さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

教育全般

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 奨学金制度再考 より

《辻元:家族のかたちに関係なく、「愛がなくても子は育つ」にするなら、私は最低でもあらゆる公教育を無償化したらどうかと考えている。
 上野:私は反対。

 辻元:ヨーロッパでは伝統的に無償化している国が多いでしょう、教育の機会を増やそうと。無償化した弊害も出ているけれど。

 上野:基本の「き」は、教育を親の子どもに対する投資にするなということなのね。投資というのは回収を予期したお金だから、親は投資の元を必ず取ろうと思うでしょう。その点では、あなたに賛成。でも無償化には反対。ドイツでは無償化への反省が起きている。
 
 教育というのは自己資本を高める活動だと考えるならば、高等教育は受益者負担でやればいい。高等教育以上は、自己資本の価値を高めたい受益者が、みずからの負債能力においておこなう。でも、子どもは負債能力をもたないから、将来に先行投資するというシステムを社会がつくり上げる。

たとえば18歳で大学に入学を許可されたすべての学生に、無条件で学資ローンの資格を与える。ローンを組みたい人は組めばいいし、いやな人は組まなければいいわけで。そのローンも、授業料を払ってバイトをしないで暮らせるだけの十分な額で、そうすると四年間でだいたい1000万円くらいの債務を負うことになる。1000万円の債務を、卒業してから長期にわたって返済していく方式。
 
 ただし、そこにはリスクがともなう。就職しない場合もあるし、踏み倒しもあるかも。これはどんな商品でも同じで、欠陥品発生率を五パーセントくらい見こんで制度設計をすればいい。踏み倒し予防保険なんて商品もつくればいいんです。
 自分が高等教育を受けるときに、少なくとも四年のあいだに1000万円の債務者になるという覚悟で、子どもたちに進学してもらいたい。これだけやると、教育受益者、つまり学生の教育付加価値に対する要求水準が格段に上がります。そうなったら、教師は、おちおちしていられませんよ。

 辻元:そうか。受益者が「親」のままでリスクだけ社会が引き受けるんじゃ帳尻が合わないね。学費貸与という中途半端なものでなく、生活費も出すというのがポイント。いくら奨学金をもらって大学にいけても、バイトに明け暮れなきゃいけないなら勉強にならない。そういう制度をNPOが仕切っている国もある。

 上野:そう。親の子どもに対する投資を、社会の未来に対する投資に置き換えるわけね。ただし、受益者負担の原則で、将来、債務は返済していただく。それがまた次の世代への先行投資の原資になるというしくみね。

 辻元:学生自身へのインセンティブにもなる。》


●「教育は無償であればいいというものではない」という上野さんの考え方を知り、なるほどと思いました。
現実的に今も、親がお金を出して高校や大学へ当然のように行く子どもたちが大半です。でもここに、大きな問題があるように私も感じます。「学びが自分ごととならない」からであり、単に「いい学校」へ行って「いい会社」へ行くようなルートに乗るだけだからです。

 上野さんの言うような、思い切った奨学金制度ができればいいと思いますが、現実的にはまだまだ難しいのでしょうね。また、今の社会だと、卒業してから1000万を返済するというのは、いくらなんでも非現実的です。

 教育がすべて無償化されると、行きたい子どもは皆行けるわけだから、意味なく大学へ行く必要はなくなり、本当に行きたい人たちだけ行くようになっていくでしょうか。入試制度や卒業資格、それに新卒一斉採用などの制度面も共に変わらなければ、意味のある改革とならないような気もしますが、格差社会の中での機会均等を考えると、教育無償化と奨学金制度のどちらも十分に議論していってほしいものだと思います。

 人材多様性、人を育てる教育 より

《辻元:私は実は、子どものときからずーっと学校の先生になりたいと思っておりました。だから教育学部にいったの。

 上野:あなたみたいなキャラでは、市町村の教育委員会の採用人事に通らないかもよ(笑)。私の友人たちで、この人には教壇に立ってほしいと思ったユニークなキャラの人たちは、採用試験にのきなみ落ちた。やっと産休代替教員や非常勤講師の職にありついても、何年やっても非常勤。いつのまにか歳をとって、採用年齢の上限を超えていた。それであきらめざるをえなかった人を、何人も知っている。
 
