さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

仕事・ライフスタイル

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 ひとつの職業に、自分の人生をあずけない より

《上野:私は、近代社会で生まれたプロフェッショナライゼーションこと職業の専門特化がよいとは思えない。専門職って、それだけをシングルインカムソース(収入源)にして食えるということでしょう。自分の能力をたったひとつに特化して、そこに命をかける。それが近代の職業倫理のひとつだった。それなのに、技術革新とともにどんな能力もスクラップになってしまったりする。

 だから私は労働の柔軟化をちっとも悪いことだと思っていない。あなたが言うように、「よい柔軟化」は歓迎。たったひとつの職業や職場に、自分の人生をあずけない。どんな職業でも、それだけで24時間や一生を埋めつくさない。たとえば、ひとつの仕事を週に三日だけして、それで10万円は確保する。あとはほかから収入をもってくるというふうに、バランスがとれたらいい。そのなかに、もうかる仕事、もうからない仕事、無償でやる仕事がいろいろ混じっていればいい。どんなに介護職が好きでも、一日10時間週五日を捧げなくてもいいと思う。

 辻元:70パーセントはこの仕事、20パーセントは別のバイトをして、あとの10パーセントはもうちょっと違うことをやりたいとか…そのためにも均等待遇と「同一価値労働同一賃金」、そして個人単位の社会保障を実現していかなければならない。

 上野:ほんとにそうね。前にピースボートの専従の給料を聞いたら、月収10万円くらいと言っていたでしょう。「専従」というのは変な言葉で、「専ら従事する」と書いてある。ひとつの仕事に「専ら従事」すれば他のことはできない。それなら「専ら従事する」ひとつの仕事だけで、暮らせるだけの収入が必要になってくる。悪循環ね。好きなことを仕事にしたんなら、それで食えなくてもいい。だから他の仕事もできる余裕があればいい。

 「好きなことを仕事にする」という考えは、『13歳のハローワーク』(幻冬舎、2003年)で村上龍さんが広めたけれど、とても困ったイデオロギー。好きなことって、カネになるかもしれないし、ならないかもしれない。たとえカネにならなくてもやるからこそ、「好きなこと」。

就職面接で、「好きなことなら集中できます」と答えた学生が落とされたというけど、あたりまえ。好きでないこともやるのが仕事だから。好きなことがカネにならなかったら、あまり自分が好きでないこともやるのが仕事だから。好きなことがカネにならなかったら、あまり自分が好きではなくても、他人さまの役に立つ技術のひとつやふたつは身につけておくべき。たとえばパソコンのスキルや語学力、ケアやマッサージなどね。

 辻元:そういう働き方が可能になる社会をめざすということ。》


●上野さんの言っていることに賛同する私です。
 「好きでないこともやるのが仕事」であり、仕事というのは世の中で必要とされているから仕事となっているわけです。
 好きでできることがあるならば、好きでない仕事もして「稼ぎ」とすればいいし、自分の身近で手助けの必要な人がいたら、「無償の仕事(ボランティア)」だってすればいい。
 要は、自分はどんな生き方をしたいか、そこをとことん詰めて考えることをしたかどうか、ということになるのだと私は思っています。 

 生活の地域完結性 より

《上野:仕事を選ぶときにも、短距離移動で通勤できるような職場を探すようになる。もともとパート労働の女性の仕事の選び方がそう。だって賃金が安いのに、移動コストをかけてまで職場に通うメリットがないから。

 だからといって、地方志向は農業志向と同じではない。農業が職業として自立するのは一部の帰農者とか、ビジネスマインドのある一部の農業経営者たちに限られる。

将来ありうる暮らし方は、多角経営のマルチプルインカム。もはやシングルインカムでも、ダブルインカムでもなく、マルチプルインカムの持ち寄り家計。その一部に公的年金や公的給付があり、暮らしの下支えはするが、それだけでは十分ではない。

パートや有償ボランティアをしたり、パソコン教室の講師をやったりして、小銭をかき集めて、そこそこ年収300万の生活水準を維持すればよいと思う。それに家庭菜園をやって夏のあいだは野菜を買わずにすむとか、米は実家から送ってくるとかいう、現物経済と贈与経済が含まれる。

