さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

宮台真司

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 【「君に向いた仕事なんてあるの?」】より

《実際「仕事が向いていなかった」という理由で辞める人のうち、「ステップアップ」の転職ができる人はわずかだ。多くの人は「ステップダウン」つまり、前よりも条件の悪い仕事に再就職する。この人たちは、永久に「向いた仕事」に就けないかもしれない。

 ぼくの教え子にもそういう人は少なくない。ぼくは彼らに聞く。「向いた仕事じゃなかったっていうけど、そもそも君に向いた仕事なんてあるの? 会社が複数あったとしても、君程度の人にわざわざ『向いた仕事』の座席を用意してる会社なんてあるの?」と。

 自分の望む人生のイメージが仕事なんかに直結してしまうことが、ぼくには信じられない。そういう人は、「いい学校・いい会社・いい人生」を真に受けて、「自分はこれさえあれば幸せ」というものを見つける「試行錯誤」をサボってきたんだろう。それじゃあダメだ。》


●「自分に向いた仕事」が仮にあったとして、そのような仕事にすぐ就けたとしたら、それで幸せだろうか? 
もちろんそのような人もいるでしょうから、それで満足できている人は羨ましいかぎりです。
が、単に自分の可能性を限定し、その小さな枠の中に自分の人生を閉じ込めてしまおうとしているようにも感じます。

 「仕事」というのは、基本的にどんなものであっても、自分から合わせていくものではないかと私は思っています。また、人間はそのように合わせられる、つまり柔軟に変わることができる能力を持っているものなのではないかと思います。縁が合って出会ったものに対して飛び込んでいく、できるできないを考えずにやってみる、ということが一番大事なのではないでしょうか。

 そうすることによって、時代がいくら変化しても、それに対応して生きていくことができるのではないでしょうか。

 《「自分はこれさえあれば幸せ」というものを見つける「試行錯誤」》というのは、なるほどと思います。私はこれを行ってきたのだなぁ、と感じますからー。

4、〈理想〉と〈現実〉ー君が将来就く「仕事」と「生活」について から
 【近代学校教育のモデルは軍隊と監獄】より

《まず、ぼくたちのいまの社会にいろいろとある仕事が、自然でも当たり前でもないことを、ちゃんと理解しよう。とりわけ、明治維新以降、日本が工業的に発展するプロセスで、みんながふつうに考えているような仕事のイメージが、人工的に作り出されてきたんだね。

 江戸時代の農村の人々は、めいめい時間を決めて働いていたんだけれど、明治の近代化で、その人たちを時間的に管理された工場労働にかり出す必要が出てきた。そのためにまず、それまでの村人としての意識と体に染み着いた生活習慣を変えてもらう必要があった。

 そこで導入されたのが、近代の学校教育だ。近代の学校教育には2つのモデルがある。軍隊と監獄だ。軍隊は、戦いに勝つために、体に規律を覚えさせる独特の方法を持っている。監獄は、囚人の社会的な更生をうながすために、規律正しくふるまわせる方法を持つ。

 学校の準備体操では「整列! 気をつけ! 前へならえ! 休め!」とやる。これは準備体操にとって必要じゃない。じゃあ、なんのため? 号令によって、みんながいっせいに規律正しく集団で行動する習慣を身につけるためだ。これは、軍事教練から借用したものだ。

 一方、19世紀のイギリスでベンサムという人が、監視に労力をかけなくても囚人たちが、いつ見られているかわからないと思ってビシッとする、合理的な監獄の管理システムを考えた。実は、君がよく知っている教室の空間的な構成から内申書まで、その応用だ。

 軍隊と監獄をモデルにした近代の学校教育は、農村の人々を都市労働者として編成し直すのに役立った。雨が降ろうがヤリが降ろうが時間通り出社し、規律正しい集団行動で、安くていいものを大量生産する競争に加わる。そんな都市労働者が誕生することになった。》


●このことに関して、私はある程度知っていましたが、あらためてなるほどなぁと思いました。
 近代化とは一律管理化と同義なんでしょうね。
 転換期にあるだろう今の時代、そのままのシステムでうまくいくはずはないでしょう。

3、〈こころ〉と〈からだ〉ー「恋愛」と「性」について考えよう から

 【幸せな人生のコスト配分を考える】より

《ぼくは大学受験のとき、受験勉強は1日4時間までと決めていた。だから1浪したけれど、予備校時代も同じで、4時間勉強したら、あとは本を読むか、音楽をきくか、町に出て映画や演劇を見るか、あるいは友だちの家で徹夜でおしゃべりした。革命家になるためだった。

 いまにして思えば革命家うんぬんは見当違いだったけれど、勉強の時間を短くしてよかった。いろいろ経験できた。いい大学にいくのも重要だろうけど、「1日4時間だけ精いっぱい勉強して入れるくらいのところに入る」くらいのコスト配分が、一番いい。

 残りの時間は「将来の自分が、ちゃんと人を愛し、ちゃんと人から愛されるために必要なこと」「将来の自分が、ちゃんと社会を大切にし、ちゃんと社会から大切にされるために必要なこと」を身につけるのに使おう。幸せになるには、ムダなことに時間を使っていられない。