 管理主義的な教育の現場では、管理主義に適合的な人材を選抜している。教師が事なかれ主義のところでは、個性のある人材なんて育たない。ゆとり教育とか総合教育とかが出てきたときに思ったものよ、人は自分が経験していないことを教えられない。総合教育の理念はよいが、教える能力のある教師はどれだけいるだろうか、って。

 国策のうえでも、いまの日本の高等教育のなかから21世紀型の人的資本が育っているとは思えない。いまの教育制度がそういう人材を育てられるとも思えない。もし万が一育っているとしたら、それは本当にひたすら子どもの自助努力のおかげ。教育を受けたから、ではなく、教育を受けたにもかかわらず、自分で育った子どもたちだけが生き延びていると言うべきね。
 
 いまの教育のもとでは、そういう個性的な子どもたちが育つ確率はすごく低い。そういう子どもたちは日本の学校を忌避して、どこかよその国へ行っているかもしれないし、あるいは不登校になっているかもしれない。人材大国をめざしても、こんな教育のもとではなれっこない。グローバルな教育産業の競争のもとで、日本の高等教育は完全に「負け組」になっている。そのうち英語圏の大学に植民地化されていくでしょうね。もうその危険は目の前に来ているという危機感がある。

社会や集団がサステイナブル(持続可能)であるということを考えると、生物多様性と同じように「人材多様性(ダイバーシティ)」が、やっぱり肝なんだ、いろいろな人がいるから、いろいろな未知の事態とか経験したことのない事態に対応できる。ひとりの人間が対応する以上に集団としてより高いフレキシビリティ(柔軟性)が維持できる。 

 だから、ノイズの発信力のある子ども、ノイズに対して許容度の高い人材を育てることは、とても大事。ところがいまの管理主義型の教育は、ノイズを消去する方向に働いている。ノイズを消去した子どもたちを規格品として、「できのいい子ども」と言うわけね。人材多様性というのは、これからの社会でたいへん重要なキーワードになるはずです。》


●タイトルに掲げた言葉は、いまの日本の教育制度に対してとても辛辣な言葉ですが、「子どもの育つ力」を信じているという点で、私も共感するところです。
 話は少しずれるかもしれませんが、「子どもは自分の育ちたいように育つ」と思うことができれば、親も子もラクになるケースが多々あるのではないでしょうか。
 そしてそこから、多様な人材が育つように感じます。

●学習支援も含めた「第3の居場所」

 後半は、実際にこの場に参加している子どもたちへのビデオインタビューを観ながら、日置さんともう一人いらしたこの場に関わっている方のお話を聞きました。
 この場での活動の様子を聞いていると、子どもたちがのびのびとしていられ、またさまざまな大人たちも「出入り自由」な、他にはなかなかない場であることがわかってきて、私は驚きました。

 他の参加者の方からは、何ら強制力のないこの場へ、子どもたちがどうして継続的に来ているのか、また、無報酬であるにも関わらず、どうしていろいろな大人がこの場に来るようになっているのか、ということへの疑問が述べられました。

 私は、「評価しない、強制しない、子どもの声を聞く」場が成り立っていることが大きなポイントであり、これが成り立っているからこそ、子どもも大人も来たくなるのだ、と感じました。

○コミュニティハウス冬月荘が「成功」している要因は、以下の2つのことに絞られるのではないか、と私は思います。

・子どもたちはその場で自由でいられる。学習するために来ているけれど、学習を強いられることはなく、本人しだいで自分に合った形の学習をすればよい。

・さまざまな大人たちが関わっており、その大人たちも自由にリラックスして過ごしている。例えば、疲れて寝ていたければ寝ていてもいいし、子どもたちの要望に応じて勉強を教えてもいい。


●つまり、子どもたちの自発性の上に成り立ち、大人は余計なおせっかいをせず、子どもたちの要望にしたがってできることをする、「対等」な関係であることです。これは私がらくだ教材を通して行っていることとほとんど同じではありませんか!

