さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

教育人間塾

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  この日は『学問のすゝめ』五編、六編をじっくりと読み進めていきました。
 その中から気に留めた部分を抜粋していきたいと思います。

【五編】より

《国の文明は形をもって評すべからず。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍と
いうも、皆これ文明の形のみ。

この形を作るは難きに非ず、ただ銭をもって買うべしといえども、ここにまた無形の一
物あり、この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、売買すべからず、貸借すべ
からず、あまねく国人の間に位してその作用甚だ強く、この物あらざればかの学校以下
の諸件も実の用をなさず、真にこれを文明の精神と言うべき至大至重のものなり。

けだしその物とは何ぞや。いわく、人民独立の気力、即ちこれなり。》


●「人民独立の気力」こそ、「文明の精神」と言えるくらいの、重要なものである
ーと、強い口調で福澤は言っています。

 教育人間塾も11回目となり、『学問のすゝめ』を学び続けてきた私ですので、
「人民独立の気力」というような、福澤らしい文章?には随分と慣れてきました。

 福澤はとにかくこのようなことを重視していることもわかってきました。この考えは、
私自身の考えの根底にあるところとも通じていると感じますし、福澤の思想は知れば知
るほど私は彼を身近に感じ、また勇気づけられることもしばしばです。

 「人民独立の気力」とは、国民ひとり一人が自力で動くことであり、「私立の活計」
つまり民間の活動を活発化させることでもあります。

 今の教育はどうかというと、それに反しているあるいは奪っているとも言えるのでは
ないのでしょうか。

 そして福澤は以下のようにも述べています。

《畢竟人民に独立の気力あらざれば、かの文明の形も遂に無用の長物に属するなり》


《今日本の有様を見るに、文明の形は進むに似たれども、文明の精神たる人民の気力は
日に退歩に赴けり》

●上記の言葉は現代に向けての言葉ではなく、明治の時代であることはもちろんですが、
そのまま今に当てはめられるのでは?と感じるのは私だけでしょうかー。

 文明の形は進み続けても、人民の気力はここ100年来、退歩し続けているのでしょ
うか?そうは思いなくないのですが、そうではないと言い切ることは私はできません。


《古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う。古の政府は民の外を犯し、今の
政府はその内を制す。古の民は政府を視ること鬼の如くし、今の民はこれを視ること神
の如くす。古の民は政府を恐れ、今の民は政府を拝む。》

●上記の言葉は実に洞察力に優れた福澤の思想を表しているのではないかと感じます。

「古の政府は民の力を挫き、今の政府はその心を奪う」なんて、ものすごく深い意味を
持つ言葉だと感じませんかー。そしてまた、実に今の時代に通じるものだーと。

 古今東西、政府というのはそういうものなのかもしれないーと感じました。力の支配
から心の支配へと転化し、人民の気力を削いでいくものなのではないかと。

 だから私たちは、そのようなプレッシャーに抗える力を蓄え、時に発散させないとい
けないのかもしれません。


《そもそも人の勇力は、ただ読書のみに由って得べきものに非ず。読書は学問の術なり、
学問は事をなすの術なり。実地に接して事に慣るるに非ざれば、決して勇力を生ずべか
らず。》

●「本ばかり読んでいても勇気は出ない。実際に自分でその場に赴いて接することをし
なければいけない」ということも、福澤の「一心独立と交際」という一貫した考えに通
じています。バランス感覚を重視した方なのだなとも感じます。


【六編】より 国法の貴きを論ず

《政府は名代にて、国民の思うところに従い事をなすものなり。その職分は罪ある者を
取り押さえて罪なき者を保護するより外ならず》

●言葉の通りでわかりやすいですね。

《国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるが如し。即ちその一の役目は、自分の名
代として政府を立て一国中の悪人を取り押さえて善人を保護することなり。その二の役
目は、固く政府の約束を守りその法に従って保護を受くることなり。》

《罪人を罰するは政府に限りたる権なり、私の職分に非ず》

《敵討と敵討とにて、はてしもあらず、遂に双方の一族朋友死し尽るに至らざれば止ま
ず。いわゆる無政無法の世の中とはこの事なるべし。私裁の国を害すること斯くの如し。
謹まざるべからざるなり。》

《天下古今の実験に、暗殺をもってよく事を成し世間の幸福を増したるものは未だ嘗て
これあらざるなり》

●この六編は、福澤の「社会契約論的考えのまとめ」だそうです。
 確かにわかりやすく福澤の考えが述べられています。
 「ガンジー」の思想に通じるのではないか、等などの意見交換で盛り上がりました。

ー以上。

●学生運動のことー
 
 意見交換の際に、人間塾の若手?の方々に、今の政治に関して思うことなどを聞いていきました。遅れて来たので詳しく聞けなかったのですが、村山先生は学生運動に関わった経験がおありのようでした。

 私は学生運動に憧れていた時期があります。世代としては後で、「新人類」と呼称された世代よりも前です。自分と同じ年齢の有名人といえばー元オウム真理教の上祐氏、わりと最近死刑執行された宮崎勤氏、等などを思い起こしますが、『声に出して読む日本語』など、近年教育関連の本を多数出して活躍されている斎藤孝氏も同じ年頃だったでしょうか。
 
