さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

雨宮処凛

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以下、本文よりー
 
《佐高:大学卒業後に○○建設に入社した青年がいて、入社1年か2年目になると、帰るよりもカプセルホテルに泊まったほうが早いというのね。母親に電話をかけてきて、「お母さん、きょうも帰れない。俺もう死んじゃうよ」と言うと、お母さんが真面目な人なんだね、「石の上にも三年だよ」と言ってしまう。

しかし彼は限界に達して、もうだめだと辞表を書く。それをすぐに出せばいいのに、いま取りかかっている仕事が終わってからと思って、辞表を引き出しに入れておく。それで間もなく会社のビルの10階から飛び降り自殺をしてしまうんです。

 お母さんは眠れないよね。私は過労死遺族の会の集まりでその母親に会ったこともあるけれども、「石の上にも三年」なんて言ってしまって、自分が殺したも同然だって話していました。

 会社というのはこういうところです。私は会社というのは日本社会のなかの暗黒大陸だと言ってきました。でも、○○建設みたいに名のある会社でそんなことが行われているとは誰も思わない。》


●「○○建設」は、本書の中では実在の会社名を記しています。引用文の場合、そのまま載せるのが原則だと思いますが、個人的なブログで安易に載せるのは憚られるので伏せました。
 それにしても、せつない話ですね・・・。
「会社というのはこういうところ」であることは、今の「派遣切り」でも言えることです。


 [第5章 生存のための共同性]から【社会に参加できない「ロスト・ジェネレーション」】より

《佐高:社会人になるということが、いままでは、会社人になることでごまかされてきたということだと思うんです。社会人になっていない会社人が大勢いたわけです。それと、ひとつ感じることは、生きる意味というものを純粋に求めすぎると、自分のありようを相対的にとらえることができないのではないかということです。

雨宮:相対的にとらえるというのは?

佐高:自分の置かれている立場が、すべて自分個人に責任があるとか、すべてが社会のせいであるとか、そんなことはあり得ないと思うんですよ。社会の責任が8割あれば、個人の責任が2割あるというものではないでしょうか。

生きる意味だけを追求していくと、そういう考え方では落ち着かなくなってしまう。だからフリーターとして生きるのか、さもなくば社畜になるのかというような話ではなくて、それぞれの立場での個人のありようや社会の責任をしっかりと見てゆくことが大事だと思いますね。》


●なるほど、「生きる意味を純粋に求め過ぎない」ことは、生きる上で結構大事なことだろうと私も感じています。もっともそれは、ある程度、いや、かなり年齢を重ねたからこそ思えることかもしれません。
 若いうちは、生きる意味を求めて生きる、というのはある意味当然かもしれません。が、それが度を超えると生きづらくなる…。

 環境問題のことを真剣に考えてきた結果、心身に変調をきたした、という人も私は知っています。
 人間、「ただ生きる」、それで十分、と最初から思えたら苦労はしないのかなー? でも、苦労をするからこそ、生きる上での喜びも感じられるわけで。
 バランスの問題なんでしょうが、いろいろ難しいですね。だからこそ、おもしろいーと思いたい。


 【国家に抗する共同性を】より

《雨宮:人は人間関係があれば生き延びられます。一文無しになったとしても、無職になったとしても。ただそこで湯浅さん(NPO法人もやいで貧困者の生活支援をしている)も警戒しているのは、いまは国が、無責任にも、お金がなくてもおまえたちの人間関係で生き延びろと言っているということです。

人間関係の基本的な形は家族ですから、引きこもりの子どもやフリーターの子どもは、一家心中するまでは親が面倒みなさいとか、地域社会はお年寄りが孤独死しないように勝手に助け合え、みたいなことをさせようとしている。

佐高:国が何もやらないから、我々は自前の社会で勝手にやる、という場合には税金は一切納める必要はない。大事なのは、助け合う共同体が国に異議申し立てをしてゆくということだと思うんです。

