さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

内田樹

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 この本は中高生あたりをターゲットにした新書シリーズの一環として書かれたと思うのですが、中高生が読むには高度な内容に感じました。
 もっとも、「ちょっと背伸びする」くらいの本を読みたい年頃でもあるでしょうから、ぜひ読んでもらいたいものですが。
 以下に、特に印象に残った部分から抜粋してコメントを記したいと思います。

                         *

 教習所とFー1ドライバー より

《教習所の先生は「君は他の人と同程度に達した」ということをもって評価します。プロのドライバーは「君は他の人とどう違うか」ということをもってしか評価しません。その評価を実施するために、一方の先生は「これでおしまい」という到達点を具体的に“指示し”、一方の先生は「おしまいということはない」として到達点を“消去”してみせます。
 ふたりの先生の違うところはここです。“ここだけ”です。

 ほとんど同じ技術を教えていながら、「これができれば大丈夫」ということを教える先生と、「学ぶことに終わりはない」ということを教える先生の間には巨大な「クレウ゛ァス」があります。
「学ぶ」とはどういうことかを考えるときに、いちばんたいせつなのはこのことです。
このクレウ゛ァスが何なのか、それはどうしてできてしまうのか、それを考えることです。

 もう一度申し上げましょう。
 “学ぶというのは有用な技術や知識を教えてもらうことではありません”。

 だって、シューマッハにアクセルワークを習ったときに、あなたは彼が何を言っている
かぜんぜんわからなかったはずだからです。
 言ってることがむずかしすぎて。

 何を言っているのか、ぜんぜんわからなかったにもかかわらず、というか、“何を言っているのかぜんぜんわからなかったゆえに”、あなたは彼から本質的なことを学ぶことができたのです。 

 私は上で、プロの人なら言うことは決まっていると書きました。
 それは、「技術に完成はない」と「完璧を逸する仕方において創造性はある」です。この二つが「学ぶ」ということの核心にある事実です。

 ことばはむずかしいですかれど、これじつは恋愛とまったく同じなんです。
「恋愛に終わりはない」そして、「失敗する仕方において私たちは独創性を発揮する」。》

●「教習所の先生」と「プロのドライバー」から学ぶことの違い、なるほどなぁと思いました。
「学ぶことに終わりはない」ことは、何か一つでも継続していることがある人であれば、実感としてわかることだと思います。

 昨日ご紹介した内田さんの文章は、私にとってこれからも指針となるような、とても心に響くものだったのですが、みなさんはいかがお感じになったでしょうか?

 長い文章なので、なかなか全部読み込むことができない方もいらっしゃるのではないかと思います。
 特に印象に残った部分を抜粋して再びご紹介したいと思います。自分自身が何度も反芻しておきたいので、私のコメント(唸り声?)とともにー。

                        *

《 社会制度というのは、「誰でもできる」という条件で制度設計してある。》

ーなーるほど。

《 そのような「平凡な人間」が営む場合の方が「むしろうまくゆく」ように作られている。》

ー深いなぁ。

《 たいていの場合、にこにこ笑いながら、遊び半分でやっている仕事の方がクオリティが高いのである。
家族も基本的には「ちゃらちゃら」やる方がうまくゆくように設計されている。》

ー常識を覆すような考え方、「そうかもしれない」と感じていたことを、「やっぱりそれでよかったんだ!」と思わせてくれる考え方。勇気づけられるなぁ。

《 それでもそこそこ仲良く暮らしているのだから、それで「OK」ということにしてはいただけないであろうか。》

ーそうだよね、そうそう。

《 「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。
「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。》

ーこれも深いなぁ。この考え方の背景には、すべての人はそのままでOKというような「自己肯定(全肯定?)」の考えがあるような気がする。

《(父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)》

ーカッコに括られ、目立たなくされていますが(?)、このことも世の父親を勇気づけてくれる言葉です…。

《 「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。》

ーここまで断言されると、ありがたや・・・。

●年齢を重ねれば重ねる程、私は自分の父親への感謝の気持ちが深くなってきています。

 人との付き合いがヘタで、仕事においても自分の信条に基づいての活動においても中途半端で、連れ合いに去っていかれ、子どもたちにも愛想を尽かされ、自分の子ども(私)に対して「自分みたいになるな」と自己卑下をして、あげくの果てにボケて死んでいってしまった…そんな父親への感謝の気持ちです。

 心身ボロボロに成り果てるほどのことがあったのだ、ということは、父親と同じくらいの年になっていかないと、なかなか実感としてわからないものです。

 そんな父親だったからこそ、私は大海へと飛び出していったのです。

 とにかく、この世に私を生み出して、小さな頃の楽しい思い出を残して、そして育ててくれてありがとう、という言葉しか、今私の胸にはありません。

 この日の内田樹さんのブログは、いわゆる「家族論」でした。内田さんの考えは、他の識者の方の考えと一味も二味も違うと思います。

 内田さんの言うシンプルな「家族とは?」、そして「父親母親の役割とは?」に関しての考えに、私はとても共感します。このことを知ると、「安心」して「家族」ができたり「父親母親の役割」ができたりする人が多くなるのではないでしょうか。