 これって、非常に多くの日本人が、わずか半世紀前にやっていたこと。現物経済と贈与経済、つまりモノとサービスのやりとり。これが、けっこうバカにならない。たとえば、自分の口に入るもののうちの何割が買ったもので、何割がもらったものかと考えたら…。

 辻元:もうすでに実践で、地域通貨が始まっているよね。

 上野:地域通貨もあるけど、もっと泥臭い助け合い。もらって生きる。それも含めたマルチプルインカムで、そこそこ・ぼちぼちライフを維持していく人々が生まれてくるとしたら、それこそ地方の方が都市よりはるかに強いし、QOL(生活の質)も高いと思う。》


●「多角経営のマルチプルインカム」は、まさにわが家に当てはまります。
 私も連れ合いも、常に仕事を2〜3かけ持ちしてきました。それで何とか家族4人の生活が成り立っています。家庭菜園をやる時間的余裕や土地もないのですが、これができればもっといいだろうなとも思います。でも考えてみれば、野菜や米などは時々親族や友人知人からいただいています。ここに「子ども手当」が加われば、もっとラクになりますが…。

 将来的には、「べ−シック・インカム」に私は大賛成です。年金や保険などすべてを賄うかたちでこれに集積すればいいわけですし、実現可能性を研究する学者やグループ、それに政治家が増えていっているようですから、もう夢物語ではないでしょう。あとは国民の「成熟度」に委ねられるのだと思います。

 私が札幌にUターンしてボケた父親との「介護生活」をしていたときは、父親の年金をやりくりして生活していました。その後父親が特別養護老人ホームに入所してからの数年は、ジンベクラス(アフリカンドラムの教室)で毎月道内5〜6ヶ所を回り、それこそ「小銭稼ぎ」をしていました。

 その際私は「現物支給」でクラス参加費をいただくことが大歓迎だったので、農業を営んでいる方からは野菜や果物やチーズなどをいただいたりしていました。独り身だったこともあり、それで何とか生活は成り立ちました。

 今は札幌から離れることがほとんどなくなったこともあり、現物支給でいただくことはほとんどなくなってしまいましたが、今でも現物支給があっていいのではないかと思っています。

 私は将来の夢?目標として、らくだの月謝にしろ、ジンベの参加費にしろ、それぞれの方がそれぞれに負担できる範囲でいただけばそれでOK、現物支給でもOK、というかたちにするーということがあります。
 そのためには、そうできるような基本的な生活の下地がないといけないのでしょうが、そこそこで生活していければそれでいいと思っていますし、人間的なつながりが多くある人こそが「幸福」なのだという思いがあります。

 第4章 税金、経済、社会連帯 から
 そこそこ ぼちぼち より

《上野:大国の夢を捨てきれない人々が60代、70代よね。20代の人たちは、大国の夢なんて味わったこともない。物心ついてからこのかた、ずっと不況とデフレスパイラルを味わっているから。この世代は、「まったり革命」に成功するかもしれない。イケイケでなく、分相応にいこう、と。

 2001年に大塚英志さんが『中央公論』誌上で「私たちが書く憲法前文」を公募しました。私もその審査員のひとりだったのだけれど、優秀賞をとった作品に、当時17歳の女子高校生、福岡亜也子さんの「日本国憲法前文」がある。印象的だったので、忘れられない作品です(大塚英志編『私たちが書く憲法前文』角川書店、2002年より)。

 全くもってタイシタコトのない/世界的にみてソコソコの国がいい。(略)

 世界なんていう単位で/立派で一番!になる必要はあるのか。/
 私たちから見て一番幸せになれる国。/そうなる必要は大いに/有。

 景気ばっかりよくって/高ーい車買って/宝石ジャラジャラつけたくって/そんな/
 目や手や/そんな物で感じる幸せは/ソコソコあれば十分。/タイシタコトない平凡な
 国がいい。/穏やかに過ぎる時に/心で幸せを感じられるから。(略)

