さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

らくだ学習

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 前のページ ]

【「無人島ルール」を知っていますか?】

《報酬は常に集団によって共有される。
 “個人的努力にたいして個人的報酬は戻されない”というのが労働するということである。個人的努力は集団を構成するほかの人々と利益を分かち合うというかたちで報われる。

 だから、労働集団をともにする人の笑顔を見て「わがことのように喜ぶ」というマインドセットができない人間には労働ができないのである。

 これは子どもの頃から家庭内で労働することになじんできている人には別にむずかしいことではない。みんなで働き、その成果はみんなでシェアする。働きのないメンバーでも、集団に属している限りはきちんとケアしてもらえる。

 働くというのは本来「そういうこと」である。

 だが、社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就職活動しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。 
 どうして自分の努力の成果を他人と分かち合わなくてはいけないのか?》

●内田さんは「子どものお手伝い」、つまり家庭内での子どもの無報酬労働?の大切さをことあるごとに説いています。なるほどなぁと思います。

 自分が働いて(家庭の仕事を手伝って)、「ありがとう」と言われる体験をしてきたかこなかったかは、その子の成育過程においてとても大きな意味を持つのだということを、世の親たちに伝えていかないといけないのですが、そのように育って来なかった親たちが聞く耳を持つかは疑問です。
 これは本当に大事なことで、勉強ばかりさせている場合ではないはずです。

 我が家では、「自分の仕事(らくだ教材をする、洗濯物を片付けるなど)と家の仕事(ゴミ出し、食事準備など)の方が学校の勉強より大事」だと、子どもに伝えています。

 今朝なども、自分の洗濯物が山積みになっていたので、「洗濯物を片付けてから学校に行く」こと、つまり、「洗濯物が片付かなかったら学校には遅れていくこと」を申し渡しました。

 もちろんやりかたは家庭それぞれですし、子どもの性格などによっても違って当たり前ですから、みな一様にこうしたらいいと言っているわけではありません。

 ウチの場合は、「学校大好き」タイプなので、「学校に行くより大事なことがある」ことを伝えたいだけですし、中学生になった今、高校生になる前の「この3年間で何を伝えるか」が勝負と思っていますから、「親にとっても厳しい3年間」になると覚悟をしてのことです。

 ウチの子は、小学校を通してほぼ毎日やって来たらくだ教材により、いわゆる「基礎学力」「学ぶ意欲」「学習する習慣」は身につきました。だから極端に言えば、この先学校に行かなくなったとしても大丈夫なのです。大丈夫ということは、「自分で何かをやりたくなったらやろうとする力」が身についていると言えるからです。

 だから、学校の成績で一喜一憂することはありません。初めての定期試験の結果が返ってきましたが、「そんなもんかー」と思っています。もっといい点を取りたいと思ったら自分でやるでしょう。やらないで悪い点を取るのもいい経験です。

 中学生になってやることが増え、自分の時間が少なくなってきた今、「らくだを毎日やる時間を作る」ことが、一番大変なことなのです。ウチはここだけは妥協しませんから?、子どもにとってこの先も厳しい日々が続くのです…?

 ちなみに毎日朝6時に起きて、数学と英語を1枚ずつ、大体30〜40分やることになります。中1プリントの終盤に近づいたので、「まだ習っていないことを自分の力で」やっています。1日のうちのこの時間で、これから生きていく上で必要なさまざまな力が身についていっているーはずです。

 講座「『学力低下問題』を考えるー日本語力の低下との関連でー」のお知らせが新聞に載っていたので、参加してきました。
 講師の方は現在「文章表現力の育成」をご専門とされている大学教授の方でしたが、これまでに、高校長や北海道教育委員会に勤められたりしていたとのことで、北海道の教育事情に関して大変詳しい方でした。
 
 先生は今回の講座にあたって大変詳細なレジメを用意され、これに沿って話が進められましたから、とてもわかりやすい内容の講座だったと感じます。その中から特に印象に残った部分を書き記しておきます。

●学力低下問題は、いつの時代でもあった…?

 「学力低下問題の歴史的推移」(先生のレジメより、※は私の加筆)

1、戦前…教科カリキュラム中心
2、昭和20年代…経験カリキュラム中心(問題解決能力重視)
    24年頃…新聞に「学力低下」と報道
3、昭和30年代…教科カリキュラム中心(系統的・体験的知識を重視)
    40年代前半…教育内容の現代化、理数で最先端の知識
    40年代後半…詰め込み教育、偏差値教育。「落ちこぼれ」が多数
4、昭和50年代…ゆとりと充実(基礎・基本と個性の尊重) ※現在もこの流れ
    60年代…自己教育力(学習意欲や学び方)
5、平成14年…学習内容の3割削減、生きる力(問題解決能力重視)
        教科カリキュラム+総合的な学習 が柱
6、現在…「学力低下」が社会問題化
       ゆとり教育に反発、学習内容の3割削減と学校週5日制に批判
                             ※戦後に似てきている?