雨宮:本当にそうですね。それがないと、ある共同性のなかで助け合いをするのはすごくいいことなんですが、それが放置の原因になってしまうという構造ができてしまう。》


●「人は人間関係があれば生き延びられます」という言葉、私もそうだろうと思っていましたが、雨宮さんに断言してもらえるとはうれしい限りです…?。

 私は若い頃(20代半ば)東京に出て行って、さまざまな場で人と出会い、出会った仲間と拠点を作り、さらに人と出会うことを繰り返してきましたが、今振り返ればそれは、「人間関係を作って生き延びる」ためだった、と感じます。

 そしてその財産は、Uターンしてボケた父親を介護しているときも、そこから解放されて自分の人生を切り拓いていくことになったときも、大いに自分の力になってくれています。

 このことを、私は多くの人たちに、特にこれからを生きて行く子どもたちに伝えたいと思うのですが、このことは私自身誰かから学んだことではないので、教えようがないものかもしれません。

 教えられたとしたら…‘反面教師’だった父親からかもしれないと、フト思いました。「父親のようにはならないぞ」という一心で生きてきた時期が確かにありましたからー。でももうそのことも忘れてしまいそうな年になってきました。

ー以上で、『貧困と愛国』を読んでを終わります。

以下、本文よりー
 
《佐高:戦争中、歴史学者の羽仁五郎は、天皇制教育を受けさせたくないということから、子どもの羽仁進を公立の学校には行かせなかった。キリスト教にもとづく自由教育を目指して羽仁もと子が創立した自由学園に入れたわけです。ただ、それはごく一部の恵まれた立場の人だからできたことかも知れませんが。

雨宮:非国民呼ばわりだったでしょうね。

佐高:それを覚悟しつつ、学校に行かせないという生き方があったんです。そういう考えを持っている人は、学校万歳にはならない。

佐高:東大法学部卒業みたいな戦後民主主義のエリートたちは、彼女たちの存在に逆にビビるわけですよ。ビビるだけの感性は持っている。そうすると中山千夏が花柳幻舟をちょっとたしなめて、「小学校中退とか、あまり言わないほうがいい。まともな感性を持っている人は学校へ言ったことを恥じている。そこを何度も突っついてはいけない」というふうに言う。本当はそういう人が教師になればいいんです。

 雨宮さんに言われて改めて認識させられたのは、戦後民主主義だということです。競争を強制される生徒にとっては、そこが生き地獄の戦場になっていた。》

 [第3章 「生きさせろ!」という生存運動]から【「怠ける権利」とプレカリアート運動】より

《佐高:マルクスの時代といまを較べることはできないけれども、マルクスは『共産党宣言』のなかで既成の労働者階級からはずれたルンペンプロレタリアを、旧社会の腐敗物であり、革命のときには反動の側に利用されるだろう、革命の側に立つことはまずないと言って、ある種切り捨てるんですね。

雨宮:そうだったんですか。知らなかった。それは、いまで言えばニートや引きこもりを切り捨てるという感じですか?

佐高:時代状況が違うから単純にはアナロジーできないですけどね。マルクスが考えたのは、働かないで搾取している連中に対する労働者階級の抵抗だったから、労働ということに重きが置かれるのは仕方がない面もある。労働の価値を強調しないと搾取を批判できないわけですから。

「働かざるもの食うべからず」というのは、たしかレーニンがパウロを引いて言った言葉で、労働に対して正当な対価をよこさない支配者層に向けた言い方なんだけど、こういうところにもやはり労働を至上のものとする発想がある。左翼の運動のなかに、組合中心主義や学校至上主義を生んでしまう体質がずっとあったのは確かですね。》


●なるほど、そういえば私の家も小さい頃は「学校絶対」みたいなところがありました。昔はみんなそうだった、と言えるのかもしれませんが。でも、小学校でも中学校でも、なぜか父親と懇意の教員がいたのが不思議でした。今思えば、共産党の活動をしていた父親と、組合の活動をしていた教員が懇意になっていてもおかしくないわけです。

「働かざるもの食うべからず」は昔から言われていて、そういうものだと私なんかも信じ込んでいましたが、考えてみればそこからはじき出される人のことを考えていない言葉ですね。特に今の時代安易に使えない言葉だと感じます。

