さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

不登校

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 私のところにも不登校の子どもがいますが、らくだ学習を続けるうちに学校に通うようになる子が多いです。それを目的としているわけではなく、自然にそうなるケースが多いということです。

 フリースクールに行く子もいれば、らくだ学習などで力をつけていく子もいるし、高校に通わなくても大学検定試験を経て大学に合格し、学生生活を楽しむような人も珍しくなくなってきているので、一昔前に比べると「不登校」の子の選択肢は多様に開かれていると感じます。

 でも、フリースクールに通うにもお金がかかりますし、らくだ学習をするのだって無料というわけにはいきませんから、経済的に苦しい家庭のお子さんは、子どもにとって大切な「居場所」がなかなか見つかりません。

 そのフリースクールの運営に携わっている方々だって、安定した収入にはほど遠いのです。

 教育政策に携わる方々には、それらの現状をしっかり認識した上で、柔軟な施策をしていってほしいと切に願います。

 私も何度か参加している、「北海道フリースクール等ネットワーク」主催の教育フォーラムが行われますので、以下に紹介しておきます。

                         *

              教育フォーラム 〜フリースクールからの発信〜 
          「不登校の子どもたちが訴えていることに耳を傾けてみませんか」


□日時 2010年6月11日(金) 午後6時30分〜8時30分(開場 午後6時)

□場所 エルプラザ内 札幌市男女共同参画センター4F大研修室
     (札幌市北区北8条西3丁目)

□内容
 ●第1部
・講演 「不登校、そのポイントをこう考える」 平野直己氏(道教育大札幌校准教授)
・当事者発表(3名) 「不登校、私の体験談」「不登校がその後の私をつくった」

 ●第2部
  「不登校について、みんなで考えよう」(参加者の皆さんとの意見交換)

□費用 500円(高校生以下無料)
□主催 北海道フリースクール等ネットワーク http://www13.ocn.ne.jp/~fs_net/index.html
    NPO法人フリースクール札幌自由が丘学園
□後援 札幌市、北海道教育委員会、札幌市教育委員会、北海道新聞社、
     フリースクール等で子どもを育てる親の会
   

 [高校入試は意味があるのか?]から【私立中高一貫校と公立中学】より

《ほかにも数名、大学進学一辺倒ではないタイプの私立中学の子に接した。そのうちに、共通点があると思った。立場を保障され、受験に追われなくて済む子どもたちに独特の感じがある。こせこせしなくて、よく発育している感じだった。外向的になるタイプと、内向的になるタイプがあり、それは個人差なのだが、いずれもこせこせしない感じだった。

 彼らは中学受験のときに勉強させられているから、その反動で、いったん中学に入ったら、もう勉強などしない。遊びまくる。先生が口を酸っぱくしたところで、無駄である。
 とうぜん、テストで測れるような学力は、同程度の能力を持つ公立中学の生徒より低い。

 ところが、高校を終える時点では、公立の場合と学力はほとんど同じである。いつのまにか、なんとかなっている。理由は、高校入試のために中学の内容の細かいところまで磨きをかけたところで、時間が経てば大勢に影響はないということだと思う。最終的に重要なのは、考える力そのものである。これは、「心が安定していて、権威者の言葉や固定観念にすがりつかなくて済む」ことそのものである。勉強量とあまり関係ない。

 私は、「公立中学が高校受験で追い立てて、ほんとうに人のためになっているの?」という疑問を持っている。》

 【高校入試はなくてあたり前】より

《高校入試を行う必然性があるのか。これは、アメリカやヨーロッパの教育制度を調べているうちに湧いてきた疑問でもあった。欧米では、高校入試に相当するものがないのが普通である。
 アメリカでは、中等教育で中学高校がまとまっている州と、高校にあたるものが別になっている州があるが、どこでも初等中等教育の12年間は希望者全員を受け入れていて、通常、試験などの選抜は行われない。

 イギリスは、中学高校は中等学校としてまとまっている。一部を除き、選抜試験はない。
 フランスは、中学にあたるコレージュと、高校にあたるリセが別立てであるが、いずれも選抜試験はない。大学すら、大学入学資格に受かっていれば、願書の先着順である。

 私が確認したかぎりでは、欧米の主要な国には日本の高校入試に相当する大がかりな選抜試験はない。日本のように高校入試でムチを入れなくても、社会と産業はちゃんと維持されている。》


●「時間が経てば大勢に影響はない」というのは、そうなんだろうなぁ、と感じます。
 そして、「最終的に重要なのは、考える力そのもの」であり、これは、「心が安定していて、権威者の言葉や固定観念にすがりつかなくて済む」ことそのもので、「勉強量とあまり関係はない」というのも、なるほどなぁ、です。
 「考える力=心が安定していること」とも読み取れますが、多くの子どもを見てきて、私もそう感じます。

《私の塾はいちおう算数塾だったのだが、「子どもがいやがれば教えません」という了解を親から取っていた。教え込みなら学校でやっている。それより子どもたちに自由な時間を作って、子どもたちが求めているものに応えようと思った。

 願いとしては、入試など関係なく、自分の興味関心事を花咲かせていく子どもたちを育てたかった。やってみた結論からいうと、週に2時間ほど自由な時間を作っても、大勢に影響はない。なにか種子を残したかもしれないが…、という程度である。

