さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

グローバル化・温暖化、格差社会

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

《北米大陸はご存知のとおり「新世界」である。近世に至るまで、あの宏大な土地にほとんど人間がいなかった。だから、ヨーロッパ人はアメリカを見てびっくりした。
 手つかずの自然というものを十五世紀のヨーロッパ人は見たことがなかったからだ。

 西ヨーロッパには森というものがない。フランスにもイギリスにもイタリアにもない。 全部切り倒してしまったからである。

 ペロポネソス半島はかつて深い緑に覆われていた。今は岩山にオリーブが寒々と生えているだけである。古代の製鉄が大量の燃料を要求したために、ギリシャ人がみんな切り倒してはげ山にしてしまったからである。

 だから、北米を見たときのヨーロッパ人の感動は深かった。
「ここには神が創造したままの原初の自然が残っている」と彼らは思った。
 シャトーブリアンを読むと、ロマン派の詩人の目に北米の自然がどれほど神々しいものに映ったかよくわかる。

 で、その神々しい自然を見てどうしたかというと、彼らは「これを破壊し尽くすのに、たっぷりあと1500年くらいはかかる。ばんざーい」と思ったのである。

 だったら遠慮はいらない。
 アメリカ開拓のフィーバーはほとんど「狂気」というのに近いものであった。

 開拓民たちは「荒野」を開拓し(それは要するに森林を消滅させるということである)、何年もかかってつくりあげた開拓地を棄てて、次の「荒野」へ向かった。そして、わずか数十年で大陸を横断して、太平洋までフロンティア・ラインを伸ばしてしまった。

 これはトックウ゛ィルならずとも「ある種の狂気」という他に形容のしようがないだろう。彼らは「破壊しても破壊しても破壊しきれないほど豊穣な自然」を前にして病的に興奮してしまったのである。

 そのメンタリティはそのあともずっとアメリカ人に取り憑いている。
 フロンティア・ラインの消滅の後、アメリカ人が向かったのは太平洋の反対側の小さな列島であった。

 そこの囲みを砲艦でこじあけ、原爆を落として紙と木でできた文明を破壊し、その次には朝鮮半島の半分とインドシナ半島の半分を焼き払った。それからアフガニスタン、イラクとアメリカの破壊のフロンティア・ラインは西漸を続けている。

 この「アメリカの西漸」を説明するために国際政治のスキームなんか使ってもあまり意味がない。
「西へ向かって、自然を破壊せよ」というのは最初に北米大陸を見たときのヨーロッパ人に点火され、それ以来消えたことのない根源的な欲望だからである。
 そうやってアメリカは自然を破壊してきた。

 それでも北米では200年にわたって、破壊しても破壊してもし尽くせないほどに豊穣な自然を人々は享受していた。
 それがそろそろ「おしまい」になってきたのである。

 地下水を汲み上げてスプリンクラーでじゃあじゃあ撒きちらすというアバウトな農業を100年やったら、ロッキー山脈の麓ではとうとう表土が流出して塩が出てきた。

 牧畜はそれよりももっと環境負荷の大きい営為である。牛一頭が育つためには膨大な量の植物が消滅する。アメリカの牛肉が安いのはそこで消滅した「膨大な量の植物」のコストをゼロにカウントしているからである。破壊された植生が再生しなくても、「じゃ、次行こう」でまるでオッケーだったのである。

 そうやって200年やってきて、さすがに豊穣なアメリカの自然も砂漠化し始めてきた。
 そりゃそうだろう。
 自然破壊した分を商品のコストから控除して国際競争力を確保してきたんだから。
『夕鶴』の織物の国際競争力が強かったのは「つるの生命の減耗」というコストを「与ひょう」がゼロ査定していたからである。
 アメリカがしてきたことは「与ひょう」のそれと同じである。

 まあ、そんなこんなでアメリカも「これではマズイ」ということに気づいて、大量生産・大量消費・大量廃棄の文化を少しでもスピードダウンすることになった。
 けれども、いきなり自然破壊を止めるわけにはいかない。それぞれの業界にはそれぞれの「お立場」というものがあるから。

 というわけで、「人間にやさしく、環境にやさしい」(より厳密に言えば「資本主義にやさしく、環境にもやさしい」)ライフスタイルをアメリカ人は模索することになったのである。