 以下に紹介します。

                         *

2010.05.19  父親のかなしみ

小学館の取材で「家族」についてお話しをする。
もう何度も書いていることだが、親族制度というのは言語や経済活動と同じだけ古く、それを営むことができるという事実が人間の人間性を基礎づけている。

と書くと「ああ、そうですか」と退屈そうなリアクションをする人がいそうだが、人間とサルを分岐するのがその点であるということは、見方を逆にすれば「およそ人間であれば、誰でもできる」ということを意味している。

そこのところを当今の家族論は見落としているのではないか。
家族について論じている言説に触れて、つねに感じることは「そんなむずかしいことが『ふつうの人間』にできるわけないでしょ」ということである。

かつて「アダルト・チルドレン」という言葉がはやったことがあった(死語になってくれたようでうれしい)。
機能不全な家族で育った子どもがその後社会的能力が劣化する現象をいうのだが、そのとき列挙されていた機能不全家族の条件を見ると、この世に機能不全でない家族など一つもないようなものばかりであった。

家族全員が平等で、お互いを理解し合い、愛し合い、あらゆることを相談し合い、決して秘密を持たず、互いの欲望を受け容れ合う。
そんな家族でなければなりませんと本には書いてあった。

それは違うだろうと私は思う。
社会制度というのは、「誰でもできる」という条件で制度設計してある。
例外的強者以外には簡単に実現できないような制度に基づいて社会は組み立てられてない(というか、それではそもそも社会が始まらない)。

家族は社会組織の基礎である。
それゆえ、例外的強者でなくても、例外的に知性的でなくても、例外的に倫理的でなくても営むことができる。
そのような「平凡な人間」が営む場合の方が「むしろうまくゆく」ように作られている。
私が人類史最初に「家族」を制度設計する係であったら、当然そうする。

家族構成員全員が市民的に成熟している人間的に立派な人でなければ機能しないようなものをデフォルトにするはずがない。
そこのところを当今の家族論は見間違えているのではないか。

新聞の「家庭欄」というのを書いているのはエリート新聞記者たちだが、彼らは「たいへんな努力をしないと実現できないもの」にしか価値がないと思いがちである。
だから、家族を論じるときも必ず「たいへんな努力をしないと実現できない家族」こそがすばらしい家族であるというふうについ考えてしまう。

「適当にちゃらちゃらやっている方がうまく機能するように家族は制度設計されている」というようなアイディアは彼らの頭にはまず浮かばない。
それはメディアが学校教育を論じるときも、医療を論じるときも、統治システムを論じるときも変わらない。

眉間に皺寄せて、脂汗をかきながらやる仕事だけに価値があるという信憑をメディアは流布しているが、それは真実ではない。
たいていの場合、にこにこ笑いながら、遊び半分でやっている仕事の方がクオリティが高いのである。

家族も基本的には「ちゃらちゃら」やる方がうまくゆくように設計されている。
それは私の年来の主張を繰り返せば、「家族を理解と共感の上には基礎づけない」ということである。

家族とはいえ他人である。
何を考えているかなんか、わかるはずがない。

とりあえず私には母の考えていることも兄の考えていることも正直言うとよくわからない。娘の考えはさらにわからず、妻の思考内容に至ってはほとんど人外魔境である。

これが「わからない」と家族として機能不全であると言われてしまうと、私には立つ瀬がない。
それでもそこそこ仲良く暮らしているのだから、それで「OK」ということにしてはいただけないであろうか。

父子家庭で娘を育てた経験からわかったことは「父親」と「母親」の仕事は別のものであり、それぞれ非常にシンプルな役割演技によって構築されているということであった。

「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。

「父親」の仕事はもっと簡単。
「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。

この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。

だから、「よい父親」というのがいわゆる「よい父親」ではないことが導かれる。
「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。

「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。

「頭のよい父親」はさらに悪い。
子どもと論争したときに、理路整然博引旁証で子どもを論破してしまうような父親はいない方がよほどましである。

それよりはやはり「あんなバカな父親のところにいたら、自分までバカになってしまう」というようなすっきりした気分にして子どもで家から出してやりたい(それについて文句を言ってはいけない。自分だって、そう言って親の家から出たのである。父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)。

言い遅れたが、人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。

これが「制度設計」の根幹部分である。
それができれば親としての仕事は完了。

なまじ親のものわかりがよく、愛情深く、理解も行き届いているせいで、子どもがいつまでも家から出たがらない状態はむしろ人類学的には「機能不全」なのである。

当今の家族論は、家族の存立のそもそもの目的を見誤っているのではないか。
「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。

