さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

教育人間塾

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人と人との関係は、何らかの形で、世話をし、されるというつながりをもっている
                     ー“教育人間塾”第2回目に参加して

●今回は、『学問のすゝめ』十四編の「世話の字の義」を読み進めました。

 人と人とは、独立しているが、どこかで触れ合うものであり、世の中で人とどうつき合
うか、他人との関係がとても大事なことだという内容でした。

 福澤がいう世話の字義(意味)は、「保護」と「命令(差図・指示)」にあります。

 子どもに対しては、世話をしながら命令(指導)をしなければならず、指導を抜きにし
た教育はないということでしたが、今の時代、しっかりした指導が往々にして抜け落ちて
いるのではないか、また、子どもが先生の指導を受けつけない、等などの意見が交換がさ
れました。

 福澤のいう「命令」には広い範囲の意味があるようです。この章から以下に抜粋してお
きます。

《保護とは人の事につき傍より番をして防ぎ護り、或いはこれに財物を与え或いはこれが
ために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることな
り。
 
 命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを差図し、不便利なら
んと思うことには異(意)見を加え、心の丈けを尽して忠告することにて、これまた世話
の義なり》

【今の時代に照らし合わせて、「保護」と「命令」だけで考えていいのでしょうかー】

 私は子どもたちとの対応において、「押し付けず、強制せず」、いかにこちらの思いを
伝えるか、ということを重視しているので、「命令」という言葉自体に抵抗感があるので
すが、福澤の全体の思想背景をもっと知った上で、再度このことを考えるのがいいかなと
感じました。

 ただ、時代背景が大きく異なっており、子どもたち自身の有り様というのが違ってきて
いますから、「保護」と「命令」だけでは足りない部分があるのではないかとやはり感じ
ます。

 「保護」と「命令」はどちらも、大人の側から見ている言葉でしょう。その間に、「了
解と確認」という子どもとのコミュニケーションの言葉が入ってくると私は思います。

 伝えたいこと、やってほしいことがあったら、その思いを伝えて、確認を取るんです。
「私はこう思うんだけど、どうだい?」と。それを了解したら、自分で決めたということ
になりますから、「やらされている」のではなく「自ら選んでやっている」こととなり、
その効果は見違えるものとなります。

 私の子育ても、生徒との対応も、その繰り返しです。もちろん、了解してもらえなかっ
たら別の提案もしますし、常に選択肢を出すように心がけますから、単に「命令」するこ
とよりも、手間もかかるし頭も使うことになるでしょう。でも、長い目で見てみたら…ど
うでしょうかー。

 とはいうものの、私だって「(怒りを込めた?)命令」もしますし、上記の対応は、少
しずつ信頼関係を培っていくプロセスの中で可能となるものだと感じます。

 私の子どもとの対応は、基本的に一対一だからできるやり方だ、という声もあると思い
ますが、例えば学校のクラスにおいても、上記のような視点が頭にあるかどうかで違って
くると思うのですがー。

【恵与の心】

 福澤のいう「世話」の意味に関して、いろいろ思いめぐらせていましたが、この章の終
わりの方に、以下の言葉がありました。

《一身の私徳において恵与の心は最も貴ぶべく最も好みすべきものなり》

 これは、人間には「憐憫の場=同情、共感する心」、すなわち「お互いに心を通じ合わ
せることが必要」だということだそうです。
 
 ということはもしかたしら、私の伝えたい「了解と確認」「コミュニケーション」の考
え方も、福澤の中にあるのかもしれません。

 次回は八・九編の「教育論」だそうです。今後もさらに楽しみとなりました。

「人は世の中で生きていくのであり、自分の心の中だけではだめなのだー」
                       “教育人間塾”第1回目に参加してー
                     
●教育とは、「人が、人を、育てる」人間永遠の重大事ー

 この塾を主宰されている元教育大学学長の村山先生は、「哲学」をご専門とされてき
たとのことで、教育を考えることにおいて、「古典的な文章を読んで考える、それしか
近道はない」とおっしゃっていました。

 また、教育を話す場として、教員だけでなく、会社員、主婦、学生、退職された方、
幼稚園の先生、フリースクールを主宰されている方、そして私のような私塾主宰者など、
さまざまな方が集うこのような場というのはめったにないことであり、とても貴重なも
のだと、冒頭で述べられていました。

 教育とは、「人が、人を、育てる」人間永遠の重大事であり、この場が「教師の世界
と民間の世界の橋渡し」となることができればいいとのことで、先生方は、日々どんな
ふうに苦労しているかを一般の方に知ってもらい、それに対して民間では「こう考える」、
という見方を伝えあえるような場にもしていきたいとのことでした。

●初めてじっくり触れた福澤諭吉の世界ー

 教育人間塾の第1回目は、「人望論」でした。テキストである『学問のすゝめ』の最
初から進めていくものだとばかり思っていたのですが、「実際に有益な部分から始める」
とのことで、第八編以降をその都度選んで進めていくとのことでした。「人望論」は、
『学問のすゝめ』の最終編の第十七編にあたります。

