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子どもへのまなざし より
《上野:もちろん親世代の年齢になったから、いやおうなしに親目線になったと思うけれども、子どもを産まなかったというのは、親になった人間の歓びばかりでなく、親なればこその闇とか愚かさという業のようなものをついに味わわなかったわけだから、それを知っていると言うつもりはない。親にならなかったから、「親にならなかったおまえに親の気持ちがわかるか」と言われたら、それはわからない。わかるといったら傲慢だと思う。
わからないけれども、私はそのかわり、とことん子ども目線で生きてやろうと思ってきた。子どものつらさを一生忘れないでいよう、と思っている。親になった人たちが、自分が子どもだったときのつらさを、どうしてあんなに簡単に忘れることができるのか、私は不思議に思ってきた。だからどんなときも、子ども目線で考える。その私にしてからが、年齢の効果で親目線が出てきたのだから、これは「複眼効果」と言うべきかな。
どんな生まれ方をしようが、どんな親から生まれようが、子どもであることの権利はどんなことがあっても守ってあげたいというのは、私が親だからじゃない、子ども目線だから。家族が壊れても子どもが生きていける、愛がなくても子どもが生き延びられる、そんな社会になってもらわないと困るのよ。
そういう次世代が育つためだったら、応分の負担に応じる気持ちは、いくらだってあります。》
●「どんなときも、子ども目線で考える」という上野さんの姿勢には、学ぶべきものがあると思いました。親であるという事実に安住している?だけの親は、決して子ども目線にはならないでしょう。
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