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2月下旬、広瀬隆さんの講演会が札幌でありました。広瀬さんのお話を聞くのは、20年ぶりくらいとなるのではなかったでしょうか。
広瀬隆さんの著書を、私は一時期貪るようにして読みました。そのきっかけは、広瀬隆さんの講演録が入った一本のカセットテープです。私はそのカセットテープを、私の恩人ともいえる一人の女性から貸していただきました。「いいだ君、これ聞いたらいいよ」とさりげなく渡されたのでした。
●私は東京在住時、1987年頃、自然やエコロジー、フェミニズムなどの本を取り揃えた小さな本屋で月に数回アルバイトをしていました。アルバイトといっても給与は多分スズメの涙ほどだったと思いますが、それで満足していました。
なぜなら、そこの本屋さんに一日いられるというだけで、とても満足していたからです。小さいながらも自分に関心のある本がぎっしりと詰まっていた空間に、一人で店番をしている時間は至福のひとときでした。
人通りの多いところにあったわけではないので、その本屋さんを目指して遠くからいらっしゃるようなお客さまが多かったように記憶しています。そのようなお客様と応対して少しの会話をすることもうれしい時間でした。
また、店の奥の部屋は貸しスペースとしてあり、自然食関連の研究会や、男性店主が山岳ガイドとして活躍されていたことから、そのための集まりなどに使われていたと思います。
東京に出たてだった私は、自動車工場の期間契約社員として稼ぎを得ながら、休日には『もうひとつの日本地図」という本を片手に、「オルタナティブな場(単に稼ぎとしての仕事に留まらないような社会的に意義のあることをしている場)」を求めて歩き回っていた時にこの本屋さんと出会いました。
「こんな本屋で働けたらいいな…」と思っていた矢先、お店の壁に「アルバイト募集ー日曜日に働ける方」というような張り紙があったので、私は即座に申し込んだのでした。
●女性店主は、東京に出たばかりで何かをやりたい意欲はあっても、右も左も知らないような私に、いろいろな方を紹介してくれたり、いろいろなお店や場所に連れていってくれたりしました。
そしてちょうど‘反原発運動’が最大の盛り上がりを見せはじめ、広瀬隆さんが『東京に原発を』という著書を出版した頃、私は広瀬さんのテープを聴いて衝撃を受けたのでした。この世の中には、自分が知らない重大なことが存在していることを知った大きな体験でした。
女性店主は自分で歌を作っての音楽活動もやっており、当時日比谷公園で催されて最大の盛り上がりを見せた反原発集会のステージでも歌ったり、その後も私に大きな影響を与え続けてくれましたが、私が1995年に札幌にUターンしてほどなく、交通事故により帰らぬ人となりました。
私の東京に出たての頃を知っている人がいなくなってしまったことにとても大きなショックを受けました…。そして、彼女から得たものを、私の身近なところから実現していくのが、彼女も望んでいるのだと思い、行動していこうと心を新たにしました。
彼女が求め、望んでいたのは、「世の中の人が皆生きやすい暮らしやすい社会になること」だったのではないかと感じています。
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