 このようなコンセプトで場が成り立っているのであれば、子どもも大人も「来たくなる」場になっているのは何ら不思議ではありません。利害関係ではなく、その場が人を呼んでいるのです。

 私はこのようなコンセプトで場を作ることが実現していることに驚き、このコンセプトを中心になってまとめた方々にとても興味を持ちました。

 講座修了後、日置さんに、このようなコンセプトの場にするためのモデルのようなものは何かあったのか聞いてみましたが、そのようなものは特になかったそうです。日置さんたちが中心になって、確固とした考えのもとに立ち上げていったのでしょうか。そこらへんのことをもっともっと知りたいと思いました。

 釧路でのこのような実践例を全国に発信し、行政と志しのある民間の方々で連携を取って、各地域に広げていくことができたらどんなにいいでしょう。私は自分の中2の娘を見ていて、毎日学校と家との往復で、部活や何らかの習い事があるにせよ、地域のさまざまな大人との関わりが希薄であることを何とかできないものか、と思ってきました。

 釧路での実践は、まさに子どもと大人の「第3の居場所」です。コンセプトさえしっかり成り立たせていれば、どんな場所にでも作ることができるはずです。地域の公民館でも普通の空き家でもいいし、学校内でもいいかもしれません。大事なのはコンセプトです。

 今の学校を何とかできないものか、との意見も参加者から出ました。でも、今の学校システムを変えるのはただ事ではありません。学校が一番居やすい場になるのがいいのはもちろんですが、それは現実的ではないでしょう(いずれなっていってほしいとは思っています)。それよりも、このような「第3の居場所」を各地に作っていくことが大事であり、できるところから1つ2つとちょっとずつ、しかし着実に増えていくような何らかのシステムができないものか、と思います。

 日置さんがこれまでやってきたことをまとめた本が出ているとのことで、それを読んだ上で、日置さんにもう一度じっくりお話をうかがう機会を作ることができればと思っています。

 『おいしい地域(まち)づくりのためのレシピ50』(日置真世、筒井書房)

○以下に、用意していただいたレジメの後半部分を載せておきます。冬月荘での実践を感じ取ることができると思います。

                         *
 〈集団の様子と活動〉

・呼び名:全員が「呼ばれたい名前」
 子どもも大人も所属や立場を持ち込まない 一人のおとな、子どもとして
・最初の2〜3日:全体学習 自習〜発表〜まとめ
・全体がまとまってきたらグループ別 志望校別の小グループ
・重要なブレイクタイム、昼休み、イベント ターニングポイントになった誕生会
 新生児との触れ合い、地元のカリスマ塾講師、遊学館職員の出前講座、障がい児者との行事など

 〈子どもたちの感想〉

「今までできなかったことができるようになった時は、ホントにうれしかったです。」

「今までわからなかった所がちゃんとわかったりしてよかったし、わかるまで教えてくれたからよかった。ここに来るまで、家で全然勉強しなかったけど、ここで勉強したことを家にかえってふくしゅうしたり、わかってくるとにがてな教科もたのしくなってきて。」

「スタッフの人達がみんな一生懸命ついて勉強を教えてくれたから、期待に応えられるようにと頑張った。そのせいか、理科が苦手だったのが、見違えたように出来るようになった。」

「高校行こう会で学んだことは、やればできるということです。良かったことは、教えてもらたことによって数学のもんだいが次々と解けるようになったことです。」

「前よりは勉強するようになったことが何よりの進歩です。自分の良い所、悪い所が分かるようになりました。」

「私はここの会が学校より楽しくて終わるのがいやだなとずっと思っていました。けど今日、受験まで続くってわかってすっごくうれしくて泣きそうになりました。」

「わからなかったらすぐだれかに聞いたり、友達と問題を出しあったりして、とても自分のためになった。」

「学校でも、家でも体験できないような気持ちをたくさん体験できました。自分がここで学んだことは、数学や漢字、社会に英語など勉強だけではありません。今までの自分は、自分以外をあまり好きではありませんでした。しかし、この会に参加してたくさんの友達ができました。」

「自分は今までできる限りで一人の力で物事を乗り越えようとか頑張ってきた。実際、三年間最後の冬休みも、勉強は一人で頑張っていこうと思っていた。だけど、そんな考えはここに来てから驚くほどに変わった。ほんのわずかな期間で、こんなに自分の気持ちが変わるなんて思いもしなかった。…仲間と一緒にいることの大切さと仲間と一緒にいられない不安さを教えてくれたこの会にはとても感謝している。ありがとうございました。」

