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【残るものは何か】より
《それは教育の本質が「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つことにあるからです。「外部」との通路を開くことだからです。
勉強しているときには、子どもたちも一瞬、無人島という有限の空間に閉じ込められていることを忘れて、広い世界に繋がっているような開放感を覚える。四方を壁で取り囲まれた密室の中に、どこからか新鮮な風が吹き込んできたような爽快感を覚える。そういうことがきっとあるはずです。
‘「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること’。それが教育というものの一番重要な機能なのです。
さきほど例にあげたイギリスの児童労働の場合を考えてください。もし、過酷な労働に苦しんでいた子どもたちを救済して、学校に通わせることができるようになったとします。さて、彼らは何を学ぶことを願うでしょうか。機械工学や金融を学んで、自分たちも紡績業やマッチ製造業の経営者になって、今度は他の子どもたちを収奪酷使する立場になって「見返してやろう」と思うでしょうか?
私は違うと思います。彼らはむしろ歴史や外国文学の方に惹き付けられるんじゃないかと思います。自分たちが知っているような人間たち、自分たちが呼吸してきた社会の空気、自分たちの上に大気圧のようにのしかかっていた価値観、そういうものにはもううんざりしているので、できることならそれとは「別の人間、別の社会、別の価値観」に触れたい、というのがつらい目に遭ってきた子どもたちのいちばん自然な願いではないでしょうか。》
●「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること’。それが教育というものの一番重要な機能なのです。
上記の言葉は私の胸にとても響きました。「教育で一番重要な機能」として、《「今ここにあるもの」とは違うものに繋がること》という言葉を発する人が他にいるでしょうか。
とても素敵な、とても可能性の広がる言葉だと私は感じました。そして、私がやってきたことすべてがこの言葉に繋がるような気がしています。
どうして私は20代半ばで東京に出て、人と出会って場を作って、そして自らの感心のおもむくままに、さまざまなことを学び続けてきたのか、そして今もこれからも学び続けていこうとしているのか、その答えがこの言葉にあるように思いました。
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