●学力とは何かー

 先生は、外国での「学力」の意味と、日本での「学力」の意味の違いを指摘されていました。
 英語でそれは“アカデミック・アチーブメント”であり、「学業達成度」、教えたことを生徒がどれだけ身につけたかと見るものということでとてもわかりやすいのですが、日本では、いわゆる学力と、「学ぶことに対する意欲、関心、動機、心構え」の二つの面があり、わかりにくくなっているとのことでした。

 また日本では、「測定された学力」の基準も曖昧であり、その時代時代によって採点基準を変えたりもされます。
 「学力」と「学力観」は違うのですが、日本では「学力測定値」があいまいなこともあって、「学力観」の方を「学力」として捉えられるケースが多いとのことでした。

 これまでの問題点として、先生は以下のようにまとめておられました。
                          *
1、学力低下論が生産的でないこと
   対案が示されない、学力の全体像が示されない
2、木を見て森を見ず
   教科を見ているが、全体の教育課程を見ていない
   持ち時間、施設・設備は二の次のはず、求める生徒像の議論が不足
3、学力を数値化することで、量で見ている
   知識・技能の偏重、学業成績(学力検査、学力調査の結果)を重視
   大切なものは目に見えないものが多い

※学力測定値が明確ならくだ教材

 らくだ教材では、小5−25のプリント(分数・加減のまとめ)が基礎学力が備わっているかどうかの目安となっています。これに合格できた子は中学数学にも困らない力が身についています。
 らくだ教材には一枚ごとに目安時間があり、このプリントは15分、ミスが3つまででできれば合格(クリア)です。

 目安時間の基準は、「鉛筆の手が止まらないでスラスラできる」と到達できる時間です。この時間は誰がやっても繰り返したら到達できる時間であり、特に急いでやるのではなく、「普通に」やってできる時間なので、誰がやってもあまり変わりません。

 ただ、いきなりこのプリントをやった場合、大人でも四苦八苦するケースが大半で、30分やっても半分くらいまでしかできないこともざらです。それまでのプリントの積み重ねがあるからこそ、子どもでも何枚か繰り返したら合格できるのです。

 らくだ教材にはこのように、明確な「学力測定値」があり、それは文部科学省が学習指導要領を変えても変わりませんから、「基礎学力がついているかどうか判断する基準」としては最適ではないでしょうか。

 学校現場では、「ゆとり教育」を実施したりそれをやめたりという中で、いったい何を基準とすればいいのか戸惑っている中、いろいろな意味でわかりやすく貴重な教材です。実際に学校現場にも多く導入されてきています。

 それぞれが、それぞれの「課題(=できないこと)」に挑戦しているという意味で、らくだプリントをやっている子は、みんな「平等」です。

 みんな「自分ができないところ」に挑戦しているのですから、「できる子」と「できない子」の分け隔てが出てきようがありません。ここでは、「他人と比べる」ことをすると戒められます。いわば、「自分との戦い」です。

 それが実現できるのは、「教えられなくてもできるように作られている」プリントだからです。常に、それぞれの子にとって「ちょうどいいところ」を学ぶことができます。

 では、「ちょうどいいところ」って、どんなところでしょうか?

 「前のプリントを踏まえて、ちょっとレベルアップしたところ」であり、「簡単にはできてしまわないところ」です。

 ここが大切なところです。「自分にとってちょっと手強いな」と思えるようなところを学ぶことこそ、もっとも脳を活発に働かせ、その人にとって身になる学習となります。
 
 それは、最近流行りの?脳科学の研究から明らかになってきているのは、周知の通りです。

 ウチの教室に来る生徒たちは、千差万別、それこそさまざまです。

 ー4歳から始めて、今「130までの数字」を書く練習にたどり着いた子(ウチの子)。

 ー幼児から始めて小1の今、小3プリントの終わりの方まで進んでいる子。

 ー小学生で同学年のプリントをやっている子(多数)。

 ー小6で小1プリントから始めて約半年、「苦手な算数」に毎日取り組み、
  中学に入る前の今、一日三枚のプリントにトライして小3プリントを終えようとしている子。

 ー不登校気味だったのに、プリントをすることが定着したら学校に行き出した子。

 ー中学3年生で小1から始めて、順調に一日一枚のプリントをこなしている子。

 ーADHDを疑われ、学校の勉強には全然追いつかないけど、
  自分のペースで地道に学習を積み重ね、‘クリア’を積み重ねていく子。

 ひとり一人の子どもが、ひとり一人のストーリーを持って、らくだプリントに取り組んでいます。

 黙々とプリントに取り組むその姿を見ていると、「尊いなぁ」という気持ちになります。

 「学ぶことは、尊いこと」、なのかもしれません。

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 前のページ ]


.
tomoto
tomoto
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事