 しかしとにかく、小学生たちにとっては楽しかったのだろう。友達が友達を呼び込んできた。口コミだけでずいぶんと生徒が増えた。
 ところが中学生になると、だんだん生徒が少なくなる。理由は、進学塾のほうに移って行くためである。》


 【偏差値の意味】より

《受験勉強を擁護する人たちに、受験勉強で本当に知性が伸びると主張する人たちもいる。私の経験でも、そういうケースはけっこうあると思う。しかし、そういうケースの多くは、親、塾講師、家庭教師などが、その子に合ったメニューを探し、それを本気で教えたのだ。受験はきっかけにすぎず、優秀な人がかかりきりで教えたことの効果が大きいだろう。受験以外の道でもできることだ。いっぽう、受験勉強の弊害のほうは、たいへんに大きい。

 受験劇のために、小中学校の独自教育も、家庭の教育方針も、子ども一人ひとりの成長過程も、みんな影がかすんでしまう。》

●私もそう思うのですが、みなさんはいかがですか?

 [制度の不備]から【『学校教育法』の時代遅れ】より

《『学校教育法』は、国によって標準化された学校に出席することだけを認め、それに出席していないと就学義務違反になる仕組みである。この仕組みのために、日本の義務教育システムは不登校問題に対応できなくなってしまった。既存の学校では無理だ、という子どもたちが現れても、いかに既存の学校に戻すかの施策しか取りようがないのである。

 『学校教育法』は昭和22年の法律であり、子どもを無理やりにでも学校に行かせるのが恩恵だという考えのもとにある。その時代の子どもが学校に行かない主な理由は、教育に対する親の無理解だったり、家が貧しいためだったり、子どもが住み込み奉公に出されているためだった。そういう時代の法律である。

 現代で学校に行かなくなる理由は、学校と子どもが合わないことである。子どもに恐怖反応がある場合が多い。しかし、教育運営では、戦後になっても民主主義原則がなかったために、実情がなかなか把握されなかった。生き地獄と言ってよいものが多発していた。

 民主主義原則がないと、言いたいことが言えなくなるのではない。権威者の言うことが鵜呑みにされるようになるのである。学校に行けない子どもたちは、学校に適応できない自分たちが悪い、と信じ込んでいた。親たちは、自分の育て方が悪かったと信じ込んでいた。不登校の問題認識はきわめて遅かったし、その深刻さが認識されなかった。

 遠からず不登校問題は、水俣病など公害病と同列に扱われることになるだろう。不登校問題は、民主主義原則がないとどんなことが起こるかの見本として、何百年も語り継がれると思う。》

●「民主主義原則がないと、権威者の言うことが鵜呑みにされる」の言葉、なるほどと思いました。
 それに加えて、「自分の頭で考える教育」がなされていないのですから、言われるがままに「自分たちが悪い」と思い込んでいた…。


 【柔軟なシステムが必要】より

《日本型教育が無理な子どもがたくさん生じている。不登校現象は、それまでの教育方法の枠では捉えきれない子どもたちがたくさんいるということなのである。

 現在もあらたに、「学習障害」とか「多動性障害」とか呼ばれているケースの子どもたちが増えてきている。これは、新しい事態であり、いっさいの先入観を捨てて子どもにとっての最善を探る必要がある。

 全員を義務教育学校に就学させる歴史は浅く、世界的に見ても19世紀後半から20世紀初頭くらいからのことである。義務教育制度は、まだまだ十分な歴史的検証を経ていない制度である。特定の教育方法を絶対視すべきではない。
 学校制度が先にあるのではない。
 その子がなにを必要としているのかが、先にある。》

●「いっさいの先入観を捨てて子どもにとっての最善を探る必要」というのは、すべての子どもにあてはまることでしょう。 
「学校制度が先にあるのではない。その子がなにを必要としているのかが、先にある」という言葉にも深く共感します。
 それを実現しうる「柔軟なシステム」とは・・・。

 [就学義務のない国デンマーク]より

《ところがおもしろいことに、デンマークでは、家庭で子どもを育てる人の数は、統計の数字にも表れないほど少ない。学校に行かない自由があるからこそ、子どもが来たくなるような学校ができていくのである。
 高等教育も、大学まで無償である。

 デンマークでは、18世紀前半に、グルントウ゛ィという“国父”とも言うべき人物が現れて、一国の文化に大きな影響を与えた。グルントウ゛ィは、民衆教育の父とも言われ、「義務教育は怠惰と無関心を生む」「親の教育権を国家に侵されてはいけない」というような主張をした。グルントウ゛ィの教育思想に呼応して、フリースコーレと呼ばれる暗記や訓練によらない自由な学校を作る運動が起こり、現在に至るまで1世紀半の歴史を持っている。このフリースコーレの運動が公立学校にも大きな影響を与えている。》

●タイトルに上げた言葉がすべてですね。
「高等教育も大学まで無償」…自国のことを本当に思い、未来につなげる人材を育てようという気が本当にあるのなら、それは当然のことだと私は思うのですがー。
「グルントウ゛ィ」のような人物が日本にも現れないだろうか・・・。

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