さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

教育人間塾

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《また、いたずらに文字を教うるをもって教育の本旨となる者あり。
今の学校の仕組は、多くは文字を教うるをもって目的となるものの如し。

もとより智能を発育するには、少しは文字の心得もなからざるべからずといえども、
今の実際は、ただ文字の一方に偏し、いやしくもよく書を読み字を書く者あれば、

これを最上として、試験の点数はもちろん、世の毀誉もまた、これにしたがい、
よく難字を解しよく字を書くものを視て、神童なり学者なりとして称賛するがゆえに、

教師たる者も、たとえ心中ひそかにこの趣を視て無益なることを悟るといえども、
得立特行、世の毀誉をかえりみざることは容易にでき難きことにて、

その生徒の魂気(根気)の続くかぎりをつくさしめ
、あえて他の能力の発育をかえりみるにいとまなく、

これがために業成り課程を終えて学校を退きたる者は、
いたずらに難字を解し文字を書くのみにて、さらに物の役に立たず、

教師の苦心は、わずかにこの活き字引と写字器械とを製造するにとどまりて、
世に無用の人物を増したるのみ》

●ここの部分も、今にそのまま通用するというか…
「世の中に無用の人物を増やすだけ」とは、
福澤独特の誇張した言い回しでもあるのかもしれませんが、実に辛辣なー。

《もとより人心全体の釣合を失わざるかぎりは、難字も解せざるべからず、
文字も書せざるべからずといえども、

本来、人心発育の理において、人の能力は一にして足らず、
記憶の能力あり、推理の能力あり、想像の働ありて、

この諸能力が各その固有の働をたくましゅうして、たがいに領分を犯さず、
また他に犯されずして、よく平均を保つもの、これを完全の人心という》

《文字を教うるは、ただ人の記憶力によるものにて、
ただこの記憶力のみを発育する時は、

他の推理の力、想像の働等はおのずから退縮せざるをえざるがゆえに、
文字を教うるは、決してこれを有害のものというべからずといえども、

ただこの一方に偏してこれを教育の主眼とする時は、人心の釣合を失して、
いたずらに世に片輪者の数を増すの恐れあり。はなはだ慎むべきものにこそ》

●村山先生も、今の学校は記憶力偏重なのではないかと述べていました。
想像力、推理力が伴ってこそ、人間のトータルな力と言えるのではないかと。
推理力は考える力であり、いざという時に対処できる力とも言えます。

 私もそう思いますし、教師や親を始めとして、子どもと対峙しようとする人であれば、
記憶力をつける過程で、想像力や推理力も養成していくような指導ができるはずです。

 やはり、「何を子どもに伝えたいか」が常に頭にあるかないかで、
単に勉強ができる子か、もっと違う力が備わっていく子か、
違ってくるのではないでしょうか。

 それにしても、福澤の「いたずらに世に片輪者の数を増すの恐れあり」
とはまた強烈ですが、今の時代にこそ、そんな指導はやはり、
「はなはだ慎むべき」!だと感じます。

 あの秋葉原の事件を予見したかのような福澤の言葉ではないでしょうか。

《もとより直接に事物を教えんとするもでき難きことなれども、その事にあたり物に接して狼狽せず、よく事物の理を究めてこれに処するの能力を発育することは、ずいぶんでき得べきことにて、すなわち学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。

 教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。

 かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にありとのことをもってこれが標準となし、かえりみて世間に行わるる教育の有様を察するときは、よくこの標準に適して教育の本旨に違わざるもの幾何(いくばく)あるや。

 我が輩の所見にては我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず》

●ここらへんが、福澤の伝えたいことだとのことですが、それは決して「学校否定」ではなく、彼の「視点」だとのことです。

 今でこそ、学校に関して様々な議論がありますが、当時からこのような発言をされているというのは、私にとって驚きでした。こと教育に関しては、100年前も今も根っ子のところは同じような議論を続けているということでしょうか。

 「学校は人に物を教えるところではなく、それぞれの持っている資質を最大限引き出し伸ばすための道具」だと述べているのですから、たまげてしまったのは私だけではないでしょう。

 「学校のするべきことは『教育』ではなく『能力の発育』である」というのは、 education の訳語としたらその方が相応しいかもしれません。そして、「我が国の教育の仕組は自分の思うところと全然違う」と述べているのです。

