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いや〜大変間が空きましたが、宇佐八箇社第3弾をアップ致します。 現在宇佐市で非常に車の通行量の多い道路に面したお宮さんです. 名前は郡瀬社(こおりせやしろ)と言い、前回の鷹居神社とセット神社になるのだそうです。 社殿は近年建て替えられており、非常にきれいです。 この次にご紹介予定の神社と双璧に今でもにぎわっている立地条件ですが、たぶんその昔は対岸の鷹居神社から宇佐八幡宮へと至る一つの関所的な位置づけ?だったんでは??と考えさせていただいています。 この神社の北側に東西へと延びる短く残る古道は奈良時代から残る由緒ある道であるとのことです。 初日、この地で一夜を凄し、行幸会の一行は次の日の早朝朝西へと進路を取るのだそうです。 |
神社関係
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行幸会の一行は、豊後高田の田笛神社を西に進み、初代宇佐神宮と言われている鷹居神社(たかいじんじゃ)に行くのだそうです。丁度駅館川の東側の鷹居山と言うらしい岡の上に鎮座してる神社です。 八幡神は3歳の童子の姿から黄金の鷹に姿を変え駅館川のほとりの1本の松の木に止まったという記録があり、それが宇佐神宮の始まりと言われているそうです。そしてその場所こそがこの鷹居神社だそうです。そのためこの地域や宇佐神宮にとっては非常に重要な神社といえます。 今では公園としての整備もされ、学校等の遠足の目的地にもなっていますし、太平洋戦争中の防空壕跡なども神社の西側になる駅館川の東岸には残っています。 この神社に詣でた後、行幸会の一行は初日のゴールで対岸にある次の神社、郡瀬社(こおりせやしろ)へと向かうのだそうです。 |
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宇佐神宮では全国でもこの神社のみで行なわれていた特殊神事が有ったとのことです。 それが行幸会と呼ばれるものだそうです。 宇佐神宮は隼人征伐以降日本で初めて神仏習合を取り入れたお宮さんだそうで、会は仏教を表す言葉、行幸は天皇がが外出される時に使われる言葉だそうです。 宇佐神宮の祭神は15代天皇の応神天皇であり、さらにはその祭神が神殿より旅に出ることからこの名称になったとのことです。 その行幸会と呼ばれる神事が諸説あるため開始次期は確定出来ませんが、8〜9世紀より1000人くらいの規模で最盛期6年に一度くらいで行われていたとのことです。 最後に行われたのが戦国武将の細川忠興の指揮によって執り行われた元和二年(1616年)とのことで、それ以降約400年は行われてはいないとのことです。(莫大な費用が必要だったよう!) その行幸会の舞台になったのがこの宇佐八箇社と呼ばれる現在の宇佐市、豊後高田市に点在する神社群であります。 地域の方はご存知の方も多いと思いますが、宇佐神宮のご神体は西隣の中津市にある薦神社の三角池で刈られる真薦と呼ばれる植物を枕の形にしてご神体にしていたとのことです。 それを輿に乗せたため神輿と呼ばれるようになったようなのですが、とにかくそれが宇佐神宮のご神体候補であり、御験(みしるし)です。そしてその御験と共に宇佐八箇社と呼ばれる八幡神にゆかりの地を巡りこれをご神体として良いですか?と尋ねる神事を行って初めて宇佐神宮のご神体となるのだそうです。 神様も大変だったんですね〜 行幸会一行は宇佐神宮を日の出の方向の東に進路を取って出発し、まず最初に向かったのが豊後高田市の田笛神社です。 この神社、正直凄く地味な神社で、たぶん我家の子供たちがこの神社近くの塾に長年お世話になっていたため、簡単に見つけることが出来たと思うくらいです。 この地の先人の田笛氏の古墳と言われる田んぼの中の小山も、注意深く見ないとホント解らないくらいでした。 昨日アップした神からの遺言状の著者の小野辰浩氏によると、先人達は自分達が携わる宇佐神宮の新しいご神体を太陽と同様、またはそれ以上と考え”太陽の生まれ変わりを創ろう”と考えていたのでしょうとのことです。 この神社の仮殿に一時の休憩の後、行幸会の一行は進路を西に取り、次の神社を目指したようです。 |
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宇佐に生まれて51年+αになりますが、未だこの御山に登ったことが有りませんでした。 ヘたれおやじが通った、中学校・高校の校歌にも出てくる地域1番の御山であります。 最近、宇佐の八箇社と呼ばれる神社群に興味津々になり今日もこの御山に初登頂後、勢いで某課題神社をようやく初参りが出来ました。(その詳細は後日) 宇佐八幡宮の奥宮として、古代より地域を見守っていただいているこの御山にはかねがね登って見たかったのですが、今秋末娘がこの課題に食いついてくれ、さらにはかみさまも同行いただけるとのことで本日家族3名で泣き別れ峠の東側の登山道入り口より合計約1時間半の道中で登って来ました! 登り始めは結構な斜度ですが途中からは意外と歩きやすい道です・ 大元神社が見えた途端、元気になるかみさま・・ 境内の銀杏の切株・・・ 信じられないくらい早かったおじさん・・・・ 残念ながら今日はこの御山の頂上付近はすっぽりと雲に覆われ、景色を十分には堪能出来ませんでしたし、登る際にも昨日の雨の影響で濡れた路面に気を使いました。さらには登山口から頂上の元宮まで片道約30分という、登山と言うにはおこがましい位のほとんどトレッキング状態ではありましたが、国東の某山に家族で登った9年前以来の登山でしたので非常にすがすがしい時間を過ごすことが出来ました。 登る途中では後ろから犬の散歩がてらに?に登られるおじさんにあっさりと抜かれ、その方を必死で追いかける末娘にまったく付いて行けない情けないおいさんとおばさんではありましたが、下りでは自転車同様かなりのスピードで下ることが出来たことは少しだけ面目躍如出来たようです。 かみさまは登山道入り口までほんの少しの場所で、言わんこっちゃない状態となり、しこたま右でん部を打ち付けたようで明日が思いやられる状況のようです。 登山口まで帰ってくると、行きにはなかった他県ナンバーの車が5台ほど止めてあり、途中ですれ違った皆さんはすべて地域の方ではなかったんだと、この御山をさらに誇らしく思ったのでした。 |




