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第5章 検索は知のスタイルを変える
4 新しい知の時代における勉強法と教育法 から
【理解しなくとも、自分で考え付かなくとも、とにかく進め】より
《大学教養課程の数学のクラスで聞いた「数学は暗記だ」というS助教授の一言が、数学に対する私の考えを根本から変えた。第1章の3で、このように述べた。その背景を説明しよう。
高校生の時、私は「数学を理解しなければならない」、また「問題の解法は自分で考えださなければならない」と、無駄な努力をしたと思う。「解き方を覚えて先に進んでよいのならもっと簡単なのに」と考えていた。
しかし、教師は「理解してから進め」と言う。したがって、私は「理解しなければならない」という強迫観念に悩まされ、そうしない時には、罪悪感を持った。いまにして思えば、理解しないで進んでも問題はなかった。実際、先に進んでいれば、上から見渡せる。上から見れば、いろいろなことが簡単に理解できる。あるいは、理解すべきことと、しなくてもよいことの区別がつく(実際、厳密に言えば、公理系として決めていることは、もともと理解できるはずがないのである)。
教師はまた、「人の真似をするのなく、自分の頭で解き方を考え出せ」と言う。だから、私は、「教科書に書いてある解き方を見る前に自分で考えなければならない」という強迫観念に悩まされ、そうできない時には劣等感を覚えた。しかし、いま思えば、教科書の方法を覚えるだけ先に進んでもよかった。
なぜなら、多数の問題の解き方を見てそのパタンを覚えてしまえば、たいていの問題はその応用として解くことができるからだ。それに最初にその解法を考え出した人は、長い時間と試行錯誤の末に成功したのに違いない。そうした先人の労苦はありがたく利用すればよいのであり、同じ苦労をすべての生徒が繰り返す必要はない。
だから私は、いまでは「理解せよ」「自分で考え出せ」という注意は誤りだったと、自信を持って言える。それにもかかわらず、いまだにそうしたことを言って、数学嫌いの生徒を大量に生産している教師がいる。「分からなければ、あるいは自分で考え出せなければ、暗記してしまえばよい。気にせずに先に進もう。そうすれば、いずれ分かるだろう。また、解き方を覚えているだけでも、ほとんどの問題は解ける」と、なぜ言ってくれないのだろう。
「理解せよ」「自分で考え出せ」と言い続ける教師に対して、私は、「あなたは本当に理解したのですか? 教科書を見ずに、本当に自分の頭だけで解き方を考え出したのですか?」と詰問したい気持ちだ。
「一箇所にこだわっているより、とにかく進むほうがよい」と考えるのが正しいもう一つの理由は、技術進歩によって学ぶ必要がなくなる場合があることだ。その好例は、逆行列の計算だ。これを手回し計算機で計算するのは、大変な労苦だった。それに、途中で計算違いをしたりする。「こんなことはやりたくない」と、つくづく思った。しかし、数値計算法の教師は、「こういう地道な作業を嫌うのは、よくないことだ」と言う。だから、私は罪悪感に苛まされた。
しかし、いまでは、PCを使ってあっという間に答えが出てしまう。逆行列の計算公式を知らなくとも、逆行列を使うことはできるのである(ただし、逆行列が存在する条件を知っていることは重要だ)。序論で述べたように、私は、MS−DOSの勉強はいい加減にすませたし、HDのフォーマットでは人任せですませた。それでもPCを使うことはできた。否むしろ、それにこだわっていたら、PCを十分に使い切ることはできなかったろう。》
●私も著者の考えと同じです。らくだ教材もそのようなコンセプトで作り出されたものなので、著者が同じ考えを披瀝していたことにびっくりしました。
また、最近私の生徒のお母さまから相談を受けたことがまさにこのようなことでした。子どもさんの学校の先生が、足し算や引き算を、「まず意味を理解するように教える」のだそうですが、そのお子さんはそのやり方に馴染まず、理解するどころか、それこそ「算数嫌い」「勉強嫌い」になるかもしれないぐらいだとお母さまはおっしゃっていました。
「せっかく子どもはらくだを自分から毎日やる習慣がついているので、当面それでいいと思っているのですがー」というお母さまの言葉に、私は「もちろんです。らくだをこのまま進めていけば、お子さんもいずれ先生のやり方を理解する時が来ると思います。ただ、今はまだこの子にとって理解できる時ではないというだけの話だと思います」とお伝えしました。
先生がやりたいことは、私もよくわかりますし、子どもたちにも理解してほしい。ただ、教室の子どもたち全員に一律に理解させるために「教え込む」かたちになるのは、今の時代、そぐわないのだと私は思うのですがー。
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