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【教育の究極の目標は何か】より
宮台ー
《では、藤原校長は何を目標にしているのか。彼はあえて言いませんが、彼がイギリスとフランスで二年ずつ家族と生活していたことから考えると、やはり「包摂」でしょうね。人に即していえば、異質なものにビクビクして、神経質になったり排除的になったりせず、どっしり構えて、いろんなことを受け入れて前に進める「包摂的な人間」を涵養すること。
まあ、立派な人間だと思えば右翼だろうが左翼だろうが手厚く支援した玄洋社の頭山満みたいなやつといえばいいでしょうか(笑)。社会に即していえば、その社会で育ちあがるだけで自動的に「包摂的な人間」が量産されるような、そうした「包摂的な社会」を維持することが目標なのだと思います。
僕も藤原さんの感受性を共有します。「世の中で幸いだと思われているもの」を得られるか得られないかで一喜一憂する人間ーリースマンのいう「外部志向型」ーは不幸ですよ。藤田先生のまさにおっしゃるように「PISAやTIMSSの結果なんかに一喜一憂しない国民をつくること」こそが、まさに教育の目標となるべきなんです(笑)。》
●「包摂」という言葉は、私にとって耳慣れない言葉ですが、その意味を知ると、とても魅力的な言葉だと感じました。
「包摂的な人間」…自分自身の進む方向にあるのはこのような人間ですし、これが「教育の究極の目標」だとすると、教育というのはなんて奥深いものか、と思います。
そしてやっぱり、教育というのは「我が身を振り返ること」から逃れることはできないものだとも感じますー。
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