 当時からそう言えるのであれば、「本旨」に近づくようにこれまでの長い年月をかけて変えていってほしかったものですが、戦争を挟んだ上に「高度成長」の世の中もあり、学校を福澤の言うところの「本旨」に照らし合わせて改革してくるような機会には恵まれなかった、ということでしょうか。

 だったらなおさら、福澤の考えを再確認した上で、これからの学校改革・教育改革をしていってほしいものです。もちろん私もその一翼を担いたいという気持ちは山々ですー。

 「教える」ことだけに力を注ぐことなく、それぞれの持つ資質を伸ばして行く方向で接していけば、人生で難しい問題に直面しても、それに対処し乗り越えていくことができると福澤は述べているのですから、それ以上の‘余計な’ことをする必要はないはずです。

「徳育如何」より

《今日自主独立の教においては、まず我が一身を独立せしめ、我が一身を重んじて、自らその身を金玉視し、もって他の関係を維持して人事の秩序を保つべし》

●年々、自分の身を重んじなくなっている子どもたちが増えていると思われますが、当時から「自らその身を金玉視(きんぎょくし)し」と述べる福澤は、やはり際立って先進的な考えを持っていた、と村山先生はおっしゃっていました。
 自分自身を尊重できてこそ、他人を尊重することができる、と私も思います。

「文明教育論」より

《今日の文明は智恵の文明にして、智恵あらざれば何事もなすべからず、智恵あれば何事をもなすべし》

《もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。また徳義のみを脩めて智恵の働あらざる者は石の地蔵にひとしく、これまた人にしてあらざる者なり。
 両者のともに欠くべからざるは右の如くなりといえども、今日の文明は道徳の文明にあらず》

●村山先生は、ここの部分を、翌年「教育勅語」が出るというご時世に、勇気ある発言と言えるのではないか、とのことでした。なるほど、辛辣な文明批評と言えるのかもしれません。福澤というのは、なにごともバランスを重視するのだな、と私は感じました。

《道徳は必ず人の教によるものにあらず、あたかも人の天賦に備わりて偶然に発起するものなりといえども、智恵は然らず。人学ばざれば智なし》

●なるほど、人は学ばなければ智恵は決して備わることがないということは、学びさえすればどんどんそれは備わるとも言えるんでしょうね。
 次の段落にそのことが記されていました。

《世に教育なるものの必要なるは、すなわちこのゆえにして、人学ばざれば智なきがゆえに、学校を建ててこれを教え、これを育するの趣向なり。されども一概に教育のみにては、その意味はなはだ広くして解し難く、ために大なる誤解を生ずることあり。

 そもそも人生の事柄の繁多にして天地万物の多き、実に驚くべきことにて、その数幾千万なるべきや、これを知るべからず。ただその物名のみにても、ことごとくこれを知る者は世にあるべからず。然るをいわんや、その物の性質をや。ことごとくこれを教えんとするも、とても人力にかなわざる所なり》

《無限の事物を僅々数年間の課業をもって教うべきに非ず、学ぶべきに非ず。たとえ、その一部分にてもこれを教えて完全ならしめんとするときは、かえってその人の天資を傷い、活溌敢為の気象を退縮せしめて、結局世に一愚人を増すのみ。

 今日の実際においてその例少なからず。されば到底この繁多なる事物を教えんとするもでき難きことなれば、果して世に学校なるものは不用なるやというに決して然らず》

●すごいですね、福澤は、「教えすぎちゃイカン!」と言っているのですよ。
「かえってその人の持ち味を損ねて元気を失わせ、愚かな一人の人間を生み出すだけだ」と言っているのですから…。「そんな例はいっぱいあるのだから、そうなったら学校もいらないよ」、とまでー。

 これは今の時代あらためて考える価値が非常にあるのではないでしょうか。いわゆる「ゆとり教育」に関しても、そういった視点からも考えてもらえばよかったのになぁ、と今になって思うのは私だけでしょうか…。

 いずれにしろ、福澤の「教えすぎたらダメ」という考えに、私は大いに勇気づけられます。
 なにせ私がやっているのは、「生きる上で役に立つという意味での基礎基本の徹底」であり、「最低限身につけてほしいこと」しかやってませんから。

 でも、その「最低限」は、「最低限」だからこそ、後にそれぞれにとっての「最大限」へ転化するものだと私は信じています。「一点突破の集中展開」っていう言葉がありますよね。それが大事だと思います。

