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先日の講座でインタビューゲームの相手になっていただいたのは、NPO法人全国女性シェルターネット事務局の方(Kさん)でした。
その際一番印象に残った問いは、「らくだをどんな子どもたちに伝えたいですか?」ということでした。
もちろん、「すべての子どもに」伝えたいと思っています。しかしそれは、問いの答えになっていないでしょうし、現実的なことではありません。もっと自分自身の教育観を掘り下げた上で、それを反映するような答えをしなければいけないことでしょう。
それで思ったのは、「学校のシステムからはじき出されるような子」、つまり、一斉授業の学校ではどうしても個別にすべての子どもたちに「学ぶ力」を含めた学力をつけることはできないので、そこからこぼれ落ちるような子どもたちにこそらくだを出会わせたい、ということでした。
そして、「具体的に例えばどのような子どもたちですか?」と問われた時、「家計収入に余裕がなく、教育費にまで回せないような子どもたち」のことが頭に浮かびました。家庭のさまざまな状況により、本当は学ぶ意欲があるけれど、その意欲を引き出してあげることができないような事例が、数多く存在すると私は感じているからです。
例えば、家庭に親がいなかったり、食べていくだけでせいいっぱいだとしたら、学習面に目をつぶることになるのは致し方ないとも感じます。まず生きていくことが第一ですから。家庭内で生活のリズムができていないと、それは学習面にも反映してしまいます。
でも、それで仕方がないと片付けてしまっていいことであるはずがありません。子どもが将来自立して生きていくことを考えたら、学習面は疎かにできないはずですし、教育費をかけられないからといって、子どもが本来持っている学ぶ力を削いでしまうことは、とても大きなその子にとっての損失になるはずです。
私は、「多額の教育費をかけなくても学力(学ぶ力)をつけることができる」ということを証明したいとも思っています。それはすなわち、子どもの持っている可能性を引き出し、その子が進みたい道に進み、社会の中で自立(自律)して生きていくことです。福澤諭吉のいう、「一身独立と交際」という言葉にまとめられるかもしれません。
そのようなことは、もともとは学校の中で身につけてしかるべきことなのでしょう。でも、現実的に考えて今の学校ではそれが叶っていません。ゆくゆくはそれが叶えられる学校になって(復活して?)ほしいと思っていますが、一度崩れてしまったものを立て直すには時間がかかるでしょうから、私は私のできることを微力でもやっていくことが大事ですし、そこからしか始まらないと感じています。
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