 いまの時代、勉強ばかりに時間を使うのは、「機会費用」の観点から見て不合理だ。「勉強してエラくなれば、いろんなものがついてくる」みたいな考えは、もう通用しないんだ。成功して豊かになった君に、あとから人がついてきたら、そいつは金目当ての可能性が大だ。》

●「幸せ」と「コスト」という言葉が、どうも不釣り合いに感じるのは私だけではないと思いますー。
 「幸せな人生のコスト配分」というもの言いや、「1日4時間だけ・・・」、等などの断定的な言い方は、宮台氏独特のものなのでしょうが、この本が14歳に向けて書かれているとしたら、ちょっとどうかなぁ、と思ってしまいました。

 このような言い方をして、敢えて反感を持たせて考えさせようとしているのかな、とも思ったりしましたが、14歳だったらこのまま信じ込んで行動する可能性の方が大きいのでは?

 ただ単に勉強するだけではしなわせな人生が掴めない、ということを言いたかったのだろうとも思いますし、「成功して豊かになった君に、あとから人がついてきたら、そいつは金目当ての可能性が大だ」ということは頭に入れておいた方がいいかもしれませんが、「幸せになるには、ムダなことに時間を使っていられない」というのは、違うでしょうと私は思います。
 本当に宮台氏はこんなことを思っているのかなぁ、とちょっと不思議です。

:『14歳からの社会学ーこれからの社会を生きる君に』(宮台真司、世界文化社)を読んでー2


2、〈社会〉と〈ルール〉ー「決まりごと」ってなんであるんだ? から
 【タフな「エリート」の育成が必要】より

《誤解しないようにいうと、ぼくのいう「エリート」は、昔の日本社会で通用した「東大→官僚=自己実現」みたいなタイプの人間じゃない。「幸せは人それぞれ」のいまの社会で「それでも多くの人が幸せになれるルールがあるはずだ」と考えられるタフな人間のことだ。

 バスの運転を考えよう。お客さん(大衆)は「とにかくできるだけ早く目的地(自分の幸せ)に着きたい」と思っている。運転手(エリート)はそれでも安全を心がけながらお客さん(大衆)の要求にこたえようとする。それには、専門的な知識と経験が欠かせない。

「幸せは人それぞれ」。都会には都会の、田舎には田舎の、エリートにはエリートの、大衆には大衆の、幸せがある。多くの人が幸せになれるルールを考えることがエリートの幸せだ。大衆は、専門的なことはエリートに任せて、それぞれ幸せになる道を考えればいい。

 これは、長い目で見てぼくたちの「選ぶ能力」を上げる方法だ。民主制を否定するんじゃなく、うまく機能させるために、みんなで決めるんじゃなくて「エリート」が3つくらいにルールの選択肢をあらかじめしぼって、大衆に聞く。さもないと失敗をくり返しているうちに死んでしまう。

 実例を挙げよう。ドイツでは小学校高学年の段階で、エリートになる学校に行くかどうかを決める。エリートにならないと決めたら、そのあと早い段階でどんな仕事に就くかを決め、専門的な訓練を始める。小学校高学年の段階で決めて、あとで選び直す子もいる。

 多くの子どもはそこで決めた道を歩む。親や子どもは、絶えず選択に迷ったり競争したりする必要を、まぬがれる。いつまでもエリートを目指して競争するのは、つらい。だったら、さっさとあきらめて、あきらめたあとは自己を卑下せず、エリートを尊敬するのがいいー。

 ドイツに限らず、イギリスでもフランスでも、エリートに任せて尊敬する文化がある。逆にいえば、エリートになれないことを引け目に感じない文化がある。社会学では、これを「階級社会」という。日本で「階級」というと悪いイメージだけど、社会学はそうは考えない。》


●高校進学90パーセント以上、そして大学全入時代。しかし、その中身は・・・。
 いいかげん、この国も、「生きていく道は一本ではない」ことを前提にした教育システムに舵を切っていかないといけないと思うのですがー。

1、〈自分〉と〈他人〉ー「みんな仲よし」じゃ生きられない から
 【自分に「価値がある」と思えるか】より

《アイデンティティというのは、会社をクビになろうとどうなろうと、あれこれ失敗しようが、「自分は自分だ」といい続けられる根拠、つまり「尊厳」のことだ。君がこれから大人になるときに確実に直面するのが「尊厳」の問題だ。君は自分に「価値がある」と思えるだろうか。

 それは君が“「みんな(他者たち)」がいるから「失敗しても大丈夫」”と思えるかどうかだ。小さいころ「みんな」にちゃんと「承認」された結果、大人になっても「承認」を求めて右往左往しなくて済むように育っていればいい。でも、君たちの多くはそうは育っていない。》


●子ども時代に「承認」されていないと、大人になっても「承認」を求めて右往左往…このような「大人」は決して少なくないですよね。人は人生のどこかで、「承認」を求める行動に必ず出るのではないでしょうか。

 そういった意味で、子ども時代にいかに過ごすかは、とても大切なことですが、それが叶わず大人になる子どもはどんどん増えているはずですから、そのことを頭に入れて、そんな人が身近にいたら、フォローしてあげないといけないのでしょうね。

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