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【「感染」したあと「卒業」すること】より
《ぼくはこの点をなんとかしたい。将来不安におびえて学ぶ「自発性」もいい。でもはっきりいう。「内発性」がなかったら、知識はどんなに集めても「単に役に立つだけ」のクズだ。君の人格を構成してくれない。君自身の内面は変わらない。そんな知識は価値がない。
君も知ってるように「学ぶ」は「真似ぶ」からきている。ぼくの2歳の娘を見ていてわかるけど、人間にとって最初の学びは「まねできる」ことの喜びにつき動かされたものだ。言葉をふくめて、何もかも「丸ごと」まねしたあと、いらないものを捨てていくわけだよ。
ミュージシャンは優れたプレイヤーの演奏を徹底的にコピーして、やがて自分の演奏スタイルを作る。小説家だって同じだ。優れた作家の作品を徹底的に読み、文体模写なんかしながら、いつしか自分の作品世界を作る。学問だって同じ。大切なのは「感染」だ。
1)誰かに「感染」して乗り移られたあと、2)徹底的にその人の視点から理解し、3)やがて卒業して今度は別の誰かに「感染」するー。1→2→3を数回くり返せば、そのときにはすでに君自身が、誰かから「感染」してもらえる価値を持つようになっているだろう。》
●「自発性」と「内発性」、そして自身の内面が変わることに価値を置く宮台さんの考えに、なるほどなぁと思います。
誰かから「感染」してもらえる価値を持つような人間になったんだ、と実感した時の気持ちは言葉では言い表せないものがあります。思わず、自分がかつて「感染」した人たちのことを頭に思い描きます。
日々の暮らしの中で人との関わりなしにこのようなことは起こりえないので、まずはそのような人との関わり、つながりを作り、維持できていることにあらためて感謝の気持ちを持ちます。
また、そのような関係は時空を超えるものでもあります。例えば、20年前、東京にいた時のつながり、そして思い出が、今の私の心の支えにもなり得ているのです。
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