神様、母さんを呆けさせてくれてありがとう」
何十年も私の中でこりかたまっていた嫌悪感が、氷山にお湯をぶっかけた様にとけていった。湯気が果てしなく湧いてゆく様だった。
母さんは一生分のありがとうとごめんなさいを、呆けて全部バケツをぶちまける様にいま空にしたのだろうか。
母さんは生れた時にこんな風に「ごめんなさい、ありがとう」と一緒に生れて来たのだろうか。
誰でも「ごめんなさい、ありがとう」と一緒に生れてくるのだろうか。そしてだんだん、そう云えない事情や性質が創られてゆくのだろうか。
私はほとんど五十年以上の年月、私を苦しめていた自責の念から解放された。
私は生きていてよかったと思った。本当に生きていてよかった。こんな日が来ると思っていなかった。母さんが呆けなかったら、昔のまんまの「そんな事ありません」母さんだったら、私は素直になれただろうか。
多分呆け始めて六年以上たっていたのだと思う。呆けてから、さすがに私は母さんに嫌みを云ったり責めたてたりする事はなくなっていたが、自分の家を追いたてられてさすらい人になってしまったのは自業自得だからね、とどこかで思っていた。
その日が私にとって一生一度の大事件だったと思えた。
私は何かにゆるされたと思った。世界が違う様相におだやかになった。
私はゆるされた、何か人知を越えた大きな力によってゆるされた。
私は小さい骨ばかりになった母さんと何度も何度も抱き合って泣きじゃくり、泣きじゃくりが終ると、風邪が直った時の朝の様な気がした。》
ー以上。
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