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日本の右派が、「言葉を誤用・流用」することの恐ろしさ

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65421
全体主義、ファシズム、プロパガンダ……すべて「体制」を批判するときにこそ用いてこられた言葉だ。
もう少し踏み込めば、現代の右派は、そもそも自分たちが最も嫌う「サヨク」の言葉を自らの武器とする。
普通に考えれば敬遠されそうなことのように思われるが、彼らは気にしない。
なぜこのようなことが起こるのか。
私はここに現代右派の思考の一片があるように思うのだ。
彼らがこれらの言葉を使うことは、一見矛盾する。
しかし、こうも同じようなやり方が広がっているならば、むしろ彼らにとっては矛盾なく使用できる何かがあるのではないか。
そこでヒントになるのが、西村が、「守旧的イデオロギーから自由」という態度を重視していたことだ。
これは西村に限らず、ネット右翼の言説のなかでよく見かける表現である。
たとえば、現代の右派の源流に位置付けられる「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡もまた米ソのイデオロギーから自由な「自由主義史観」を唱えていた。
「右でも左でもない一般人」「普通の日本人」というのは、ネット右翼が用いる紋切り型でもあるが、すなわち右派は、「イデオロギーから自由である」という態度を採用することで、左派の言葉だろうが何だろうが、何でも使うことができる。
それが「右派の言語」の特徴と言えそうである。

ここからは次の2点のことが指摘できる。

第一に、それは現代右派が「自前の言葉」を持っていないがゆえの波及力である。
「新しい歴史教科書をつくる会」のような自由主義史観派は、イデオロギーからの自由という立場をとることで、融通無碍に様々な語彙を使い、多くの人に訴えることができた。
だが、それゆえに結果として旧来の右派・保守派の言葉まみれになり、批判者が描く通りの右派に回収されていった。
それは、ネット右翼も同じだろう。
第二に、言葉が含意する歴史的な文脈を断ち切って用いてしまうことは、歴史修正主義の思考そのものだということである。
同様に「平等」「差別」といった重要な語句の意味上の連結をぶった切ってしまうのが、右派言説のやり口である 。
このことは、必ず歴史修正主義(歴史否定論)と排外主義や各種の差別と繋がり、それらを正当化するために用いられることとなる。
歴史にこだわる保守が言葉の歴史的来歴を無視するというずさんな事態を招く。
でも、それが歴史修正主義なのだ。
「プロパガンダ」「全体主義」「メディア・リテラシー」「ファシズム」「平等」「差別」……右派は、ある特定の語彙の中身を、自分たちの都合のいいように書き換え、その言葉を戦略的に用いて拡大していく。
そのようにして自分たちの「言説における闘争」を有利に運ぼうとする。知的に誠実なことではない。
だが、それがいまのトレンドでもある。
その危険性を知らなければならない。


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