 何となく、「もう手遅れ」じゃないかという気が私はする。
 自然を破壊することをナショナル・アイデンティティの基盤に組み込んでしまった社会集団がそれを否定することは、彼らの存在そのものの否定につながるからである。

「本当のことを言うと、私たちの祖先は北米大陸に来るべきではなかった」ということをアメリカの多数が認めるようになったら、アメリカにもアメリカの自然にも再生のチャンスはある。
 「ロハス」がその予兆であればよいが、たぶん、違うだろう。

●私はこの文章を読んで、「目からウロコ」でした。

 なんとなくおかしいと思っていた事を、実に論理的に的確に表してくれたからです。「やっぱりそうだったのか!」「え〜、そこまで言うの!」という感じです。みなさんはどう思われるでしょうか。

 ヨーロッパ人がアメリカ大陸を「発見」し、以来これまでず〜っと「西漸」してきたと考えると、歴史というものがすーっとひと連なりにわかってくるように感じます。
 それにしても恐ろしい。これはとどまるところがないのだろうか・・・。

【「グローバル経済」が温暖化を加速している】

 国内でモノを運ぶと高くつく。ところが、よその国から運んでくると安く上がる。このなかで経済合理性を考えたとすると、韓国の人は、作ったものを全部日本に売るべきです。そして日本の農家は、作ったものを全部韓国に売るべきです。

 なぜなら、国境線を越えたほうが燃料が非課税になるんですから、そういう変なスキームのほうが経済として合理的になってしまうんです。しかも石油を使ったコストは経費となるので、得られた収益から先に差し引けます。つまりその分税金も安くしてもらえる。

 しかし、もし両方に税金をかけたらどうなるでしょうか。経済のグローバリゼーションはたちどころに消えてなくなります。グローバリゼーションというのは、このトリックによって“成り立たされている”仕組みなんです。

 地球を半周して運ばれるブラジルの大豆が、国産大豆より安いのはおかしいと思いませんか?「それは人件費が安いからだ」と言う人がいますね。今、ブラジルから大豆を最も輸入しているのは中国です。ブラジルより中国のほうが人件費が安いんですよ。

 コストで見ると、海に近い場所からは海外へ運んだほうが、絶対に安くすむんですね。経済のグローバリゼーションを「合理的」だと言っている経済学者の話は、すべて間違い。“仕組まれた合理性”でしかない。

【「ブルーベリーを国産に替える」だけで大幅に二酸化炭素を減らせる】

 できるだけ国内産のものを利用すればそれだけ二酸化炭素排出を防ぐことができる。つまり「地産地消」が、家庭にできる最大の温暖化対策だったのです。

 なぜこれほど減らすことができるのでしょうか。前に説明しましたが、日本の二酸化炭素排出の大部分を占めるのは、「産業」「発電」、そして「運輸」でした。この運輸部門の二酸化炭素を減らすことができるからなんです。

【100年後を見据えた政策を】

 日本の政治家とヨーロッパの政治家は、何が違うかと考えてみると、ヨーロッパでは100年先見据えて選択肢を考えるんですよ。100年先は、前述したとおり自然エネルギーしか選ぶ余地はない。だとしたら、50年後はどこまで進めるべきか。そのためには今、どれを選択すべきか。100年後の未来をイメージしながら考えるから、ヨーロッパは自然エネルギー中心の政策になるんです。

 ところが日本の場合、今やっていることを少し改善して、小さなアイデアを加えた方向に未来を落ち着けようとしますね。人類の危急存亡のときに、これでは全然だめなんです。ヨーロッパのような、100年後の将来から逆算する考え方を「バック・キャスティング」といいます。日本のように、今の時点から進む考え方を「フォワード・キャスティング」といいます。

【人類滅亡の危機を救うのは一人ひとりの「可能性」】

 そろそろ、一人ひとりが分担してやっていかなければならない時期にきています。これからの10年で自分が何をできるか考えましょう。可能なら、自分たちで事業を興してしまいましょう。それによって自分たちが生活できて、社会を変えていける仕組みを、どんどん開発してほしい。その開発が進めば進むほど、社会はよい方向に移っていきます。

