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第2章 学校で身につけさせたい三つの力 から
1 学校とはどういうところか より
《学習をとおして、学力をつけようとすることをとおして培われるもの、そこに学校教育のほかに代えられない価値があるのではないでしょうか。
たとえば、教師の説明のしかた、子どもの発言への返し方、子どもどうしの発言の結びつけ方、あるいはその課題に対する教師の思いや、表情やしぐさ。学習をとおして一定の成果を出したときに教師がうなずいて認めてくれたとか、にこっとして「がんばったね」といってくれたこと。
同級生の意見が自分と同じで安心したり、逆に自分とはまったく違う発想の発言に刺激を受けたことーそういうものすべてが、子どもにとっては、知識が身についてよかったという以上に財産になり、宝物になります。
また、実社会では努力と成果がかならずしも比例しませんが、学校では、学力をつけるという点において「がんばればできる」「努力すれば評価される」という経験をさせることができます。このような経験の積み重ねが自己肯定感を養い、未来へ希望をもつことを可能にするのではないかと思います。》
●「学力を身につける過程での経験が宝物に」ということに異論はないのですが、後半の、「がんばればできる」「努力すれば評価される」という経験に関して、あまり強調しすぎるとしたら、ちょっと違和感が私にはあります。
現実的には、「がんばれない(ように見える)子」も、努力していても評価されない子もいるだろうと思うからです。
ひとり一人の子どもに配慮して、それぞれの子に見合ったことができればいいですし、教師にはそうあってほしいですが、いつもそれが完璧にできるわけでもないでしょう。
そう考えると、「それぞれの子のそのままをありのままに受け入れる」ことから始めるのが第一のように私は思うのですがー。
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