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阪神淡路大震災

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 ネット検索をしていくと、「クローズアップ現代」の内容を細かく報告している文章に出会いました。
 以下に紹介します。
                        *

 J CAST テレビウォッチ より http://www.j-cast.com/tv/2010/01/15057993.html
 「私見 クローズアップ現代」

「神戸の経験」こう生かせ ひと味違う災害支援とは
 2010/1/15 15:12

<テレビウォッチ> 15年前の阪神・淡路大震災には100万人を超すボランティアが駆けつけたといわれる。その1人である吉椿雅道(当時27才)は今、2008年5月に発生し、8万7000人に及ぶ死者・行方不明者を出した四川大地震の被災地にいる。神戸の災害救助NGOから派遣され、ボランティアを続けているのだ。番組は彼の活動ぶりを追う。

???新築ビルが建ち並び復興著しい四川省の都市部とは対照的に、周辺部は回復が遅れている。他国のボランティアが立ち去る中、残った吉椿は毎日、車で3時間かけ光明という農村に通う。当初、警戒気味で話そうとしなかった村の人もこの頃は親しく話を交わす。ひたむきにガレキの片づけをする彼の姿が村民の信頼を得るようになったらしい。

復興まで継続

???吉椿は「支援で1番の根本は被災者の声」と言う。この信念は15年前の経験で培われた。神戸入りしたばかりの頃は、被災者にどう声をかければいいか分からず無力感を覚えた。が、少しでも疲れを癒せればと足湯ボランティアを始めたところ、被災者が呟くように心の内を話してくれた。「特別の技能を持っていなくても、寄り添って話を聞いたり、一緒に泣いたり笑ったりするだけで、いつの間にか人の役に立っている」

???加えて、復興するまで継続して支援する姿勢が、神戸発災害ボランティアの国際社会での評価を高めているという。これまで、インド洋大津波に襲われたスリランカでは、子を残して働きに出る女性の声に応えて幼稚園を再建し、パキスタン大地震では、夫を失った女性たちの自立を援助する職業訓練センターをつくった、と番組は伝える。

???光明村では何が最も必要かを考えた吉椿は集会所の建設を思いつく。自分の生活を守るのが精一杯で人のつながりが薄れており、住民同士のきずなを取り戻すことが最優先だと気づいたのだ。耐震にすぐれた木造建築にして、井戸端会議ができる中庭をつくり、格安で受診できる診療所を併設する計画で、費用は、日本からの寄付金をあてるという。「僕がたった後も彼らが自主的にやって行ける」

祭り再開で笑顔

???吉椿に、もうひとつアイデアが浮かぶ。地震以来途切れていた村の祭りを、集会所の建設予定地で再開しようというのだ。準備に精を出す村人の期待も空しく、祭りの当日は朝から雨。しかし、人々はシートを持ち寄って懸命にテントをつくる。その中で民族衣装の女性たちが着飾って嬉しそうに踊りまくる。見守る人たちの笑顔も晴れやかだ。「日本のボランティアがこの村に未来の明るさを運んでくれた」と、年配の女性は涙をふく。視聴者だけでなく、吉椿にとっても、感動が刻まれたときだったのではないだろうか。

???国谷裕子キャスターによると、大地震が起きて被害が心配されるハイチへ向けても日本のNGOが動き始めたという。カリブ海の島国でも、神戸発災害ボランティアの活躍が現地の人を勇気づけることだろう。

                   アレマ *NHKクローズアップ現代(2010年1月14日放送)

 私は心の底から驚きました。こんなに驚いたのも久しぶりのことです…。
 
●阪神淡路大震災から15年ーそこで学んだことを今に活かして活動を続ける男性は…

 1月17日が近づくと、毎年テレビ、ラジオ、新聞などで、震災関連の特集があります。震災から一週間後に現地へ赴いた私は、それらの特集を見ないではいられません。14日の夜の「クローズアップ現代」(NHK)も、震災関連の番組だったので、録画して後で見ました。

 今回はどんな特集だろうと見てみると、阪神淡路大震災の援助活動から学んだことをその後も活かして、世界各地の被災地へ行って活動している人たちを取材したものでした。

 今回取材の中心となっていたのは、数年前に起こった中国の四川大地震の後数日で現地に入り、その後今までずっと現地に滞在し、被災した方々のケアを中心に活動している男性でした。

 四川大地震でも、世界各地からボランティア団体や個人が飛んで行き、さまざまな活動があったそうですが、今なお現地に留まって活動を続けている外国人はほとんどいないとのことです。それはそうでしょう。

 その、今も居残って活動している男性の顔がテレビ画面に映ったとき、なぜかどこかで見覚えのある顔だなぁと思いました。そして、彼の名前が紹介されたその時、私は我が目を疑いました。
「吉椿雅道、42歳」・・・この珍しい(?)名前ー忘れもしません、神戸で共に活動した中の一人の男ではありませんか!!

●NPOの一員として、ずっと「現場」で伝えてきたことは、「神戸で学んだこと」ー

 「ど、どうして彼が、四川大地震の現場にいるんだ…」と思い、その後の番組をまさに食い入るように見ていくうちに、だんだんとその理由がわかってきました。

 彼は私たちとの震災援助活動後、いったん故郷の福岡に帰ったと思うのですが、その後再び神戸に来て援助活動に従事していたのでしょう。その後月日が流れ、神戸での震災援助活動では表立ってすることがなくなったかもしれませんが(心のケアなどはなくなることはないと思いますが)、その後も世界各地で天災が起こっていたことから、そのような被災された方々に神戸での経験を活かして何かすることができないだろうかと思う人たちが集まり、NPOを立ち上げたとのことです。それに彼、吉椿氏も加わり、世界の被災地に派遣されるようになったー(私の推測も交えて記しています)。

 吉椿氏をネット検索してみると、彼に関するものがたくさん出て来て、私は彼のこれまでの歩みを知ることができました。

                        *

「減災に挑む30のストーリー いのちを守る智恵」 より、
 吉椿雅道(よしつばきまさみち)氏プロフィール

1968年 福岡県生まれ。
幼少より武道を学び、大学在学中、東洋医学(整体、気功など)の先達に師事する。
またそのかたわらNGO(先住民、山岳少数民族の支援活動)に加わる。

1995年阪神淡路大震災直後に兵庫区、長田区でボランティア活動を行う。その後、福岡に県外避難者を支援するボランティアグループを立ち上げる。‘99年より‘02年までアジアを歴訪。各地の伝統医療やNGOの現場を見て歩く。04年中越地震では被災地NGO協働センターのスタッフとして「足湯ボランティア」などの活動を行う。05年パキスタン地震、06年ジャワ島地震の現場にCODEスタッフとして派遣される。現在、全国各地の防災・減災の智恵を拾い歩いている。

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