 私は社会を大きく変えたいとは思っていないんです。各地で小さな拠点を作って、その小さな緑の点が日本中を覆い尽くしていけばいいと思うんです。それを皆さんと一緒に進めていきたいと思っています。可能性は十分にあります。最初から無理だとあきらめていたら何も変わりません。可能性が少しでも見えたら、真っ暗闇の中に明かりが灯るようなものですから、誰もがそこに進もうとするはずです。

 まず私たちが持つべきものは、希望だと思うんです。
 一人ひとりがその“希望の灯”を灯していけば、人類滅亡の危機は必ず回避できると信じています。

【あとがき】より

 私たちには必ず大切にしたい人がいます。その人たちの未来のために、やれるだけのことはしておきませんか?人類が破滅へ一歩一歩近づいていることは疑いようがありません。これからの10年は、歴史に例のない「未来を決めてしまう10年」になってしまうと思います。残された時間はほんのわずかです。「明日から何とかしよう」「誰かが対策を考えてくれるだろう」と思っていては絶対に助からない。
 私は後悔したくないのです。

※『地球温暖化/人類滅亡のシナリオは回避できるか』(田中優・扶桑社新書)

●私も後悔しないように、できるだけのことをしていくしかないなー。

 最近、スーパーマーケットの袋の有料化がずいぶん進んで、袋を持参する人も増大しているようですね。
 私はもう20年も前からやっていますが、ず〜っと「なんだこの人?」という目で見られていた感じがしましたから、変われば変わるものです。スーパーの袋なんて、手に食い込んで持ちにくいという理由もありましたが。
 とは言いつつ、ゴミ袋にするために必要最小限はもらってきますけどね。
 こんな地道なことでも、時期が来れば爆発的にする人が増えるんですから、なにごとも望みを捨てずにやり続けることでしょうかー。

 本書には、絶望的な現在の状況と、まだ残されている「希望」が記されています。この二点は、アル・ゴア氏の映画と同じですね。

 田中優さんの言いたいことは、マスコミなどの一般論におどらされず、自分で考えてちょっとずつ動き出そうよ、ということなのだと思いました。自分から知ろうと思わない限り見えて来ない事実が世界にはたくさんある、そのこともわかる本でした。

以下、本書から抜粋ですー

【人類が生き残るには、楽観的に見てもこの10年が勝負】

 この10年がどう変えられるか、変えられないか。それによって、我々の未来がなくなるのか、残せるのかが決まる。その瀬戸際のところにいるんだろうと思っています。地球温暖化の問題は、予想のほかとても厳しい状況に置かれていると思うのです。

【自然エネルギーは「可能性」ではなく「必然」】

 世界の紛争地はまさに資源とその通り道を中心にして動いていて、これまで指摘した5つの地域に戦争がすべて集中しているといってもいい状況になっているのです。だから、将来のエネルギーの確保や、テロや戦争のない社会を望むのであれば、自然エネルギーに換えるしかない。今後は、自然エネルギーに換えていくことが最大のセキュリティ確保に繋がるのです。ドイツの元首相、ゲアハルト・シュレーダー氏がこう言っています。

「最も重要なエネルギーセキュリティとは、自分の地域で作ったエネルギーを利用することだ。決して軍事でよその国を制圧することではないし、その海峡を押さえることでもない」

【ヨーロッパは既に自然エネルギーに移行しつつある】

 ところが「先進国」と呼ばれる国のなかでなぜか日本だけが、「自然エネルギーは不安定で、値段が高くて、子供のオモチャだ」と言っていて、国民はそれを信じきっているという何とも不思議な状況なんです。日本政府は「原子力立国計画」なるものを発表して、「自然エネルギーは非現実的、だから原子力が必要」とさかんに宣伝しています。

 日本では原子力発電に反対すると「原始時代の生活に戻っていいのか」と脅されますが、ノルウェーだって原子力発電所を持っていません。ノルウェー人は原始時代のような生活をしてませんよね。世界の常識を日本に当てはめたら、日本が異常なんです。

