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[学歴競争から成熟社会へ]から
【途上国タイプの教育からの脱却】より
《進学競争によって維持される教育システムは、固有の問題を抱えることになる。日本は、その問題が噴出するトップランナーでもある。
大きな問題が三点ある。
まず一点は、競争をさせれば、勝者が生みだされるごとに敗者も生みだされるのが必然だということである。その敗者の存在が、社会不安を引き起こしていくのである。社会が成長期にあるときは、エリートを作り出しさえすれば、経済全体のパイが大きくなってすべての人の生活に及んだから、さほどの問題が起こらなかった。しかし、社会全体の成長が飽和してくると、敗者の存在による社会不活性化と社会不安の問題のほうが大きくなってくる。進学競争は、「どうせ自分は」とか「どうでもいいや」と思う大量の人たちを生みだすのである。
第2点は、国が豊かになってくると、出世志向に訴えた動機づけでは、学習意欲を支えきれなくなることである。いちおう食えるのに、なんでそんなに苦労しなければならないのか、ということである。
第三点は、経済が特殊な段階にあったから、競争に訴えた詰め込み教育でも社会の役に立ったことである。われわれは、産業を発展させさえすれば社会が発展する時代にいた。そのための知識・技術は、きとんとステップを踏めばだれでも習得できるし、詰め込めばそれなりに役に立つのである。
しかし、知恵がなければ、生産過剰になったり、バブルになったり、貧富の差で社会不安を起こしたりするのである。
社会が真剣に進路を模索しなければならない局面では、知識量より明晰さが必要とされるし、競争より協力が必要とされる。これから、そういう時代になっていくだろう。明晰さを損なうのは、恐怖と不安である。恐怖と不安をあおって勉強させる教育は、権威や固定観念にすがりつく人間を作り出す。
日本で学歴離れがもっとも進行しているのは、実は、企業である。入社試験のときに大学名を書かせない、昇進の書類に出身大学を記さない、というところが過半数だという。それもそうであろう。企業は存続がかかっているのだから、学校名にこだわっていたら、潰れてしまう。》
●「恐怖と不安をあおって勉強させる教育」をやめるということは、それぞれの子どもに見合った進路をきちんと用意するということなのではないでしょうか。
誰もがエスカレーター式に何も考えずに高校、大学へ進学しないといけないという社会ではなく、農林漁業へ進む道もあれば、専門的に学んで介護や福祉、されには職人への道もあるという、多様化された社会を復活、再生させることが、これから必要なのだと私は思います。
そのためにこそ、小中学校では「基礎学力」のみをすべての子どもに備わるようなシステムにして、それを土台に多様な道へ進むことができるような知力体力を子どもたちに身につけさせてあげたい、と私は思います。
【エリート依存時代の終わり】より
《社会が豊かになってくると、一部のエリートがいるかどうかより、社会全体の教養と創造性、落ちこぼれを出さないことがむしろ重要になってくる。社会が成熟してきたならば、進学競争に依存するのをやめ、それぞれの人に合った教育を生涯にわたって提供するような教育システムに移行していかないと、社会不安がひどくなるのである。
それは、国が貧しいうちはどんな工場でも歓迎されるが、国が豊かになってくると、工場の煙や汚水が問題になってくるのと同じであろう。
OECD(経済協力開発機構)が、国際成人リテラシー調査(1994年)というのをやって、おもしろい分析結果を出している。16〜64歳の理解力調査をし、その国の経済との関連を調べた。すると、経済成長に対する教育の効果は、得点の高い層がどれだけ高い点を取るかより、全体の平均得点の高さのほうが関連しているというのである。つまり、少数のすばらしいエリートを養成することより、全体の平均水準の上昇を考えたほうが、経済的にも寄与するものなのである。》
●上記のようなデータが出ているとは・・・。
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