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【過大な要求に耐える教員たち】より
宮台ー
《「ゆとり教育」は理念として正しい。苅谷剛彦さんだって最近は「理念は正しかった」とおっしゃいます(笑)。理念を、実効性のある具体的プログラムに落としこむことに失敗したんです。したがって、必要なのは「失敗の研究」だと思っています。
その意味で「失敗の研究」の成果のひとつが和田中学校の実践だと思います。単に、単位制にして生徒の選択機会を増やすことが「できる」ようにしたり、ゲストティーチャー制のように外部を呼びこむことが「できる」ようにするだけでは、手本は生まれないんですね。
和田中は学びを与えてくれた。第一に、民間の人材を活用して、制度的に「できる」ことを活かせる校長を生みだしたこと。第二に、校長をハブにして民間のネットワークを活用し、負担とリスクの免除を果たしたこと。第三に、何よりも地域再生を目標としたこと。
僕の言いかたでは、学校のなかに社会があるのではなく、社会のなかに学校がある。社会のなかに学校があるという「事実」を、何倍にもレバレッジをかけて学校に「呼びこむこと」で、民間ネットワークや地域社会に閉ざされた学校を「無理なくこじ開けた」ということです。
藤原ー
《たとえば二年D組を担任している数学の先生は、バスケット部の顧問もしています。その先生にIT教育もやらせ、環境教育もやらせ、福祉やボランティア教育もやらせ、国際教育もやらせ、少年が何か事件を起こすと「心の教育」もやらせ、小学生がウサギか何かをいじめたといっては「命の教育」もやらせ、ニートが増えたというのでキャリア教育や金銭教育をやらせ、さらに起業教育もやってくれーって、できるわけがありませんよ。スーパー・ビジネスマンだって、こんなムチャクチャな要求には応えられない。
実際には存在しないスーパーマンのような先生をイメージして、みんな上から押しつけてしまった。それが学校の機能低下の原因なので、やるべきことをもう少し整理すべきですね。
スーパー先生は全体の一割もいればいいほう。七割のふつうの先生は、もう一度昔のように、たとえば小学校ではきっちりドリル教育をやって、読み書き計算を習得させてほしい。中学では中学なりのレベルの知識を習得させる。そして、部活動はすごく生活指導において大事なので、力を入れてもらう。そんなふうに昔に戻してあげれば、七割の先生はよみがえる。》
●「先生をよみがえらせること」ー内田樹さんも言ってましたが、いくら上から「教育改革」を画策しようと、実際に子どもたちとつき合い実践していくのは現場の先生たちなのだから、その先生たちが生き生きと働けるシステムと環境を整えることこそ、最大の「改革」になると私は思うのですがー。
政権交代したらそのようなことを思い切ってやってもらえるかなぁ。
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