 数ヶ月前に観た映画『実録・連合赤軍』は、できる限り事実に即して描いたもので、事件に関わった若者達が在籍した大学名が実名で出ていたのがリアリティを感じさせました。
 私が知らなかったことや、知っていても断片的でつながっていなかったことがつながり、「浅間山荘」に至る学生達の一連の動きがとてもよくわかりました。

 村山先生が関わっていたのはこの時期より前であり、いわゆる「過激」なものではなかったそうです(もちろんでしょうが‥)。

 映画を観ていて思ったのは、「もし自分があの時代に生きていたら、彼らと行動を共にしていたかもしれない」ということです。あの映画に出ていた若者達は、自分の信ずるところを進んで行った結果、自分の思い描いたものとは違う現実を歩いて行ってしまったのです。

 なぜそうなったのかーということに関して、若松孝二監督は、「ひとり一人に“勇気”があれば…」という言葉を提示していました。

 集団が同じ目的に突き進んでいく過程で、冷静な頭を保って「おかしなことはおかしい!」と伝えるのは並大抵のことではないでしょう。「まず最初に」言い出す勇気があるかどうかで、その後が変わっていくのだと感じました。

 周りに流されないで自分の生き方・考え方を貫くーこのことを子どもに伝えるのも大事なことだと思いますが、いかにそれを伝えていくか、それは容易なことではないでしょう。

○以下、『学問のすゝめ』本文から抜粋しますー

《私に在っては智なり、官に在っては愚なり。これを散ずれば明なり、これを集むれば暗なり。政府は衆智者の集まる所にして一愚人の事を行うものと言うべし。

 豈(あに)怪しまざるを得んや。畢竟その然る由縁は、かの気風(卑屈不信)なるものに制せられて人々自ら一個の働きを逞しうすること能わざるに由って致すところならん乎》

●「ひとり一人みれば智恵があるのに、“官”の中にいると愚かなことをする」というのは、まさに今に通じることでしょう。ということは、今も昔も変わらず進歩がない、ということかー。


《故にいわく、世の文明を進むるにはただ政府の力のみに依頼すべからざるなり》

●これが先に述べたことですね。


《右所論をもって考えうれば、方今我国の文明を進むるには、先ずかの人心に浸潤したる気風を一掃せざるべからず。これを一掃するの法、政府の命をもってし難し、私の説諭をもってし難し、必ずしも人に先だって私に事をなし、もって人民の由るべき標的を示す者なかるべからず。》

●何事も、「自ら見本を示しなさい、汗を流しなさい」と福澤は言っているのですから、私も共感するところです。


《日本はただ政府ありて未だ国民あらずと言うも可なり》

●まったく今に通じることですね。


《そもそも事をなすに、これを論すに若かず、これを論すは我よりその実の例を示すに若かず。

 然り而して政府はただ命ずるの権あるのみ、これを論して実の例を示すは私の事なれば、我輩先ず私立の地位を占め、或いは学術を講じ、或いは商売に従事し、或いは法律を議し、或いは書を著し、或いは新聞紙を出版する等、凡そ国民たるの分限に越えざる事は忌諱を憚らずしてこれを行い、固く法を守って正しく事を処し、或いは政令信ならずして曲を被ることあらば、我地位を屈せずしてこれを論じ、あたかも政府の頂門に一釘(針)を加え、旧弊を除きて民権を恢復せんこと、方今至急の要務なるべし。

 固(もと)より私立の事業は多端、且つこれを行う人にも各々所長あるものなれば、僅かに数拝の学者にて悉皆その事をなすべきに非ざれども、我目的とするところは事を行うの巧みなるを示すに在らず、ただ天下の人に私立の方向を知らしめんとするのみ。

 百回の説諭を費やすは一回の実例を示すに若かず。今我より私立の実例を示し、人間の事業は独り政府の任にあらず、学者は学者にて私に事を行うべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべしとの趣を知らしめば、人民漸く向かうところ明らかにし、上下固有の気風も次第に消滅して、始めて真の日本国民を生じ、政府の玩具たらずして政府の刺衝となり、学術以下三者も自ずからその所有に帰して、国民の力と政府の力と互いに相平均し、もって全国の独立を維持すべきなり》

●村山先生は、福澤の言う「私立の事業」の重要さを繰り返し述べられました。
 私は、「多数派でいるより少数でも自分の信ずる道を進むこと」の大切さを伝えられているように受け取り、勝手に勇気づけられています。

 また先生ご自身、大学時代の教え子たちにそのようなことを説いてきたからなのかどうか、「教育大のゼミでありながら、先生になるよりも民間へ進む者が多かった」ことに、複雑な思いを抱いておられるようでした。が、その反面、ご自分の思いが伝わってうれしいという気持ちもあるように私は見受けられました。


《事をなすは有力なる政府に依るの便利に若かずと。答いわく、文明を進むるは独り政府の力のみに依頼すべからず、その弁論既に本文に明らかなり。且つ政府にて事をなすは既に数年の実験あれども未だその奏功を見ず、或いは私の事(民間)も果してその功を期し難しといえども、議論上において明らかに見込みあればこれを試みざるべからず。未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、これを勇者と言うべからず》