以下、本文よりー

《雨宮:私が右翼団体にいたときも、同時期に同じ団体に入った若い人の話を聞いてみると、根底にあるのは、自分がいかにひどい教育を受けてきたかということが原点だった気がします。先生がいかに左チックで、その左チックな人がいかにひどいことをやっていたかということが、かなり話題になっていました。

それプラス、私が所属していた右翼団体はほとんどが中卒や高卒のフリーターだったので、頑張っても何ともならない社会に放り出され、学校で教えられた価値がすべて瓦解したという、その二つが共通点でした。なので、ある種の学校への反抗としての右翼活動という側面もありましたね。

佐高:私は5年半、先生という恥ずかしい仕事をしていましたが(笑)、いま強く思うのは、学校というのはいろいろなものの一つに過ぎないということです。ところが、先生たちにとっては学校がすべてなんです。

教育こそがすべての基本だとか、あるいは学校こそが右傾化を食い止める拠点だとか言われると、ますます自分は最も価値ある仕事に携わっているんだという意識になる。学校というものを相対化できない。そうするとそれを押しつけられる生徒にとって、やはり学校は逃れられない権力として立ちはだかるわけです。

 でも、学校へ行かなくたって人間は育つんです。学校とはまったく別の生き方というのは教師の頭にはまったくない。学校を絶対的な価値として考えてしまうと、そのまま、いい学校からいい会社へという図式しかなくなってしまう。

佐高:学校なんていうのは行きたい人が行けばいいというぐらいに考えられるようになれば、エスカレーターとは別の階段や、あるいは競争から下りる階段が見つかるかもしれないのに。》


●「ある種の学校への反抗としての右翼活動」とは…。つまり、学校で先生たちが子どもたちに説いていることと180度転換したことを子どもたちは学んで巣立っていっているわけであり、これってなんたる皮肉、矛盾だろうかー。

 何を伝えたいのか、そしてそのためにはどう具体的にすればいいのか、そこらへんのことを子どもに相対する大人ひとり一人が考えていかないことにはいけないのでしょう。

「学校へ行かなくたって人間は育つ」「学校というものの相対化」、これらのことを頭に入れられれば、先生も親も、そしえt子どもたちも楽になるのにー。

以下、本文よりー
 
《佐高:それが、北海道教組に典型的なように、組合加入率100パーセントの落とし穴なんだよね。組織の上からの指示を疑うことを知らずに、みんな組合型の同じような教師になってしまう。私が教師になったころは、山形高教組というのはけっこう強かったけれども、組合員ではない教師もかなりいたわけです。そうすると彼らとのつき合いや論争のなかで人間的に鍛えられるという面もありました。

組合とは無縁の屈強な柔道の先生とか、そういう人に私はわりとかわいがられて、「おまえは組合活動なかに精を出すのはけしからんけど、人間的には見どころのある男だ」とか言われたりしていた。そういう人のほうが生徒を抱きとめるタイプだったりするんです。

 雨宮さんが体験したように、いじめという現実の前で教師がいじめる側に回ってしまう。これは、弱肉強食の弱は悪いんだという考えがどこかにあるからですね。

雨宮:そうですね。競争を肯定すると、いじめも肯定することになっていくと思うんです。私の子ども時代には、初めてのいじめ自殺が中野で起こったんですが、私の地元なんかは田舎だからまだそんなに深刻な問題ではないと見なされて、先生はいじめをまったく放置していましたね。そして2006年に、私の出身地である滝川市の小学校でいじめ自殺が起こってしまったんです。

学校側がそれを隠蔽していたことでも問題になりました。このことは象徴的なような気がして、いじめに対しての意識は時代とともに変わってきただろうけれども、やはりあの地域はいじめ自殺を止められないような先生が多い場所だったんだなと思いましたね。

雨宮:右翼に入りたてのころに初めて知ったんですが、日教組の人たちが「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げて活動しているということを知って、びっくりしたんですね。私は自分たちのあの中学校こそが戦場だと思っていて、実際にかなりの犠牲者が出ている。いじめが辛くて叫びながら学校から逃げて行っちゃうような子もいたんですが、先生はまったく放置していたし、何もフォローしなかった。