 今回は30分以上遅れてしまったのが残念でした。私が参加したところからの報告ということになります。
4回に分けて記します。

『福澤諭吉教育論集』から「小学教育の事」よりー

《されば今、日本国中に小学の生徒は必ず中途にて廃学すること多き者と認めざるをえず。すでに廃学に決してとどむべからざる者なれば、たとい廃学するも、その廃学の日までに学び得たることをもって、なおその者の生涯の利益となすべき工夫なかるべからず》

《小学校の教育は、いつにても廃学のときに、幾分か生徒の身に実の利益をつけて、生涯の宝物となすべきこと、余輩の持論なり。ゆえに人民の貧富、生徒の才・不才に応じて、国中の学校も二種に分かれざるをえず。すなわち一は普通の人民に日用の事を教うる場所にして、一は学者の種を育つる場所なり》

●福澤の教育の目的として、生きる上で役に立つという意味での「基礎基本の徹底」があり、これが福澤の「実学の姿勢」とのことでした。

 上記にあるように、いやおうなしに学校を辞めることになったとしても、それまでに身につけたものによって生きていけるようにすることが大事であり、その身につけたものは「生涯の宝物」と言っているのですから、福澤の伝えたいことが何なのか、明確に表れた部分だと言えるのでしょう。
 
 「生きる上で役に立つという意味での基礎基本の徹底」というのは、まさに私もそれを子どもたちに身につけてもらおうと教室を開いていますから、福澤の「実学の姿勢」を今回学び知ることができて、本当によかったと思っています。
 
 現在の教育はいまだに、受験のため、いい会社に入るため、などのようなことをめざしているのが大半なのではないでしょうか。明治時代と同じかそれ以上の激動の時代に今あると私は思っていますが、この時代にこそ、あらためて福澤のいう「実学」を見直し、「自分自身のための学び」、それこそ「生きる上で役に立つという意味での基礎基本の徹底」を子どもたちに伝えていく必要があるのではないかと私は強く思います。

○姜尚中(カンサンジュン)さんの言葉と通ずるー?

 最近読んだ姜尚中さんの著書に、とても印象に残っているところがあったのですが、私はその言葉と福澤のいう「高尚」とがつながっているように感じます。参考までに以下に紹介しておきます。

【さまざまなことを受け入れ、人格を広くしていったとき、
                快・不快や不確実性に左右されない幸せがみえてきます】

《自分ではいちばん安全パイだと思っていた人と結婚しても、大手証券界者や大手銀行が倒産したように、突然、夫が失職することだってあります。
 自分が外側に求めた安全策が機能しなくなったとき、さまざまなものを受け入れながら、人格形成の困難なプロセスをくぐり抜けてきた人と、そうでない人とでは、対応に自ずから違いが出てくるはずです。》

《結局、先にも述べたように、快・不快に左右されない幸せを手に入れるには、自分がいろいろなものを受け入れていくという形で、人間のパーソナリティを少しずつ強くしていかなければならないのです。そうすることによって、人間は初めて不確実性に伴う不安というものを抱きしめて生きていけるのではないかと思っています。》

【“足ることを知るの哲学”には、過剰なものには手を出さない、
                          という先人の知恵がありました】

《「足るを知らざる者は富むといえども貧し」という言葉がありますね。足ることを知る、というのは、日本の社会では幸せであることの秘訣みたいにいわれています。これはいってみれば、“ちょぼちょぼでいい”ということです。私はこのちょぼちょぼの哲学はたしかにあると思います。》

《このちょぼちょぼの哲学には過剰なものには手を出さないというポリシーがあります。または、あるボーダーを越えないという、先人の知恵があったと思います。私たちの欲望にはキリがないから、行き過ぎはないようにそこそこに限界を設けようと。かつて身分社会だったときには、その身分の枠の中で幸せを求めることが分相応の生き方だったからです。》

【自分の幸せと社会を切り離して考えることは、じつはすごく非現実的だと思っています】

《つまり私にいわせると、他者に関心を持たないで、自分の幸せを社会や世界と切り離して考えること自体が、じつはものすごく非現実的です。世界と切り離された幸せなんてディズニーランドのようなものです。一歩外に出れば否応なしに現実が待っています。

 結局、幸福のリアリズムとは世界の物事に関心を持ち、それと自分がどうつながっているのかを知ることにあると思う。そう考えると、自ずから他者との交わりというものが広がっていくと思うし、広がらざるを得ないと思うのです。
 その広がりの中から、きっと幸せの方法を見つけ出すことができるのではないでしょうか》

 『ニッポン・サバイバルー不確かな時代を生き抜く10のヒント』
                   (姜尚中ーカンサンジュン・集英社新書)

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