●自分の信ずることあれば、とにかくやってみることなしに始まらない!と、福澤は説いているのだと受け止めました。
 何事もそうですね、思い至ったら実行あるのみです。

 今回も50分程遅れての参加となってしまいました。この日は前半に、村山先生の「学生運動」体験が語られたようで、それを聞くことができなくて残念でしたが、まぁしょうがありません。この日は『学問のすゝめ』四編、「学者の職分を論ず」を読み進めていきました。

●福澤の説く「官民平均論」から、現在の政治のあり方までー

 会場のホワイトボードには、「福澤の思想を読み解く上で必須の三点セット」が記されていました。
1)人間平等論(人と人)
2)社会契約論(政府と国民)
3)国家独立論(国家と国家)

 福澤の思想を学ぶにあたっては、常にこのことを頭に入れて考えることが大切とのことでした。
 そして私の説明では言葉足らずなのですが、国民の力が増していくほど、「文明の進歩」につながるという歴史的な視点も常にあるそうです。

 後半は主に、福澤の説く「官民平均論」から、現在の政治のあり方まで、村山先生の解説から意見交換をしていきました。

 福澤の論は、まさに今の政治の有り様につながることでした。
 官に依存するあり方を批判し、「悪い政府をつぶせばいいというものではない。それだとまた同じことを繰り返す。“民”の力を上げてこそ、いい政治のあり方につながるもので、それは一朝一夕になせるものではない」という話が中心となりました。

●「文明」の話ー

 これも私が説明するには言葉足らずなのですが、今回特に興味深く学ばせてもらったことなので、わかる範囲で記しておきます。

 「文明」とは「私立の事業」であり、「多端、多事の世界」である。しかしだからこそ、活動(交際)が広がり、それとともに洗練され陶冶され、やがてはやわらかくなっていくものである。
 
 上記のことを、村山先生は哲学者ヘーゲルの名前とともに紹介されていました。
 このような「文明の定義」?を、私はこれまで学んできませんでした。もしかしたら、高等教育を学ぶ中で当然学んでおくべき事柄なのかもしれません。でもこうして今、私にとって抜け落ちていると思われる部分を埋め合わせるような形で学ぶことができていること自体、ありがたく感じました。

 そしてもしかしたら、「今だからこそスッと頭に入ってくる」事柄なのかもしれないと思いました。10年前だとまだ自分も、「やわらかく」なっていなかったでしょうから。

 7月末の土曜日、連れ合いは今学んでいるホメオパシーのスクーリングで東京に行って不在だったので、5歳の下の子を連れて札幌ビール園まで行きました。
 午後3時より参加者有志の自由な発表の場が持たれ、私はその2番目でした。

 1番目の方が発表されている最中に着いたので、子どもにオヤツをあげながら聞き、その方が終わってから子どもに、「じゃあ行ってくるね」と言って前に出て話したところ、オヤツをちょうど食べていたのがよかったのか、子どもはゴネルこともなく、珍しく?静かにして聞いていました。

 発表時間は20分でしたので、用意してきたレジメを読み上げるだけという感じでしたが、このような場を与えていただけて、私はうれしく思いました。

 他の方々の発表もそれぞれに興味深く、さまざまな形からの「教育」へのアプローチを知ることができる貴重な機会となりました。

 その中でも、札幌市内の小学校の教頭先生をしていらっしゃる方の話がとても心に残りました。クラスを統率することを、織り物の「縦糸と横糸」として考えて実践および指導をしていらっしゃる話でした。

 この方は、らくだメソッドの平井雷太さんのこともよく知っており、もう一度平井さんをお招きして話をする機会を持たれたいとのことでもありました(以前教員有志のセミナーの講演会で平井さんを呼んでいたので)。

 そのような共通点があることも驚きでしたが、その方がまとめてくださったレジメを後でじっくりと読ませていただいて感銘を受けました。学級崩壊への対処や、不登校の子どもがクラスにしだいに溶け込んでいったことなどの実践事例が載せられていたからです。

 先生という仕事は、本当に大変です。でも、やり遂げた後の充足感は何ものにも代え難いのではないでしょうか。そんなことをあらためて考えさせられるものでした。

 単なる塾の指導者とはまた異なった、人間としての総合力が問われます。でも、すべてがすべてこの先生たちのようにうまくいくものではないのでしょう。だから学級崩壊が起こるのでしょうし。

 先生としての資質も問われるのでしょうが、そればかり言っても話は進みません。この実践事例を「技術」として引き継いでいくことがとても大切なのだと思います。

 そういった意味では、学級崩壊で悩み困っている先生が、駆け込んで教えを請えるような場、それもすぐに実践できることを伝えてもらえるような場が必要なのではないでしょうか。本来それは各学校の校長教頭の役目なのでしょうけれど…。

 このようなことを現場で実践している先生たちと出会うことができて、あらためて教育人間塾の持つ意味を考えさせられました。このような希有な場から何を得てどう実践していくかー。

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