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2 学校でつけたい力1 真理・真実への信頼 から
世の中とは違う「ゆとり」を学校に より
《時間をかけて何か一つのことを完成するとか、一つのことに到達するという体験、こういう見こみでやり続けたらそのとおりになったという満足感。役に立つかどうかということを前提にせずに、時間をかけたり間違ったりしながら一つの結果にたどりつくというよろこび。
そういうことを何度か繰り返すなかで、「つまらないけど、面倒くさいけど大切だ」という感覚が育っていくのではないかと思います。》
3 学校でつけたい力2 想像力 から
自己中心性と万能感の修正 より
《想像力や人に共感する力がなく、自分を別の立場に置き換えることができないのは、この自己中心性と万能感の適度な修正ということがうまくできなかったからではないかと思います。
なぜうまくいかなかったか、その原因については極端に違う二つの要因が考えられています。
一つは、少子化などの影響で「あなたが一番」といわれ続けて、子どもっぽい万能感をそのまま引きずって大人になってしまったということです。自分が一番なので、もうほかの人のことを考える必要が感じられないのです。
もう一つは、逆に、自己中心性と万能感の適度な修正のためには「愛されている」とか「自分が必要とされている」という自信が必要なのに、それが与えられてこなかったということです。ほかの人が自分と同じこころをもった存在であるということは知っているけれど、自分自身が不安なために、「関係ない」「自分のことだけ考えていればいいんだ」と、他者を受け入れることを拒否している状態です。》
●上に記されている「二つの要因」は、現代の多くの子どもたちに当てはまることではないでしょうか。
私は、「勉強」よりもずっと大事なことが上に記されていることだと思っています。「勉強」なんて強いることをせずとも、「想像力や人に共感する力」があれば、勉強なんて自分からやるようになるものではないでしょうか。
そのような力が育まれている子どもの場合、親とのコミュニケーションが円滑にいっているということになるのでしょうから、子どもと話をした上でそれぞれの子に合った学習をすればいいだけでしょう。
そうでない親子の場合、勉強はただ強制するものになってしまいがちですから、それはやったとしても言われたからこなしていっているだけであって、小学校高学年から中学校に入る頃には、「自己中心性と万能感」のみが一人歩きしてしまうような子どもになってしまう可能性があります。
特に、「前思春期」と言われる小学校中高学年の時期からの子どもへの接し方が不十分なままだと、その先にはさまざまなかたちの子どもから親への「反撃」が待っていると考えた方が無難です。
人生に荒波はつきものなので、それを乗り越えるのも醍醐味と言えなくもないでしょうが、できればそちらにエネルギーを注ぐよりも、もっと別の何かにエネルギーを注げる状況の方がいいのではないかと感じます。
親の多忙さを理由に、子どもにとって一番大事な時期のコミュニケーションを怠ることだけはしないよう、自分自身の反省を踏まえて伝えていきたいと思うこの頃です・・・。
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