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内田樹さんのブログで、「学校」というもののあり方について言及していました。これを読んだら、内田さんの勤める大学に行きたくなる人が増えるのではないでしょうか。
「心身の感度を上げる」という言葉、私にはとてもしっくりときます。らくだメソッドやジンベ&ダンスは、まさに「心身の感度を上げる」ためのツールだと感じますし、書くこと自体そのようなものだと思います。
以下、内田さんのブログより抜粋ーhttp://blog.tatsuru.com/
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学院標語と結婚の条件
《新学期が始まる。
6日に入学式。
飯新学長の「ことば」を聞く。
学長就任の挨拶でもそうだったけれど、本学が「キリスト教のミッションを実現するために建学された」という基本理念をつよく訴える内容であった。
この時代に大学新入生に向かって「自己利益をどうやって増大させるか」については一言も触れず、「神と隣人を愛し、敬し、仕える」ことを、ほとんどそれだけを説いたスピーチを行うということは、「反時代的」だととる人もいるかもしれない。
でも、私はそう思わない。
これはすぐれて「今日的な」メッセージだと思う。
私たちの社会がこの20年で失ったのは「隣人と共生する能力」と「私の理解も共感も絶した超越的境位についての畏敬と想像力」である。
「愛神愛隣」というのは、そのことだと私は理解している。
学長は「学風」「校風」ということにスピーチの中で何度か言及した。
それは具体的な教育プログラムのことではないし、もちろん設備や規則のことではない。個々の教師の教育理念や教育方法のことでもない。
そのようなものすべてを含んで現にこの学校という「想像の共同体」を生かしているもののことである。
私がこの共同体に含まれて20年になる。
この場所は(それまでさまざまな共同体から排除されてきた)私を受け容れてくれただけでなく、私に働き場所と、生きがいを与えてくれた。
新入生たちが私や私の同僚たちやここに学んだすべての学生たちと同じように、この共同体に親しみ、そこで安らぎと癒しと、生きる知恵と力とを得ることができますように。
火曜日、新入生オリエンテーション。
教師1人が新入生10人とお昼を食べるイベントである。
学生たちに自己紹介してもらい、お手伝いに来てくれた上級生(フルタくん、ヤナイくん、ありがとうね)に大学生活の心得についてお話ししてもらう。
私からのメッセージは簡単で、「できるだけ長い時間をこのキャンパスで過ごすように」ということだけ。
最初のうちに単位をかき集めて、あとはバイトと就活で学校に寄りつかないというような学生がいるけれど、これはほんとうにもったいない大学生活の過ごし方だと思う。
時間割はゆったりと組んで、ひとつひとつの科目について、課題や下調べに十分な時間が確保できるようにすること。
授業が終わったら山をかけおりてバイトに行くようなことはせずに、授業のない時間帯もできるだけ大学の中にいること。散策するもよし、図書館で勉強するもよし、講堂でパイプオルガンを聴くもよし、クラブ活動をするもよし。
このキャンパスに設計者のヴォーリスはたくさんの「秘密の小部屋」や「秘密の廊下」を仕掛けた。
自分で扉を開けて、自分で階段を上って、はじめて思いがけない場所に出て、思いがけない風景が拡がるように、学舎そのものが構造化されているのである。
自分が動かなければ、自分が変わらなければ、何も動かない、何も変わらない。
これはすぐれた「学び」の比喩である。
このキャンパスにいる限り、感覚をざわつかせるような不快な刺激はほとんどない。
それは自分の心身の感度をどこまで敏感にしてもよいということである。自己防衛の「鎧」を解除してよいということである。
感度を上げれば上げるだけ五感は多くの快楽を享受することができる。
そんな環境に現代人はほとんど身を置く機会がないのである。
「心身の感度を上げる」ということは「学び」という営みの核心にあり、その前提をなす構えである。
それを可能にする場所であるかどうかということが学校にとって死活的に重要であると私は思う。
本学はそれが可能な例外的なスポットである。
その特権をどうか豊かに享受してほしいと思う。
というようなことを述べる。》
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