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[第2講 教育はビジネスではない]から 【「時は金なり」】より
《正直に言うと、教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムなのです。喩えて言えば、キーボードを押すと、ディスプレイに文字が出る代わりに、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子を二個もらったとか、そういうどこをどう迂回したのかよくわからないような「やりとり」が果たされるのが教育というものの本義なのです。
ビジネスマンはそのようなシステムが存在すること自体が信じられませんし、許せません。それはビジネスマンの生理と倫理に反するからです。その判断は当然だと思います。けれども、申し訳ないけれど、教育というのは「そういうもの」なのです。》
【変化を望まない人々】より
《教育は入力から出力までのあいだに「時間がかかる」。それはそこを行き交うものが商品やサービスではなく、人間だからです。
惰性が強いというのは、わずかな入力によっては変化しないということです。そして、わずかな入力では変化しないという点が、学校という制度の一つの手柄でもある。私はそう思っています。
例えば、「学校文化」というものがある。「校風」と言ってもいい。これは変化を嫌います。
本学には三万人の会員を擁する同窓会がありますが、彼女たちの願いの一つは「自分の出た学校が、自分が通っていたときのままのものであってほしい」というものです。》
【教育のステイクホルダーは誰か?】より
《ご存知のように、江戸時代にも教育はみごとに機能しておりました。当時の日本の教育水準は、識字率を指標にすれば世界最高でした。もちろんその時代に、あるべき学校のすがたを発令する中教審や、学習指導要領を決める文科省が存在していたわけではありません。
幕末の最強の教育機関といえば、異論の余地なく吉田松陰の松下村塾です(なにしろ高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎を輩出したのですから)。これももとは松蔭の叔父の玉木文之進が狭い自宅で開いていた小さな私塾でした。
緒方洪庵の適塾も、『福翁自伝』を読むと、西日の当たる狭い部屋に暑苦しい成年たちがひしめいていて、裸で輪読をしていたそうですから、今日の大学設置基準に照らせばまず開学は不可でしょう(校地面積不足と消防法違反で)。
中央集権的な教育行政がなくても、教育機関の条件を規定する法律がなくても、教育が成立するには何の支障もありません。
これは大事な前提ですので、ぜひ覚えておいてください。
では、保護者たちはどうでしょうか。
これもはっきり言って、教育に不可欠の要素ではありません。親がいなくても教育には何の支障もありません。というか、近代の公教育について言えば、学校の歴史的使命は「親から子どもを守る」ことにあったからです。》
●「中央集権的な教育行政がなくても、教育機関の条件を規定する法律がなくても、
教育が成立するには何の支障もありません」
ーこの言葉と、
「狭い自宅で開いていた小さな私塾」から数々の歴史を動かす人物が育っていった
ー事実は、私をとても勇気づけてくれます。
歴史的背景は違いますが、今の世の中も動乱の時代と言えるでしょう。私も、吉田松陰や緒方洪庵に通じる志を持って、子どもたちに対応することが大事だと思っています。
自由な発想と恐れを知らぬ行動こそが歴史を作っていくのではないでしょうか。
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