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《波多野さんは当時、市役所の障害福祉のケースワーカーとして、行政でさまざまな相談を受ける立場にいました。波多野さんとの出会いは、1999年療育サロンを開設したときに、地域の関係者として訪ねてきたことから始まっていました。私たちは行政と親という立場は違っても、ネットワークづくりへの思いで共感し、すっかり意気投合しました。ネットワークサロンを立ち上げたときには、市役所に所属しながらもネットワークサロンの裏のスタッフとして関わり、法人化の際にも理事の一人として名を連ねていました。
波多野さんはお母さんたちの相談を受けるなかで、新しい通う場所をなんとか釧路に実現したいと感じましたが、つくるうえで気をつけようと強く思ったことが3つあったといいます。
まず1つは「親が骨身を削ってつくることはさせない」です。親ががんばってがんばって、ときにはバザーや寄付をして施設をつくってきたのが今までの障がい福祉の歴史みたいなものですが、そのときたまたま必要だった人たちが、がんばればがんばるほど、そのあとになんの苦労もせずに利用する人とのギャップが生まれるという弊害を実際、強く感じてきたのです。
次に「運動してきた人のためだけの場所にしない」ことです。運動してきた人たちを中心にした非常に限られた人、多くは障がい種別や障がいの状況で限定されるのですが、そうした人たちだけの場にはしたくなかったといいます。
3つ目は「簡単、お手軽に必要なものができることを証明したい」ということでした。釧路では、それまで必要な資源や施設をつくるのに、何年も場合によっては10年以上経っても、実現しないものがたくさんありました。
そうした状況の中で、多くの人たちは「言っても無駄だから」とか「実現できないならあるもので妥協しよう」という雰囲気になってきています。この状況の中から本当に必要なニーズが出るわけもなく、ますます釧路が資源の乏しいまちになっていくという思いがありました。
言ったものがお手軽にできれば、「次はこれもあったらいいな」とか「こんなものがあったら便利だな」という思いを口にすることができるのではないかと、考えたのです。》
●上記にある3つのことがらは、いろんな場面で応用できることなのではないでしょうか。
私もこれまで、いろいろな会を主宰してきましたが、「風通しがよい人間関係」こそが大事だと感じ、「出入り自由、長くいるものが大きな顔をしない」ことをいつも念頭においていました。
上記のことがらは、それに通じるのではないかと思います。
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