いじめから不登校になり、ずっとひきこもり状態で、20代で自殺、なんていう「10年後のいじめ自殺」も私の周りでは結構あります。死ななくても、その後の人生を明らかに狂わせている。そういう意味では、現実の学校のなかでものすごい犠牲者を出しているにもかかわらず、そこには目を向けることなく、「戦場に送るな」と言っている。すごく矛盾を感じましたね。

逆に言うと、本当の戦地だけを戦場にしておけば、先生にとってはすごく楽じゃないですか。そこにさえ生徒を送らなければ、ここがどんなに悲惨でも、何もしなくてもいいということになるわけですから。ここが戦場なんだということを理解してくれる感受性が先生たちにあれば、学校の環境はいまと全然違ったのになと思うんですよ。》


●「ここが戦場なんだということを理解してくれる感受性が先生たちにあれば」という言葉を、とても重く感じます。

 考えてみると、大きなスローガンは声高に唱えるけれども、自分の生活、足下をまったく変える気がない人っていうのは、どこの世界にもいるでしょう。我が身を振り返っても言えることです。
 自分自身を客観視することというのは、実はとても難しいことであり、それができている人っていうのは、本当に少ないのじゃないかと感じます。

 それぞれの人にとってのシステムを作っておかないと、自分自身を客観視することはできないかもしれません。ブログを公開して、常に奇譚なき意見を受け入れる態勢を作っておくことも、その一つだと私は思っていますがー。

 そういった意味でも、先生と呼ばれる人たちは、自分のやっていることをオープンにすることを常に頭に入れて行動するか否かで違ってくるようにも思います。

以下、本文よりー

《佐高:だから、雨宮さんの話を聞いて痛感するのは、弱い立場にいる者や強くあろうとしない者を認めず、蹴飛ばしてしまうという戦後民主主義の裏の実態です。私も教師だったから忸怩たるものがありますが。

 強者の自立ということを疑わない教師たちが、雨宮さんの地元で言えば北海道教組という、ものすごく強い、名だたる組織でまとまっていた。そういう組合型の教育が、弱さへの着目ということを欠落していたために、深刻な現実を生んでしまったという感じもある。

 ところが北海道教組は、その後ゴソッとまとめて「連合」に行ってしまうわけです。北海道知事だった横路孝弘が社会党から民主党へと変節したこともあって。民主党には西村真悟みたいな人もいて、自民党以上に日の丸・君が代に賛成する人もいる。それなのに北海道教組はゴソッと連合へ行って、民主党を支持する。学校の先生というのは変に真面目だし、組合型の発想に馴れてしまっているから、選挙になると組合の上からの指示に従って、当たり前のように民主党を支持してしまう。

だから私は北海道教組に呼ばれて講演に行ったときに、おかしいじゃないかと最初にぶつけたわけです。「日の丸・君が代に反対しているのに、なぜ民主党なんか支持するの?本気で真面目に反対していないということじゃないか」と言いました。彼らは個人の強さに憧れているわりには、組織からの指示に極めて弱い。日の丸・君が代に対しても、これまで組合という集団でしか反対してこなかったから、組合全体が連合に行くと、今度は民主党を支持するという話になってくる。

 私が感じている違和感と、雨宮さんの感じている違和感は、どこかでつながっている感じがします。私の言い方で言えば、雨宮さんは組合型民主主義の矛盾をもろに引き受けさせられたのではないでしょうか。組合型民主主義教育というのは、システムのなかで蹂躙される一人ひとりの人間の弱さを、弱さのままに抱きとめるということをしてこなかった。
 
雨宮:そういう先生は一人もいませんでしたね。逆に弱肉強食を地でいくというか、競争を肯定しなければ存在を許されないみたいなところが、すごくありました。》


●私はこの佐高さんの文書を読んで目からウロコでした。私の認識、知識不足なのかもしれませんが、上記に記されたようなことには全然思い至ってなかったからです。
 もちろんこれは佐高さんの論であり、これが真実かどうか私は知る術もありませんが、耳を傾けておく必要はあるはずです。

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