 これがいまどきの10代の女の子の未来へのビジョンかと思って、驚きもしたし、感動 もしました。

 辻元:つまるところ「おひとりさま革命」というのは、「ぼちぼち革命」であり「まったり革命」ということでもある。大国主義で国際競争力重視の国より、バブルに乗っかる人ではなく身の丈に合った経済でええやんか。それも、それぞれの多様な生き方こそが大事にされるようにですね。》


●17歳の高校生がこれを書いた、ということですが、みなさんはいかがな感想を持ったでしょうか?
 私は、どうしたらこのような考えを文章にできる子どもが育つのかーと、その背景を知りたくなりました。「物で感じる幸せはソコソコあれば十分」なんて思える子どもは少数派であり、「お金も物もたくさんほしい」と考える子どもたちの方が多いだろうと思えるからです。

 でももしかしたら、真っ当に考えることのできる高校生であれば、このように思っている子は増えていっているのかな、とも思ったりします。子どもたちの声にもっと耳を傾けて日本の進むべき道を決めていく必要性があるのかな、とも思いました。

 「いつもたくさん本を読んでいるようですが、そのような時間はどこにあるのですか?」と尋ねられ、それに応える文章を書いていたら、自分のスタイルが見えてきました。公表するほどのものではありませんが、みなさんそれぞれのスタイルなども知ることができればおもしろいかもしれないですし、書いたものにさらに手を加えて発信してみたいと思います。
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●私の読書タイムは、週2回中央区の教室への行き帰りのバスの中が大きな比重をしめています。
 それがなかった時は、本を読む時間を作るのは私も難しかったんですが、バス通勤をすることになって、じっくり本を読む時間を作り出せるようになりました。待ち時間などの隙間時間も欠かさず読んでいますしね。

 また、本は主に図書館から借りているので、期限までに読んで返すことを考えて、バスの中だけでなく、家でも空いた時間(子どもに手のかからない時間)を見つけては、ちょこちょこと読むようにしています。

 あと、新聞講読をやめたのも大きいです。経費節減の意味もありましたが、新聞を取っているとどうしても「その日のうちにその日の新聞を読む」ことを優先して、結果的に本を読む時間を作れないことが多かったんですが、今は新聞ではなく本にパッと手が出るようになりました。

●それまでも、おかしいなぁとは思っていたんです。
「どうしてオレって本を読まないで新聞を優先するのかなぁ、読みたい本はいっぱいあるんだから、読まないとどんどんそれらの読みたい本を読むことができないままに時間は過ぎていってしまう」ーと。ジレンマでした。

 せっかく出ている本(自分にとって必要だと思える)を読まないなんてもったいない! と、強く思っていたところに、バス通勤の時間ができたり、新聞をやめたり、という本を読むには好都合の流れになってきたんですから、おもしろいものです。新聞をやめたら、子どもと遊ぶ時間も増えました。新聞をやめる効用は思いの他大きかったです。

 中央区の教室に行ったときは、近くの社会福祉センターの情報センター資料室に行って新聞を読むことができますから、大体これで事足りるようにもなりました。

 ただ、今は以前ほど本は読めていないんです。往復をバスで中央区教室に行っていたときはたくさん読めていましたが、子どもの喘息の関係でお昼に迎えに行くようになってから、金曜日は連れ合いと子どもの受け渡し?をしなければいけなくなったりして、自家用車で行くことが増えたからです。

 思えば東京に暮らしていた時は、どこへ行くにも電車だったので、「読書タイム」が豊富にありました。私にとって、読書はやっぱり「車内」が一番のようです。

●ブログやメルマガで本をネタにした文章をずっと書きつづけていられるのは、これまでの「ため(ストック)」があるからです。
 本を読んだら、特に印象に残った部分に付箋を貼って、読み終えたらその付箋を貼ってある箇所からさらに絞って、書き残しておきたい部分を抜粋しています。ブログを書こうと思うときには、そうしてためていた文章を引き出して、それをもとに文章を書いています。

 紹介したい本からの抜粋のストックは、数えてみたらなんと30冊以上分残っているので、自分でもびっくりでした。いつのまにやらこんなにたまってしまっていました。

 一挙に書いて発信することなどできませんから小出しになることになり、また、新たに読んだ本を先に紹介することも多いですから、せっかく抜粋しておいた紹介したい本があるのに、日の目を見ないものも出てくるのだな〜という感じです。

