さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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●ワイシャツ姿の初老の紳士がベンチに下を向いて座っているーこの映画のチラシは実に地味な感じで、見過ごしてしまいそうになったのですが…よくよく見ると、その老紳士は、ベンチに座って一人ジンベ(アフリカンドラム)を叩いているではありませんか! あまりに不釣り合いに感じたので、驚きました。
 なんだこの映画は‥???、と思ってチラシの文章を読んでみるとー

「扉を閉ざしたニューヨークー
 移民の青年との出会いと“ジャンベ”の響きが
 孤独な大学教授の心の扉を開く。」

 えぇ〜っ、そんな映画ができたの〜?、と思ってチラシにある写真をもっとよく見ると、ジンベの写真がいっぱいです。チラシをいっぱい持って帰り(ジンベ仲間に渡すため)、家に帰ってじっくり読んで、映画のホームページで予告編も見てみました。
 う〜ん、この映画は、都会の中でジンベの持つ役割とその意味を見事に描いた作品かもしれない、と感じました。以下、映画のチラシから抜粋します。
                          *
友情、ジャンベ、ロマンスが、孤独な心の扉を開かせる。
喜びや癒し、そして哀しみを抱くジャンベの響きのように
いつまでも胸を打つ、忘れ得ぬ一編の物語。

 〈新しい人生の扉を開くのは、予期せぬ訪問者〉

 愛する妻に先立たれ、コネティカットで孤独に暮らす大学教授のウォルター(リチャード・ジェンキンス)。ある日、久しぶりにニューヨークにある別宅の扉を開けると、そこには見知らぬ若い移民のカップルが住んでいた。それがウォルターとシリア出身のジャンベ奏者タレク(スレイマン)との出会いだった。タレクにジャンベを習い始めたウォルターは、これまでにない心の高揚を感じていた。ふたりの友情が深まっていく中、突然タレクが不法滞在を理由に拘束されてしまう。数日後、ウォルターのアパートを美しい女性が訪ねる。連絡の取れない息子を案じて、ニューヨークへやって来たタレクの母親モーナ(アッバス)だったー。

 〈9・11以降の扉を閉ざしたニューヨーク〉

 2001年9月11日に起きたテロ以降、アメリカは移民希望者や不法滞在者に対して厳しい措置を取るようになった。不寛容な空気が増し、その扉はかたく閉ざされてしまったかのようだ。冒頭のシーンでの頑ななウォルターは、その象徴に見える。しかし、彼は文化も年齢も職業も異なる人たちとの出会いによって、奥底に眠っていた人間らしさを取り戻し、ふたたび生きる意味を見出す。それは、彼の心の扉をたたく他者からの思いやりであり、たたかれた扉を開くほんの少しの勇気だった。これこそが人と人をつなぎ、人生の扉を開く鍵なのだということをこの映画は私たちに思い出させてくれる。

 「扉をたたく人ーthe Visitor」…11月28(土)よりアンコール上映(1日1回上映)
           シアターキノ(狸小路6丁目南3条グランドビル2F 011-231-9355)
                  http://theaterkino.net/

                        *

●映画のチラシといっしょに、朝日新聞からの転載の沢木耕太郎さんの文章が置いてあったのですが、この文章はジンベの本質をも表しているような、とてもいいもので感動しました。ちょっと長いのですが、紹介せずにいられません。タイトルからしてすばらしい…

 「叩くことから変わる世界」

 静かに始まり、静かに終わる。
 そこに登場人物たちの世界や運命が変わる物語が内包されていないわけではないが、それらが激しく、あるいは猛々しく語られることはない。
 
 アメリカ東部に住む大学の教授ウォルターは、妻に先立たれ孤独な生活を送っている。ある日、ニューヨークで行われる学会に出席するため、マンハッタンにあるセカンドハウスにやってくる。すると、そこには若い男女のカップル、中東出身のタレクとアフリカ出身のゼイナブが住んでいる。彼らは仲介業者に騙され、金を払って住んでいたのだ。警察沙汰にしたくない理由のあった二人は自分たちの非を素直に認め、荷物をまとめて出ていこうとする。どこにも行く当てのない二人が悄然と部屋を出て行く姿を見て、ウォルターの心がうずき、一晩だけならと宿の提供を申し出る。
 そこから、一日、また一日と延びていく、三人の奇妙な共同生活が始まることになる。

                       ***

 リチャード・ジェンキンスが演じている、このウォルターという初老の大学教授の孤独の深さがとりわけ印象的だ。
 彼の孤独の原因は恐らく妻に先立たれたことによるものではない。たぶん、それよりずっと以前から孤独に蝕まれていたのだ。それはもしかしたら、自分の教えている経済学という学問が世界にとって本質的なものではないということに気づいていまったからかもしれないし、あるいは、妻や子供にとって自分は何者でもなかったのではないかという空虚感によるものだったかもしれない。そして、それは、どこかで自分が自分にとって本質的な存在ではないのではないかという疑念を生むものであったかもしれないのだ。

 この映画の原題は「ザ・ビジター〈訪問者〉」という。しかし、私には邦題の「扉をたたく人」の方がはるかに奥行きがあるように思われる。ビジターが単数のところを見ると、訪問者はウォルターか、のちに息子を心配して訪ねてくるタレクの母親ということになる。だが、扉を叩くということになれば、それは登場人物のすべてということになるのだろう。ウォルターが扉をノックし、タレクとゼイナブがノックし、タレクの母親がノックする。ノックする者は同時に扉をノックされる者にもなる…。

                        ***

 若者タレクは、ジャンベと呼ばれる民族的な打楽器の演奏者でもある。共同生活をしているうちに興味を抱くようになったウォルターは、タレクにジャンベの手ほどきを受けるようになる。ピアノの教師からは、楽器を習得する才能はないと引導を渡されていたウォルターが、まるで自分の心の奥の扉を叩くように、おずおずとジャンベを叩きはじめる。するとやがてウォルターは、楽器を演奏するということ、人と楽器を合奏するということによって、新しい自分と、新しい世界に目を開かれていくことになる。

 物語は、ウォルターの小さな不注意からタレクが警察に拘束され、逃れてきた国へ強制送還されてしまうかどうかという問題にまで発展してしまう。それは9・11以降のアメリカの「不寛容」の現実が描かれることにつながるのだが、物語の重要な部分は、ウォルターが自身と世界に心が開かれる前半で描きつくされているようにも思える。あとは、映画的な結構を整えるためのものであるとさえ言えなくもない。

 つまり、この映画は、太鼓を膝の間にはさみ、手のひらで叩くというたったそれだけのことで、自身が、だから世界が変わる契機を掴み得るという、ひとつの奇跡についての物語だったということでいいのかもしれないのだ。

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