さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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以下、本文よりー

《雨宮:私が右翼団体にいたときも、同時期に同じ団体に入った若い人の話を聞いてみると、根底にあるのは、自分がいかにひどい教育を受けてきたかということが原点だった気がします。先生がいかに左チックで、その左チックな人がいかにひどいことをやっていたかということが、かなり話題になっていました。

それプラス、私が所属していた右翼団体はほとんどが中卒や高卒のフリーターだったので、頑張っても何ともならない社会に放り出され、学校で教えられた価値がすべて瓦解したという、その二つが共通点でした。なので、ある種の学校への反抗としての右翼活動という側面もありましたね。

佐高:私は5年半、先生という恥ずかしい仕事をしていましたが(笑)、いま強く思うのは、学校というのはいろいろなものの一つに過ぎないということです。ところが、先生たちにとっては学校がすべてなんです。

教育こそがすべての基本だとか、あるいは学校こそが右傾化を食い止める拠点だとか言われると、ますます自分は最も価値ある仕事に携わっているんだという意識になる。学校というものを相対化できない。そうするとそれを押しつけられる生徒にとって、やはり学校は逃れられない権力として立ちはだかるわけです。

 でも、学校へ行かなくたって人間は育つんです。学校とはまったく別の生き方というのは教師の頭にはまったくない。学校を絶対的な価値として考えてしまうと、そのまま、いい学校からいい会社へという図式しかなくなってしまう。

佐高:学校なんていうのは行きたい人が行けばいいというぐらいに考えられるようになれば、エスカレーターとは別の階段や、あるいは競争から下りる階段が見つかるかもしれないのに。》


●「ある種の学校への反抗としての右翼活動」とは…。つまり、学校で先生たちが子どもたちに説いていることと180度転換したことを子どもたちは学んで巣立っていっているわけであり、これってなんたる皮肉、矛盾だろうかー。

 何を伝えたいのか、そしてそのためにはどう具体的にすればいいのか、そこらへんのことを子どもに相対する大人ひとり一人が考えていかないことにはいけないのでしょう。

「学校へ行かなくたって人間は育つ」「学校というものの相対化」、これらのことを頭に入れられれば、先生も親も、そしえt子どもたちも楽になるのにー。

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