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〔4 教師の自主性が発揮されない学校〕
[企業モデルでよいのか]から
《教育もサービス業の一つである。それは大事な視点である。しかし、普通の企業と同じように、教員たちを賞罰と競争で駆り立て、研修で教え込んでも、けっきょくサービスが悪くなるだけだろう。
学校では、教師が「人間らしく生きている」ことが、生徒に対する最大のサービスなのである。教育は、知識や技能を伝えると同時に、教師という人格を通じて、判断力、感受性、道徳性などのモデルを見せているのである。子どもの自主性を引き出せるのは、自主性を持った教師だけである。つまり、アメとムチで動かす発想から抜け出すこと。それが、生徒への最大のサービスであり、かつ最大の道徳教育だと思う。》
[学校の当事者は誰か]から
《教師、生徒、親の三者は、いずれも学校にとって重要である。この三者のだれかが学校にそっぽを向いたら、学校はそれで運営不能になってしまう。学校の健全な運営のためには、三者ともに発言権を保障し、三者ともにとことん追いつめられたときのセーフティ・ネットを作り、その上で、さまざまな場作りをしていくことになるだろう。大事なのは、これら三者のチェック・アンド・バランスなのである。行政は、その調整役の位置に退くべきである。
当事者が自分で問題を見つけて解決できることが、知性そのものである。学校は知性的であるべきである。》
●タイトルに掲げた言葉に表された古山さんの考えに、私は強く共感します。まったくその通りだと思います。それがなされていない(であろう)現在の教育システムは、まずそれが実現するにはどうしたらいいかを徹底的に考えた上で、ちょっとずつ変えていく必要があるのではないでしょうか。
「子どもの自主性を引き出せるのは、自主性を持った教師だけである」という言葉も深い意味を持つ言葉だと思います。教育に携わる者がこの言葉をそれぞれに考え、いかに子どもと対応していくかが問われるのでしょう。
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