 〈実践がもたらしたもの その1〉

・卒業生その後
 1期生の半数以上が第2期のチューターに
 7月に冬月荘で受けたアメリカの高校生のホームステイ受け入れプログラムのホスト役として
 ウエルカムパーティーの企画、進行を行う(08,09年連続)
 1期生10名が集まってお泊まり会
 2期生の多くもチューターを希望 普段から遊びに来る子も多い

 〈実践がもたらしたもの その2〉

・参画者の声より
1、勉強がわかるようになる、できるようになる場
2、いろんな人がいる場
3、「素」になれる場
4、つながりの力が体感できる場
5、みんなで創り出す場

 〈実践がもたらしたもの その3〉

・大人たちの役割・特徴
1、「場」のバックボーン
 配慮ある関係=ケア 評価しない、見守る
 活動機会のプロデュース
2、民主的な話し合い・運営 
 白熱するチューター会議、立場の違いを超えた議論、企画、実行
3、大人たちの居場所・自己実現

 〈実践がもたらしたもの その4〉

・ウィークリーシステムへ
 毎週2回 恒常的な場の創出
 平日の勉強会 チューターの自主活動
 他機関からの紹介
 不登校、退学者の居場所

 さっぽろ自由学校「遊」では、いつも興味深い講座を行っていますが、今回の連続講座は特に、「今、子どもの貧困を考える〜ストップ! 貧困の再生産〜」がテーマだったので、参加したいと思いました。10月から毎月1回全6回の講座ですが、第1回目は仕事の都合で残念ながら参加できませんでした。2回目は「教育」がテーマだったので、特に参加したいと思っていたところ、仕事の都合もつき、無事参加することができました。
                         *
○講師:日置真世(ひおきまさよ)さん
     北海道大学大学院教育学研究院附属
     子ども発達臨床研究センター
 
 貧困は子どもたちから教育機会を奪い、地域社会からの孤立を招くなど、学びからの排除による学力格差につながっています。釧路市で実施されている中3生の生活保護世帯の学習会実践をもとに、貧困を背景に持つ子どもたちの学びの現状と課題、今後の展望について考えます。

                         *
(以下飯田)
●行政との連携

 今回の講師は、北大子ども発達臨床研究センターの日置真世さん。彼女は釧路で、お子さんに障がいがあったことから、支援される側の立場にたった視点でNPOを長い間やっていたそうです。そしてその後、行政と連携したNPO活動を行い、子どもたちの学ぶ場、そして居場所としてのコミュニティハウス冬月荘の活動を軌道に乗せて行きました。

 この行政との連携がうまく機能していることが、この活動のまず大きなポイントだと感じました。日置さんの所属していたNPOが長年の活動実績により、行政とも信頼関係ができていたことが何より大きなことだったのでしょう。

以下、用意していただいたレジメを、紹介させていただきます。

                         *
〈講義の内容・進め方〉
・コミュニティハウス冬月荘で行われている「みんなで高校行こう会」
 〜Zっとscrumの実践を通して具体的な現場のリアリティに迫ります

〈実施の背景〉
・釧路の厳しい現状
  基幹産業の衰退(漁業、炭鉱業)
  有効求人倍率はここ数年0.4を下回る
  今年の6月はついに0.26
  高い生活保護率(特に母子世帯)
  児童虐待も多い
  自治体の財政状況はかなり深刻

〈実施に至る経過〉
・釧路市役所生活福祉事務所の取り組み
 「自立支援プログラム」
   平成16,17年母子世帯へモデル事業
   平成18年〜補助事業として本格化
  16年の実態調査が物語ること
   教育機会の不平等
   重複する困難 母子世帯の孤立化 など

  モデル事業の時からワーキング会議メンバーとなり実施にあたり事業受託先としても恊働

〈生活福祉事務所との連携・恊働〉
平成17年 ワーキング会議メンバーとして検討
      モデル事業として活動の場の提供とグループ学習機会
      (料理教室、就労や制度に関するグループワーク)実施
平成18年 活動の場の提供、「自立のさがす4つのヒント」編集、
      学習機会に際しての託児・送迎
平成19年 提供する活動の広がり(農作業、掃除、パソコン教育、介護ボランティア、など)
      コミュニティハウスPJスタート 冬月荘オープン
      中3対象の勉強会「みんなで高校行こう会」

