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[力ずくの中学校]から【中学には戦前が残った】より
《戦後日本の中学校制度は、急ごしらえだった。昭和22年、中学に全員が無料で行けることになったのは、たいへんな朗報だった。あらゆる人が、それを大歓迎した。そのため、中学でどのような教育を行うかの検討が浅いままスタートした。新制中学は明確な教育理念を欠き、進学あるいは就職のための通過点になっていった。
戦前、小学校卒業後のコースは、中学校、実業学校、青年学校などに複線化していた。青年学校というのは、勤労少年のための学校で、実業補習と軍事教練が中心であった。昭和14年から義務化されている。
戦後の改革で、旧制中学と実業学校は新制高校となった。青年学校の校舎と教員たちは、新制中学へと転用された。旧制中学の一部教員も、新制中学を創設するために移ってきた。青年学校の年次序列支配と、旧制中学の受験一辺倒体質が、新制中学に色濃く残った。
旧制中学も青年学校も、「私的制裁」の巣窟だった。ようするに、いじめが伝統になっていた。
戦後民主主義が中途半端なものになっている大きな理由は、戦後にも中学と高校に年次序列支配が残ったためだと思う。先輩後輩の序列は、生まれた順番だけで人間に序列をつけるものだから、身分制度の一種である。身分制度とは、言っていることが正しいから従うのではなく、相手の地位を見て従うかどうかを決めることである。理性が育ちにくくなる。》
●私は古山さんのこの文章を読んで驚きました。戦後日本の中学校制度に関する歴史というものをほとんど知らなかったこと、そしてこのような流れで「中途半端な」「年次序列支配が残った」中学校において、「いじめ」の伝統が残っているという説に関してー。
一番多感な時期に小学校から中学校という新たな場へ移行すること自体がおかしい、という説を聞いたことがあり、私もなるほどと思った記憶があります。思春期時代は自意識過剰であって当たり前で、そんな子どもたちが狭い空間に閉じ込められ、おまけに制服という身体をも縛りつける様なもので一日中身を包むのですから、そこから外れる子どもがいてある意味当たり前だという説です。
その説を説いた方は確か、一例として、「小学校を7〜8年制くらいにして、中学校はなくし、その後は行きたい子だけ高校に行くということにするのがいいのではないか。中学校という場は、子どもたち、親、先生をわざわざ苦しめるためにあるようなもの」というようなことを言ってました。私はなるほど一理あると思いましたがー。
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