さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

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《頭がよいということは、自分の経験や習慣の上に立って相手の状況を判断する力を持つと言い換えてもいい。異質の存在を知り、それを理解して、互いに違った者同士が意思疎通する行為を文化という。皆同じという画一性の下では、そもそも文化なんか成立しない。仲間内の論理しかないうちは、文化の広がりはない。

 その意味でいえば、一律に行う作業である百マス計算は非文化的行為だ。文化的行為はスピードなどに価値をおかない。作文を10分で書くという授業が一部でウケているが、それで作文が上手になるわけではない。締め切りを何日も過ぎても、いい小説なら編集者はそれを獲得しようと待つ。文化とはそういうものだ。文化は効率と関係ないところにある。

 忘れてはならないのは、21世紀は文化を重視しない限り生き抜いていけないということだ。そのときに非文化的行為の典型である百マス計算をやることにどれくらいの意味があるだろうか。

 20世紀までのように人類が常に進歩し経済成長していたころは、貧富の差はあっても、貧のほうも上がっていけると思っているから、さしたる文句もなく暮らしてきた。ところが、進歩や成長はもう頭打ちだ。

 格差問題は、日本社会でも深刻になってきた。世界規模では、貧しい国々が自分たちも我慢して頑張ってアメリカのような豊かな国になろうと思う時代は終わり、もうアメリカのようになるのはとうてい無理だろうととうに気づいている。9.11同時多発テロが起こった背景の大きな要因の1つには、その意識変化がある。

 20世紀の日本は、景気がいいときには文化にカネをかけるが、不景気になったら文化どころではないという意識でやってきた。だが、実は不景気なときこそ文化が必要なのである。経済で元気になれないのなら、文化で元気になるしかない。「ボロは着てても心は錦」とか「貧しいけれど楽しいわが家」みたいな発想がないとこれからは生きていけない。》


●「ボロは着てても心は錦」、「貧しいけれど楽しいわが家」・・・
 まさに私はこのような生活をしている、あるいは目指していますがー。だからこそ、私はジンベ&ダンスをかれこれ20年来続けてきているのかもしれません。

 これは文化的行為なのかー? 「互いに違った者同士が意思疎通する行為」を文化と言うなら、まさにそのような行為をしているし、それが目的と言えるかもしれません。
 確かに、世は不景気でも、仲間との練習は変わらず続けていられるし、街おこしや地域おこしのイベントへも呼ばれることが多くなってきています。そしてそのような場で、「互いに違った者同士が意思疎通する」ことが最高の喜びです。

 昨日日曜日も、メンバーの住む静内へ行って、今月28日に迫った名寄でのイベント演奏の練習をしてきました。1時間叩いて踊って、私たちの持っているものすべてを出し切るライブとなります。さすがに練習でもヘロヘロになりましたが、これだけ全力を振り絞ってやると爽快感があります。

 名寄およびその近郊の方がいらっしゃいましたら、ぜひお出でください。

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