〈実施概要1〉
・平成19年度実施(第1期生)19(15)名
 チューター約20名
 冬休み委託9日間+自主7日間 打ち上げ 全17回
 子どもたちの希望により自主事業として継続
  →「ZっとSCRUM」となり毎週土曜日受験まで実施
・平成20年度実施(第2期生)36(28)名
 チューター約30名
 夏休み委託からスタート 7日間
 夏休み〜冬休み自主継続(土日月3回程度)10日間
 冬休み委託10日間 自主6日間 打ち上げ全34回
 土日で月3回程度

〈実施概要2〉
・参加者:生活福祉事務所から各世帯へ案内
 希望者が申し込み(知人を誘う、別の相談経由からの参加も一部あり)
・担い手:ネットワークサロンスタッフ、学生、生活保護受給の中高年、
    生活福祉事務所のケースワーカーなど
・提供内容:学習の場、できる範囲の学習支援、昼食提供、送迎、人との出会い・つながり、
      対人・コミュニケーション・社会経験の場 などなど

  自由に通じる学問とは

《「そもそも今ある大学の起源は、11世紀のイタリア・ボローニャで学問を目指して集まった人たちの自治組織(ギルド)にあるんです。それは、学びたいことを自ら探してきた教授に聞くことから始まった」

 大学のもとあった姿とは、初めから設定されたことを学ぶのではなく、生徒の生活や仕事から生まれた問いかけに応える形だったという。

 「学習と学問の違いって、あるじゃないですか。日本の場合、決められた知識やスキルを習得する学習が重視されていて、物知りな人が賢いとされることが多い。でも今はウィキペディアだってあるし、データベースが頭の中にあるか外にあるかの違いにすぎないでしょう。

それより情報をどう検索していくか、どうクエスチョンするか、何が問題なのか、という問いかけが大事だよね。新渡戸稲造の文章のなかに、イギリスの哲学者ベーコンの考えた学問の目的が引用されていて、それは『愉快』と『装飾』と『能力』なんです。

まず愉快は、面白くなかったら学問じゃないと。装飾はデコレーションであり、デザインであり、スタイルであり、知ることで自分を飾るということ。そして学問をすることで、能力が向上していく喜びがあるというんです」

 学問とは、問いを発することから出発し、愉快に自分をデザインしながら向上していくこと。そしてその先に自由がある。

 「明治時代に、リバティという英語を自由という言葉で日本語にしたのは流石だと思う。自ずと自己の精神に由るということで、福沢諭吉が決めたらしい。でも由って立つ、夢やビジョンがないと、困ってしまう。なぜだろうと思うことに対して、自由に積極的に切り込んでいく、学ぶ意思や健全な興味がないと袋小路に追い込まれてしまう。自由に考える視点から自分の興味や意思が現実の行動として試されたとき、自由が成立するんじゃないかな」》


●「情報をどう検索していくか、どうクエスチョンするか、何が問題なのか、という問いかけが大事」ということは、先日紹介した野口悠紀夫さん(『超「超」整理法』)の考えと共通していると思います。

 社会人として第一線に立ち、現場での活動の中から教育を語る人たちの発言と、現状の学校教育システムとの乖離が問題だと思うのですが、日本の教育行政に携わる方々にもこのような方々の発言が耳に入っていないとは思えません。既得権益を手放すことをしないような方々が、抜本的な改革をしようとしないのではないでしょうか。

 また、教育問題は学校システムを改革することにとどまらず、労働や子育てと一体化して改革をしないと意味をなさないとも思いますから、社会の大改革につながっていきます。フィンランドやオランダなどは、社会の停滞期を打破しようと社会の大改革につながる教育改革をやってのけたのです。日本も、本当に落ち込んでにっちもさっちもいかなくなるくらいにならないと、大改革には踏み切らないのでしょうね。
 政権が変わって、改革に着手しているようですが、さてどこまでやるかー。


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