 「『学問のすゝめ』は最初から読んでもわかりにくい」と先生はおっしゃっていまし
た。確かに、三分の一程読み進めてはいましたが、「なんだかよくわからないなぁ」と
感じていました…。

 でも、「人望論」は違いました。昔の言葉遣いなので、意味がすぐに理解できないと
ころは多くありましたが、先生が大事なところを噛み砕いてわかりやすく説明してくだ
さいました。

 このような形で古典を読み進めていくのは、大学以来でしょうか。大学時代はまとも
に講義を聞いていたとは思えないので、初めてまともに古典と対峙したと言えるかもし
れません。

 「ノートなんて取らなくていいから、感じたことをこの場で話して意見交換すること
が大事」と先生はおっしゃいましたが、自分自身のために、キーワードと思える言葉
をいくつか記しておきたいと思います。

《人智発育の理》
 これは、いかに福澤が教育を本質的に考えていたか、を表す言葉だそうです。

《活発なる境界》
 人は世の中で生きていくのであり、自分の心の中だけではだめ。

《人間交際の要も和して真率なるに在るのみ》
 真率:率直で飾らない 

●「人間とは何か」という福澤の考えは、注意深く読まないとわからないとのことです。
私は「人は発達するものだ」という考え方が根本にあるという福澤の説くところを、も
っと知っていきたいと思いました。

●私は、この「教育人間塾」の初回に、先生が「人望論」を取り上げられたこと自体、
教育に携わる者として何が大切かというメッセージに聞こえてきてなりません。
 「技術・技法」以前に大切なものがある、それをひとり一人が常に考えていくことこ
そ、最も大事なのではないかーと。
 
●「人望」は、今私たちが感じるもの以上に深い意味を福澤は伝えていると感じます。
私塾を主宰している私にとって、「人望」がなくなれば終わりです。そういった意味で
も、いろいろと深く考え、自分自身を省みることもできた、いい機会となりました。

 佐藤学氏著『「学び」から逃走する子どもたち』よりー

《私自身は、「勉強」と「学び」との違いは、〈出会いと対話〉の有無にあると考えています。

 「勉強」が何ものとも出会わず何ものとも対話しないで遂行されるのに対して、「学び」はモノや人や事柄と出会い対話する営みであり、他者の思考や感情と出会い対話する営みであり、自分自身と出会い対話する営みであると思います。

 「学び」とは、モノ(対象世界)との出会いと対話による〈世界づくり〉と、他者との出会いと対話による〈仲間づくり〉と、自分自身との対話による〈自分づくり〉とが三位一体となって遂行される「意味と関係の編み直し」の永続的な過程であると、私は定義しています》

(以下飯田)
 私は著者のこの定義を読んで、「自分がこれまでイメージしていたものを言葉にしてくれた」と思いました。「教育人間塾」も、きっとこの学びの定義に則ったものになるのだろうと感じています。

 「学ぶ」ことは、なにも学校に行かなくても、お金をかけなくても、毎日時間をいっぱいかけなくても、それぞれの方がそれぞれにできることなのではないでしょうか。

 図書館に行って本を借りてきて、1日数ページ読むと決めて、それを毎日記録していってもいいですし、計算問題を1日1枚あるいは5分と時間を決めてやるだけでもいいでしょうし、親だったら子どもと同じテキストや問題を1日1ページでもやればいいですし、とにかく毎日何かをすると決めて実行していくことが大切なことなのではないかと思います。

 時間がない、と言い訳するのであれば、子どもも同じ言い訳をするでしょう。毎日やると決めてそれができなかったとしても、「お母さん(お父さん)でもできないんだ〜」と思って、子どもは安心することでしょう。

 本来の勉強(学ぶこと)は、試験などでいい点を取るために、ピリピリした雰囲気の中ですることではなく、リラックスした中でそれぞれのペースが尊重された中でするものであり、その方がずっと身になるものだと私は感じています。

 私は今のところ、子どもがやっているのと同じ教材をすること、図書館で借りた本を読むこと、日本語の辞書(『日本語に強くなる本』)を1日1ページ読むこと、メルマガ発行のために毎日文章を書くか推敲していくことー等などを自分に課しています。それに教育人間塾も加わります。

 北海道教育大学元学長の村上紀昭先生が、中堅教員の方や教育に関心のある一般の方々を対象にした学習会を始めるとの記事が新聞に載っていました。
 私は教育を「ちゃんと学ぶ」とてもいい機会だと感じ、参加申し込みをしたところ、丁寧なお返事をいただいて、参加を承諾していただくことができました。

 塾の主たる内容は、「とにかく福澤の文章を読み(テキストは『学問のすゝめ』)、何のためどのように教育するかというごく基本的なことを学ぶ」ということです。
 これは私にとって願ってもないことです。さまざまな参加者のみなさんと福澤諭吉で学び合う、そんな機会をこれから持つことができるのですからー。

 私は、親や教師に関わらず、自らが常に学び続けることなしに、子どもに‘教育’をするのは無理があるのではなかろうかーと思っています。押しつけや強制が教育ではないだろうと思っているからですが。

 しかし、みなそれぞれに多忙を極める中、自分が学ぶ時間など作ることができない、という声も聞こえてきそうです。でも本当にそうでしょうか。

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