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以下、本文よりー
《佐高:それが、北海道教組に典型的なように、組合加入率100パーセントの落とし穴なんだよね。組織の上からの指示を疑うことを知らずに、みんな組合型の同じような教師になってしまう。私が教師になったころは、山形高教組というのはけっこう強かったけれども、組合員ではない教師もかなりいたわけです。そうすると彼らとのつき合いや論争のなかで人間的に鍛えられるという面もありました。
組合とは無縁の屈強な柔道の先生とか、そういう人に私はわりとかわいがられて、「おまえは組合活動なかに精を出すのはけしからんけど、人間的には見どころのある男だ」とか言われたりしていた。そういう人のほうが生徒を抱きとめるタイプだったりするんです。
雨宮さんが体験したように、いじめという現実の前で教師がいじめる側に回ってしまう。これは、弱肉強食の弱は悪いんだという考えがどこかにあるからですね。
雨宮:そうですね。競争を肯定すると、いじめも肯定することになっていくと思うんです。私の子ども時代には、初めてのいじめ自殺が中野で起こったんですが、私の地元なんかは田舎だからまだそんなに深刻な問題ではないと見なされて、先生はいじめをまったく放置していましたね。そして2006年に、私の出身地である滝川市の小学校でいじめ自殺が起こってしまったんです。
学校側がそれを隠蔽していたことでも問題になりました。このことは象徴的なような気がして、いじめに対しての意識は時代とともに変わってきただろうけれども、やはりあの地域はいじめ自殺を止められないような先生が多い場所だったんだなと思いましたね。
雨宮:右翼に入りたてのころに初めて知ったんですが、日教組の人たちが「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げて活動しているということを知って、びっくりしたんですね。私は自分たちのあの中学校こそが戦場だと思っていて、実際にかなりの犠牲者が出ている。いじめが辛くて叫びながら学校から逃げて行っちゃうような子もいたんですが、先生はまったく放置していたし、何もフォローしなかった。
いじめから不登校になり、ずっとひきこもり状態で、20代で自殺、なんていう「10年後のいじめ自殺」も私の周りでは結構あります。死ななくても、その後の人生を明らかに狂わせている。そういう意味では、現実の学校のなかでものすごい犠牲者を出しているにもかかわらず、そこには目を向けることなく、「戦場に送るな」と言っている。すごく矛盾を感じましたね。
逆に言うと、本当の戦地だけを戦場にしておけば、先生にとってはすごく楽じゃないですか。そこにさえ生徒を送らなければ、ここがどんなに悲惨でも、何もしなくてもいいということになるわけですから。ここが戦場なんだということを理解してくれる感受性が先生たちにあれば、学校の環境はいまと全然違ったのになと思うんですよ。》
●「ここが戦場なんだということを理解してくれる感受性が先生たちにあれば」という言葉を、とても重く感じます。
考えてみると、大きなスローガンは声高に唱えるけれども、自分の生活、足下をまったく変える気がない人っていうのは、どこの世界にもいるでしょう。我が身を振り返っても言えることです。
自分自身を客観視することというのは、実はとても難しいことであり、それができている人っていうのは、本当に少ないのじゃないかと感じます。
それぞれの人にとってのシステムを作っておかないと、自分自身を客観視することはできないかもしれません。ブログを公開して、常に奇譚なき意見を受け入れる態勢を作っておくことも、その一つだと私は思っていますがー。
そういった意味でも、先生と呼ばれる人たちは、自分のやっていることをオープンにすることを常に頭に入れて行動するか否かで違ってくるようにも思います。
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