 昨日に引き続いて、同じブログから違う部分の抜粋です。

                        *

(以下、内田樹さんのブログ 2010.01.08 「そんなことを訊かれても」より 一部抜粋)

その危機感のなさが私たちの時代の若い方々の危機の本質的原因だと私は申し上げているのである。
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら(経済学者でも国際政治学者でも)そいつは「嘘つき」だということである。

日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう?」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。
健闘を祈る。                                    (抜粋終わり)

                         *

 ご察しの通り、内田さんに「こうなんだ!」と断言されるとひれ伏す私は、「やっぱりこの国は、『前代未聞・空前絶後』の社会状況にあるんだ…」とあらためて納得してしまうわけです。
 
 「そうかもしれない…」と感じていたことに対して、「こうなんだ!」と言われると、「やっぱりそうなんだ!!」と思い、「じゃあどうすればいいんだ?」と真剣に考えることにもなります。

 幸いなことに?、内田さんは、「正解」はないけれど、「対応策」は教えてくれているではありませんか。

 そしてこれは、常に「自分の判断力と感覚を信じて生きよう」と思っていた私にとって、「このままやっていけばいいんだ」と思わせてくれる、自分に勇気を与えてくれるものではないですかー。びっくりです。

 そしてまた、私がらくだメソッドに惹かれて開塾に至った理由も、ここにあります。
 「受け身」ではない、単なる学力ではない、「自ら学び育つ力」を子どもたちにつけてもらいたい、そして、日々変化する社会に対応して行き抜いていく力をつけていってほしいからです。

 1月8日発信の内田樹さんのブログは、私にとってとても大きなことを教えてくれました。それも2点も。私がものを知らないだけなのかもしれませんがー。
 内田さんのような、日本有数の哲学者?知識人?に、「これはこうなんだ!」と断言されると、「ハハー、そうだったんですかぁ」とひれ伏してしまう私です。

 全文を紹介すると長いですので、一部紹介させていただきます。今日1点、明日1点。全文を読みたい方は、内田さんのブログへどうぞ行ってらっしゃい。

 物事の本質というのを知るとーいや、知るという程度ではありませんね、自分の身体の中に落とし込むと、明日からの自分が変わってくるように感じます。だから人は知識を得たい、物事を知りたい、と思うのかもしれません。

 今書いていてフト思いました。自分が変わりたくない人(変わることを恐れる人?)は、新しい知識を得たいとも、世の中のことをもっと知りたいとも、思わないのかもしれないのかなーと。

                        *

(以下、内田樹さんのブログ 2010.01.08 「そんなことを訊かれても」より 一部抜粋)

資本主義は口が裂けても「共同体の再構築」ということは提言できない。
もちろん、消費者たちに最低限の消費活動を担保することと、人口の再生産のために「核家族」くらいまでは許容範囲だが、それ以上のスケールの共同体ができてしまうと(親族であれ、地域共同体であれ、「疑似家族的」集団であれ)、消費行動はたちまち鈍化してしまう。
経済学者がさっぱり言わないので、私が代わりに申し上げるが、そういうことなのである。
互助的・互恵的な共同体が機能すると、消費活動は抑制される。
考えれば、当たり前のことである。
共同体に帰属していれば、耐久消費財のほとんどは「買わずに済む」からである。
誰かが持ってれば「貸して」で済む。
お金もうそうだ。
誰かが持っていれば「貸して」で済む。
銀行もサラ金も要らない。
金融商品もさっぱり売れない。
だって、それは「博打」だからだ。
「みんなの財布」を持ち出して鉄火場で博打をしようと思うんですけど・・・という提案が共同体内部で合意を獲得することはきわめて困難である。
「やるなら自分の手銭の100円玉使ってやれよ」という話である。
経済的に互恵的・互助的な共同体を形成すると、資本主義的な消費活動は一気に鈍化する。
だから、後期資本主義は久しく全力を尽くして「共同体形成」に反対してきたのである。
                                       (抜粋終わり)
                         *

●なるほどそうだったんだ〜。うすうすそういうことだろうとは感じていましたが、やっぱり、私たちの生きている社会って、互恵的・互助的な集まり(共同体)の形成に積極的に加担をすることはないわけだー。
 上記の内田さんの文章を読んだら、そりゃそうだ、と思うしかないわけですが。消費活動が抑制されれば、資本主義は成り立っていかないわけでー。

 これからの世の中は、地域コミュニティの形成に活路を見出すしかないだろう、と思っていた私は、やっぱり資本主義社会にそぐわないのかな? でも社会主義ましてや共産主義のことをよくわかっているわけではないし、それらを目指した国の多くは崩れていってしまったんだし。

 資本主義ではあっても、「共同体の再構築」とまではいかない形での、地域に根差したコミュニティの再形成、そんなところが現実的なのだろうか。

 不況というか、低成長、いや、成長なしの経済社会に入ったであろう今、現実的に「互恵・互助社会」はどんどん進んでいっているのでしょうからね。


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