さまざまな学びのかたち〜すくーるhana便り〜

「学力がつく」ことは「人間として生きる上での自信がつくこと」 …教育・子育てについて等意見交換しましょうねー

私のこと

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 先日帯広へ行った際に、老人保健施設へ入所している祖母のもとを訪ねました。
 私の子ども(祖母にとってのひ孫)に会うのを楽しみにしている祖母なのでー。

 病院から老健施設へ移ってから、心身ともに驚くような回復ぶりを見せていると聞いていた祖母でしたが、確かにそうでした。

 病院でほとんど寝たきりの状態になっている時は、「ボケてしまったのか」と思えることが多かったそうですが、老健施設は在宅介護に移行するための施設なので、さまざまなリハビリメニューが整い、それに伴い体も元気になり頭の働きもよくなってきたとのことでした。

 十勝地方は北海道の中でも朝夕の冷え込みが厳しいところですが、その施設は終日日が射し込み暖かくいることができ、ケアも整い、個々に合った食事も提供され、できたばかりの立派で清潔な場所でした。傍から見たら言うことなしと言えなくもありません。

 でも、祖母は以前泊まりで来てくれた私の母親に、こんなことを漏らしていたそうです。

「どんなに立派で暖かいところにいても思うのは、寒い家で貧乏な暮らしをしていた頃なんだよ。
 仕事も楽じゃなかったけど、子どもたちがいてそのためにがんばって働いていた時が一番よかったー」。

 私の母親は、何気なく「こんないいところで暮らせてよかったね」と言ったそうですが、それに対する応えとしてこのような言葉が返ってくるとは思っていなかったので驚いたとのことでした。

「おかあさんがこんなことをいつも考えていたなんてびっくりしたし、頭はまだまだしっかりと働いているんだねぇ」。

 人の人生における幸せとは何なのか、考えさせられるできごとでした。

 脳梗塞を起こした後、突然別人のように‘認知症’の症状を表しだした父親。
 ひとときも目を離せない状況が突如やってきた家族の負担ははかり知れないでしょう。

 昼夜を問わず看なければならないこの状況はいつまで続くのかわかりません。
 母親と兄弟、それに親戚たちが交代で父親のもとに通う日々が始まったと友人は話してくれました。

 私が認知症となり一人で暮らすことが困難となった父親のもとに帰って来たのが1995年末。
 それから約2年、昼夜を問わないケアをし続けましたが、「脳梗塞後の爆発的な認知症の発症」とは違い、緩やかに階段を上っていく(降りていく?)ような状態だったので、友人の方がさぞかし大変だろうと想像します。
 
 また、当初私も「先の見えない(いつ終わりが来るかわからない)」状態での介護生活でしたが、「札幌市内に一気に特別養護老人ホームが3〜4カ所できる」という時期にたまたまなったので、運良く?介護生活に別れを告げることができました。それがなければどうなっていたことかーと今も思います。

 友人の場合は、それこそ本当に「先が見えない」状態です。
 首都圏にいることから、施設が空くこともなかなかないでしょう。
 地域で在宅介護を支援してくれる様々な機関と連携を取って、心身の負担をなるべく少なくしながらやっていくことを、少しばかり介護の先輩だった人間として望んでいます。

 私の知人が若くしてこの世を去っていたことを最近知りました。
 ガンです。
 この方はずっと、いわゆる‘代替医療’を学んできたことから、
 ‘西洋医療’ではないやり方で治癒させようとしてきたそうです。

 先日私がブログに記した方は、
 「一切の医学的処置」をやめた結果、
 「今は」驚く程回復し、元気に日々を過ごしているということでした。

 私の知人のことを伝え聞いたところによると、
 ‘西洋医療’を受けないのは自身の決断として他人がとやかく言うことではありませんが、
 それに伴う「心の安定・安寧」を必ずしも得ていたわけではないらしい、
 とのことでした。