【日本の二酸化炭素排出量の約半分は、たった167工場が出している】

 167企業ではありません。たったの167工場ですよ。この167工場で日本の二酸化炭素の半分を出しているのですから、その気になれば一気に減らせます。

【鉄鋼業界の二酸化炭素排出量非開示を許すな】

 政府や企業が何もしないから、まず自分たちから家庭で始めていこうという姿勢はもちろん重要です。しかしその8倍、企業には努力させなければならない。ライフスタイル変更論で、個人のモラルの話に矮小化させていてはいけないんです。

 さらに聞きたい。日本の中で二酸化炭素を大量に出していた産業、例えば鉄鋼、アルミ、銅精錬工場などは省エネをしましたか?実はそれらの産業は日本から消えていってるんです。工場を外国に移したからです。日本は省エネに成功して二酸化炭素排出を防止した国ではなく、それらの企業を外国に持っていった国なのです。

●この映画撮影がきっかけで人生が変わるのでは…?

 岩渕青年が自分自身にカメラを向けようと思ったのは、映像クリエイターで雨宮処凛さんのドキュメンタリー映画を撮ったことでも知られる土屋豊さんと出会ったことがきっかけとのことでした。
 土屋さんの映像講座か何かに参加した後に、「これから派遣で工場で働く」と話すと、「それはちょうどいい!?」と土屋さんや雨宮さんに言われ、自分の日常を撮ろうと思ったのだそうです。

 彼は撮りためた映像を編集して映画を作り上げるために仙台の実家に移り、今は地元で派遣労働をしながら、今回のような上映会に足を運ぶ暮らしをしているそうです。
「派遣でいることにアセりはない」と話していましたが、それは年齢(まだ25歳)のせいもあるでしょうが、この映画ができたことで自分が注目を浴びてきていることにもあるのでしょう。

 淡々と自分自身を映したこの映画は、自分の苦しみを訴えるのでもなく、社会の問題を訴えるのでもなく、「ただ、今自分が生きていることを伝えたかっただけ」とのことでしたが、彼自身の視点が独特でおもしろいものに仕上がっていると私は感じました。

 次は、地元の「フリーター労働組合」に自分も参加して、そこから感じたことを映画にしたいとも話していましたし、この映画撮影がきっかけで、「派遣労働者の自分」が何か変わっていくのではないか、と私は感じました。

 「“何かを変えられる”という発想自体はない」けれど、「自分が変わりたい、そのためにはどうしたらいいか」ーと、映画から伝わってきていました。

●「今の生活は自分の責任(自己責任?)」と若者たちが感じるのは、教育の成果?

 岩渕青年は、今の生活からは抜け出したいが、あくまで自分の意思でやっていることなので、社会やそのシステムに怒りが向くことはないとのことでした。また、若者たちの多くがそのような傾向にあるようです。

 雨宮さんはそれを、「義務教育の過程で‘自己責任’という言葉が刷り込まれてきたからではないか?」と話していましたが、私も今の教育の成果(もちろん‘負’の意味で)がそこに表れているのではないかと感じました。

 つまり、「自分の頭で考える」ような教育をしてこなかったから、「思考停止状態」で、「世の中に疑問も持たないまま言われた通りのことをする」だけの若者たちが生み出されているわけです。為政者たちはその方が自分たちの都合のいいように国を治められますからね。

 「一部のエリート(政治家も含めた)が富み、大多数の国民は日々の糧を得るためだけの生活をする」ー経済成長、そしてグローバリゼーションの行き着くところはそこにあるとしたら、「思考停止状態」の若者を大量に生み出さないことには実現できないのですから、今の岩渕青年のような若者が出てきているのは、為政者にとって願ったり叶ったりであることに違いありません。

 巷で言われている「学力低下」に対して、抜本的な改革もせずに取ってつけたような対策(習熟度別クラスや単なる授業時間の増加)しか行わないのは、上記のことを考えると明白です。

 4月28日(月)“「遭難フリーター」上映会+トークセッション”に参加しました。

 私はこのイベントをとても楽しみにしていました。一人の若者を通じて、今の若者たちの考えや行動、そして困難の一端を知ることができるだろうし、そこから日本社会の歪み、そして問題点をより把握できると思ったからです。

 映画自体見るのが一番の楽しみなのですが、それに加えて、自作自演(監督・主演)した25歳の若者と、アドバイザーとして関わった雨宮処凛さんのトークがあるのですからー。

