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原因と結果 より
《それは、人間は“ほんとうに重要なことについては、ほとんど必ず原因と結果を取り違える”、ということです。
コミュニケーションはその典型的な事例です。
私たちに深い達成感をもたらす対話というのは、「言いたいこと」や「聴きたいこと」が先にあって、それがことばになって二人の間を行き来したというものではありません。そうではなく、ことばが行き交った後になって、はじめて「言いたかったこと」と「聴きたかったこと」を二人が知った。そういう経験なんです。
これは人類がコミュニケーションということを始めた、そもそもの最初からずっとそうなんです。》
話は最初に戻って より
《“相手に「君が言いたいことはわかった」と言われると、人間は不愉快になるんです”。
メッセージの正確な授受ということがコミュニケーションの真の目的だとしたら、“メッセージが正確に受け渡しされたときに不愉快になる”というのはおかしいですね。
ということは、もしかするとコミュニケーションの目的はメッセージの正確な授受じゃないのではないか……という疑問が湧いてきます。
コミュニケーションの目的は、メッセージの正確な授受ではなくて、メッセージをやりとりすることそれ自体ではないのでしょうか?
だからこそ、コミュニケーションにおいては、意思の疎通が簡単に成就しないように、いろいろと仕掛けがしてあるのではないでしょうか? そうすれば、コミュニケーションがどんどん延長されますから。》
●「コミュニケーションにおいては、意思の疎通が簡単に成就しないように、いろいろと仕掛けがしてある」とは、なんとも愉快な論点だと私は感じます。
そのような認識を持てると、人間関係においてむやみやたらと悩むこともないでしょう。
「メッセージをやりとりすることそれ自体がコミュニケーションの目的」なのですから、「伝わらないことが前提」でやりとりをすればいいだけの話です。
本当に伝わらないと困るようなことがもしあるのなら、「どのように伝わったか?」を確認すればいいだけのことです。ほとんどの人は、そのような「確認作業」を怠ったがために、「伝わった、伝わらなかった」「コミュニケーションできた、できなかった」などのことで思い悩んでの堂々巡り状態に入ってしまうのではないでしょうか。
私自身、このようなコミュニケーションの本質を体感したのは、平井雷太氏による「インタビューゲーム」によってですから、あまりエラそうなことを言えるわけではありません。
私は、小中学生のうちから「インタビューゲーム」的なワークショップを、できれば学校教育の中に組み入れてほしいものだと私は思っています。
子どもたちに「ケータイ」的なものがどんどんと普及している現在、「インタビューゲーム」のようなコミュニケーション・ワークショップを体験しているかどうかは、今後の人間形成の上でとても大事なことだと感じます。
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