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[講義その11 日雇い派遣は「かわいそう」か]から
【「かわいそう」は死語にしろ】より
《「かわいそう」という言葉が日本中に蔓延している。何を見ても「かわいそう」「かわいそう」である。私は以前から言っているが、この世の中にかわいそうな人なんていない。
たとえば、障害者はかわいそうではない。不自由なだけだ。その不自由さを取り除けばいい。目の不自由な人がかわいそうなのではなく、不便なのだから目が不自由でも歩けるよう、点字プレートを取りつければいい。手助けをすればいい。
かわいそうというのは感情だ。かわいそうだからバリアフリーにしてあげる、と考える。しかし、「してあげる」わけではない。
もっと論理的に考えるべきだ。不自由な状態はよくないから自由にすべきだと論理的に考え、行動に結びつける。「人が自由に町を歩けるようにするためにはどうしたらいいか?」「それには段差をなくすことだ」と考える。バリアフリーにするのは、目の見えないかわいそうな人を救う行為ではなく公共の福祉なのだ。すべての人にとってよい行為だ。そういう考えを持つ子どもたちを育てるために総合学習を始めた。百マス計算では、この考えは育たない。
現在の日本では、結局、優位なポジションに立つ者が下位の者に対して「かわいそう」と言って勝手に哀れんでいるにすぎないのである。そのうちの多くの人は「かわいそう」と言うだけで、「かわいそう」な人たちのために、具体的に何か考えるとか、何かすることはない。言っただけで終わり。すなわち「かわいそう」とは都合よく思考停止できるスイッチのようなものだ。
それでは、何の解決にもならない。》
●喘息で苦しんでいる自分の子どもを見ているとき、私はどんな気持ちになっているかー?
「かわいそうだなぁ、こんな小さいのにこんなに苦しんで…」と、思う。
でもやっぱり、「かわいそう」で留まっているわけにはいかない。
「これはお前さんに与えられた試練なのだから、乗り越えていかないといけないことなんだよ。
だからいっしょに乗り越えていこうよ」
そんな気持ちでできる限りのことをするだけ、かな。
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