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今回日置さんといっしょにいらした冬月荘コーディネーター・高橋信也さんの経歴を私は初めて知って驚きました。以下、自己紹介文よりー
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「ここにたどり着くまで、ホテルのフロントマン、看板製作、鉄工所での塗装、溶接など、福祉とは関係のないさまざまな職業を経験。
2007年の夏、求職中にハローワークで見つけた求人で「地域福祉コーディネーター」を偶然見つけ、応募し、これまた偶然に採用が決まる。
現場に入ってから試行錯誤を繰り返し、「地域福祉コーディネーターとは何か?」と問い続ける。」
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私は講座の最後の質問タイムに、日置さんに一つお聞きしました。その内容は以下のようなものです。
「求人をする際に、友人知人のつながりから採用することもできたと思うんですが、敢えてハローワークを通した理由はあるのでしょうか? これまでの福祉の考えに染まっていないようなまっさらな人材をと考えたのでしょうか?」
日置さんはこれに対して、丁寧に答えてくださいました。
「いっしょに考えて新たな場を作り出していってくれるような、これまでの福祉の概念に染まっていないような方」が必要だったこと、失業率の高い釧路で仕事を求めている方々に少しでも雇用の場を創出したかったこと、などの理由で、敢えてハローワークを通して求人したとのことでした。それに応募して採用されたのが、高橋さんだったのです。
私が想像した、いや、それ以上の?お考えから、ハローワークで求人したことを知ることができました。
なぜ私がこのことを知りたかったかというと、私自身、もともと、学校の先生になるとか、塾を開くとかいうことを考えもしなかった人間だったからです。
しかし、「教えない教育」と言われるらくだメソッドに東京で出会った後、父親の介護のために北海道へUターンし、介護の手が離れた後は全くの未定だった私は、結婚して子どもを持つことを機に、「自分の子どもにらくだメソッドをやらせたい」という気持ちから、北海道ではまだ誰もやっていなかった「らくだの教室」を開塾することを決めました。それが7〜8年前のことです。
らくだメソッドの開発者である平井雷太さんは、「学校の先生はどうしても‘教えたがる’。だから、既存の教育に染まっていない人の方が、らくだの指導者には向いているんです」とおっしゃいました。私はこの言葉に勇気を得ました。そして、「どんな子どもにも学力、そして社会を生き抜いていく力をつけられる」らくだメソッドをここ北海道でも必要としている子どもがいるに違いないとも思ったことが、開塾したもう一つの大きな理由です。
●高橋さんは、「当事者」として皆が関わる冬月荘において、自分は「当事者」ではないのではないかと悩んだ時期があったそうですが、「本当はみんなが地域の当事者=生活当事者」という言葉を聞き、気持ちがふっ切れたそうです。
これを聞いて私はなるほどと思いました。私自身、いろいろな場において「当事者」になることができると思うと、勇気を得ます。
また、「地域福祉コーディネーターという横文字に引かれて(?…高橋さん談)」就職したはいいが、どのような仕事をすればいいか明確にはわからないでいた高橋さんは、「現場に入ってから試行錯誤を繰り返し、『地域福祉コーディネーターとは何か?』を問い続けている」とのことです。
私は、その場にいる誰もが「自分がコーディネーター」だという意識を持てば、みんながコーディネーターになるのだと思っています。コーディネーターにとって一番大切なのは、「聞くこと(その場にいる人の話に耳を傾けること)」だとも思います。そのような意識を持つ人が多くいる場こそ、みんなが過ごしやすい場になるのではないでしょうか。
高橋さんは、「地域福祉コーディネーター」という求人に応募して採用されたのですから、すでにその時点でコーディネーターであり、その場にいながら日々考えて行動していけば、高橋さんなりのコーディネーターができ上がるのだと思います。
「“まじくるフェスタ”を札幌でー」
先週末日置さんとお仲間たちが釧路で開催した「まじくるフェスタ」は、さまざまな分野の方々が一同に会して融合するような集まりとして、とても意義深いものになったと聞きました。私は残念ながら参加することができず残念だったのですが、「次は札幌で!」という声が上がっていると日置さんがおっしゃっていたので、私もその実現に向けて何らかの協力をすることができればと思いました。
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