 伝え聞いた話しなので、何とも言えません。
 でも、このことは、
 私にさらに深く「生きることと死ぬこと」について、
 考えさせてくれました・・・。

 本当に若くして逝ってしまった知人です。
 今は安らかに眠っているのでしょう。
 心の底からご冥福をお祈りしていますー。

 ある方の友人が肺がんになったそうです。
 その友人はもともと気が強い方で、自分がガンだと知るとすぐに、
 「一切の治療はしない」と決めて、
 自分自身の精神的安定を第一にした生活をし始めました。
 このたび北海道を訪れたのも、
 学友だった方たちに会うためでした。

 ある方は友人に会って驚きました。
 自分よりもずっと元気そうだったからです。
 そして友人は、
 「もうガンはなくなった」と感じているとのこと。
 それがほんとうに治癒したのかどうかはわかりません。
 一時的によくなっているだけなのかもしれません。

 でも、もしも一点の曇りもなく自分の決断した人生を歩むことができたなら、
 ガンは消え去るかもしれないように感じます。
 ‘不安’が少しでもあったら、
 きっとうまくいかないのでしょう。

 「死」を受け入れ、
 それがいつ来ようが自分の人生を全うするということをこころの底から信ずればー
 もしかしたら・・・。
 
 自分にそれができるかどうかは今のところわかりません。
 が、私はそのご友人のことを生き方のひとつのお手本として、
 自分の中にとどめておきたいと思います。

 筑紫哲也さんの追悼番組が放送されました。
 私は録画していたものを昨日観たのですが、さすがに泣けてしょうがありませんでした。

 あんな魅力的なジャーナリストでありテレビキャスターである方は、他にいませんから…。
 自分が表に出ることを極力拒み、人から話を引き出すことに徹する姿勢、
そのこだわりは「基本的にシャイな」性格からきているのだと思いますが−。

 「治ったと思わせておいて転移を繰り返すたちの悪いガン」だと筑紫さん本人は語り、
しかし最後まで諦めずガンと「闘った」末にお亡くなりになったことがわかりました。

 筑紫さんが表舞台からいなくなった時期を見計らったように?
久米宏さんがテレビに、それもTBSの‘ニュース23’の前の時間帯の番組で復帰されました。

 それには姜尚中(カンサンジュン)さんがゲストコメンテーターとして出演されているので、
私は姜さんが世の中の出来事にどんなコメントを発するか聞きたいので観てしまいます。
彼の謙虚な姿勢は筑紫さんに通じるものかもしれないと、今感じましたがー。

 久米さんは最後に筑紫さんへの思いを語りました。
 ‘ニュースステーション’終了の際には、‘ニュース23’の中で、
久米さんと‘ニュースステーション’が果たした役割を筑紫さんは語っており、それも放送されました。

 それも踏まえて久米さんは、
「筑紫さんももしかしたら同じ考えだったかもしれないと思いますが、
ニュースステーションをまるで引き継ぐようにニュース23が始まっていたので、
二人でタッグを組んでいたように私はずっと感じていました」とおっしゃられました。

 「ライバル」というのではなく、「タッグを組んでいた」
…なるほどなぁ、と思いましたし、
二人で何とか権力の見張り番をしようと切磋琢磨していた時代があったように私も振り返って思いました。

 そして追悼番組の最後に、井上陽水が歌った「最後のニュース」。
 これをあらためて聴いて驚きました。
 まるで筑紫さんを送り出すために作ったような内容、詞じゃないですか!

     「今あなたに Good-Night、ただあなたに Good-By 」

 ‘ニュース23’が生まれた時のテーマ曲が、筑紫さんを送り出す歌だったとは・・・。

 もちろん井上陽水自身はそんなことを考えもせずに作ったのでしょうが、
本人も歌いながら驚いていたようにも感じます。

 彼は時おり声を詰まらせていたのではないでしょうか。
 「Good-Night」「Good-By」のところでー。
 サングラスの奥の目が光っていたように思ったのは私だけでしょうか・・・。


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