●私も子どもが小さい頃はぜんぜん読めないで、けっこうストレスでした。
 子どもが小さいうちは難しいかもしれないですね。でも、きっとまた読む時間を持つことができるようになりますよー。


○「それと、読みたい本をどうやって探しているのですか?」とも問われてー

 私は手当たり次第、ですよー。
 新聞の書評欄や何かで読みたいと思う本があったら、とにかく図書館に自宅のパソコンから予約します。
これができるようになってから、本当に便利になりありがたいですね。

 でもそう思う人も増えたんでしょうね、ちょっと人気のある本だと、50人待ち、100人待ちというのもザラになりました。今も図書館に限度いっぱいの10冊を予約していますが、その内訳は、100人待ち以上が2冊、50人待ち以上が1冊、あとは20人位が4〜5冊、10人以下が2〜3冊、となっています。

 ちょっとでも関心があったら、とにかく手に入れて、自分の期待するものと違ったらサッと読んで返してしまいます。これができるのも、たくさん借りることができるようになったからですね。

 今は社会福祉センターの情報資料室の本も借りられるようになったので、そこで目についた本も借りてます。社福センターだけあって、家族、福祉、貧困、などなどに関する本が豊富なので、読みたい本がいっぱいなんですー。

 また、最近は新書判で出版されるものに読みたい本が多いので、新書コーナーへ行ってみると、「あ、これ読みたかった本だー」というのにも結構出会います。

 手に入れた本を読んでみて、「これはおもしろい」とか、「読めてよかった〜」、というのに出会えたらラッキーですし、一冊に一ヶ所でも抜粋して紹介したいような言葉が書いてあったら儲け物、というふうに思っています。

  第2章 家族、子ども、教育
  男の居場所 より

《辻元:男性の意識も政府の発想も、どっちも変えないとどうしようもない。まず男性は、ひとりで養うという発想を棄てる。男も女も同じ、いっしょにいたい人と、いっしょに生きていけばいいと考える。ともに働けばダブルインカムで、ハッピーという発想にしていくこと。そして政府は、「誰かが誰かの面倒をみる」のが前提の制度設計をやめる。共稼ぎができる環境を整える。シングルマザーもシングルファーザーも、収入にかかわらず子育てが可能になるようにする。》

《上野:アメリカのフェミニスト法学者、マーサ・ファインマンは、「子育てに父性なんてない」とキッパリ言っている(『家族、積みすぎた方舟』学陽書房、2003年)。つまり、「父でなければできないような子育ては存在しない。子育てにはただ母性というものがあるだけだ。女の母性と男の母性と。誰がやるにしても、マザーリング(母親業)というものだけがある。男もまたマザーリングに参加するべきだ」と。

そういうことをやらないと子どもとの絆というのはつくれないのだということを、家族の危機に直面して男はあとから学ぶ。だから再婚した男たちは、その過ちをくりかえさないように、けっこういい父親になっているよね。遅いっていうのよ(笑)。まあ、再チャレンジの機会があるだけいいけど。

 おもしろいのは、少子化率が下げ止まっている社会は、離婚率が高いが再婚率も高いの。最近の離婚では、子どもが小さいことが、離婚の抑止力にならなくなった。スウェーデンでは離婚率が高くて、子どもが小さいときに離婚して、子連れで再婚する。再婚家庭を家族として再建するために、新しい家庭で次の子どもを産もうとする動機づけが夫婦の双方にある。これがけっこう出生率に貢献している。

だから日本でも、この子が一人前になるまでは歯をくいしばっても離婚しない、とがんばるよりは、出産年齢のあいだに何度でも結婚、離婚、再婚をくりかえせばいい(笑)。あんまり遅く離婚すると、もう次の子どもが産めなくなるから。》


●「マザーリング」「女の母性と男の母性」という言葉に、なるほどなぁと思いました。
今の時代、男もマザーリングに参加しないと、家庭は成り立っていかないのでしょうね。お互いの自己実現も踏まえて考えるとなおさらだと思います。そうでなければ、いずれ家庭の危機を迎え、破綻ということにも…。
 まあ、「再チャレンジ」すればいいのかもしれませんがー?

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