●奇跡的に?間に合ったー

 4月28日月曜日、この日は夕方らくだの教室の生徒が来る日でした。生徒対応が終わりしだい自転車で駅へ向かうつもりでいましたが、生徒が遅く来てしまうと映画の途中から、あるいは映画が終わった頃に駆けつけることになるかもしれないと思っていました。

 しかしこの日は生徒が早く来てくれたのです。それでも終わったのは夕方5時半頃でした。自転車を飛ばして手稲駅5時40分発の電車に飛び乗り、札幌駅から走って会場のかでる2.7へ着くと、ちょうどはじまりの挨拶をしているところでした。

 会場は先日の「憲法シンポジウム」が行われた場所と同じでしたが、また同じように会場は満杯でした。今回は前回よりもずっと年齢層が若かったですが、会場には私も知り合いの、市民出資の映画館を経営しているNさん、北海道に移住して地域に根づいた映画およびグローバルな視点からのドキュメンタリーを撮っているF監督も来ていました。今回の若者が作った映画への関心の高さを物語っていると感じます。
 それにしても、自宅を出てから30〜40分、よくぞ間に合ったものだと思いますー。

●東京に憧れる青年ー私もそうだった・・・

 映画の中で岩渕青年は、平日は東京近郊の工場での派遣労働(プリンタのインクにフタをつける)、週末は東京での日雇い派遣(肉体労働)という日々を過ごしていました。

 派遣労働では会社の寮に入っており、収入は少ないものの週末にまで働きに出かけなくてもいいようなものを、彼は「少しでも東京に近づき、そこに居たい」と、ネットカフェでの宿泊や野宿になっても、東京に出ていきます。

 確かに、工場の寮で週末過ごしても、何も(刺激が?)ない場所では鬱々として過ごすだけかもしれません。

 私も初めて東京に出た時は、自動車工場の期間契約社員として働きました。東京の友人の下宿(四畳半一間!)に転がり込んだのです。友人はいい迷惑だったことでしょうが、無理やり追い出すことはしませんでしたから、今考えれば有り難いことでした…。

 確か3〜4ヶ月働いてお金を貯めて、自分のアパートを借りたのです。そのくらいで敷金礼金前家賃分まで貯まったのですから、今とは時代状況が違ったと言えるのでしょう。昼夜金交代のハードな仕事(単純労働)でしたがー。

 私も、東京に憧れて出て行きました。何に憧れたかというと、「文化」だった、ーと今は言葉にできます。

 休みの日は、映画、シンポジウム、講演、音楽会、等などに出かけ、おもしろそうなイベントや何かにアンテナを張っては参画し、個人的なつながりを広げていきました。それまでは‘地方に住んで地方の大学に通う’暮らしでしたから、そういった意味での「刺激」に飢えていたと言えるでしょう。

 私が東京に憧れ、そして出て行った理由は今振り返ると明白ですが、当時は「とにかく刺激が欲しかった」。

●今の若者が東京に憧れる理由は…イマイチよくわからないがー

 せっかく東京に出かけるのなら、自分自身のコヤシになるようなことをしたり、ネットワークを広げるような場に出かけたりしたらいいのに…と、私などは思ってしまいます。

 でもそれは、生活にゆとりがないと、すなわち、金銭的に余裕がないとそんな発想にもならないし、そうしたいとは思っても現実的には日々食べたりできれば貯蓄したりということを考えれば無理な話なのかもしれない、いや、そういうことなのだとこの映画を観た後に思います。

●自分の人生を切り拓いていく術ー

 「自分自身を高めていくこと(常に学びつづけること)」と、「人とつながり自分自身のネットワークを作り広げていくこと」で、私はこれまで生きてこれたという実感があります。上記の二点さえ続けて行けば、その人なりの人生を切り拓いていくことができるという思いがあります。

 今の時代は違うのでしょうか?そんなことはないと思います。私はこのことを若者に伝えていきたいと思うのですが、そうやすやすと伝えられるものでもないとも思っています。自分自身にそれを続けて行く強烈な動機がないと、言葉は届いていきません。
 それに加えて、「ゆとりのない生活」を強いられているのですから…。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
tomoto
tomoto
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事