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〇 ラッセル『幸福論』(安藤貞雄訳)(岩波文庫、1991)
随分本の紹介もご無沙汰だった。
もちろん本を読んでいないわけではなく、むしろかなり読了したのだが、いかんせんブログ編集の時間がなかった。
しかも、今回紹介するのは、もう夏前には読み終えてしまって記憶が曖昧なのだが、まぁまぁ印象には残った本なので紹介する次第である。
本書は、イギリスの哲学書、数学者で、「ラッセル=アインシュタイン宣言」で有名なバートランド・ラッセルの著作である。
「ラッセルのパラドックス」といえば、数学をかじった事がある人なら聞いた事があるに違いない。
本書は二部からなる。
前半は、いかなる事が「幸福でない状態」の原因かを分析し、後半で、前半を踏まえいかなる事をすれば幸福になるかを論じている。
「論じている」とはいっても、論文調では決してなくむしろエッセイ風に書かれている。
著者の論述手順からすぐに思い浮かんだのは、仏教との関連である。
原始仏教では、いかなる状態が不幸な状態(怒りや悲しみなど)を生み出すのかを分析し、それを踏まえてそのような状態から遁れ「涅槃」の状態に赴くことをすすめている。いわゆる四諦(したい)である。
「幸福」か「涅槃」かは別の次元だが、考察の展開には類似性が見られる。
博覧強記のラッセルであってみれば、原始仏教からの類推がなされても少しもおかしくはないだろう。
いや、むしろ、原始仏教の先見性、すなわち近代西洋のごとくに、科学的な因果関係の把握をしていた事を認めるべきなのかもしれない。
本書が書かれて50年以上経っているが、依然として肯定できるところが多い。
むしろ、至極当たり前の事をたんたんと述べている。
競争、疲れ、世評に対するおびえ、など、不幸の原因としては、認めないわけにはいかないだろう。
しかし、たとえば営利を目的とする株式会社の中にあって、競争なく日々を送れるだろうか。
疲れなく日々を送れるだろうか。
世評に対するおびえなく、毎日会社に行く事ができるだろうか。
著者は、そういう状態から離れろというわけだが、そうできる人やそうしている人が現在の日本において多いとは私には思われない。
本文には、あまり強調がされてはいないが、本著作の隠れた、根本的な命題(公理というべきか)として、「結婚して子供を作ろうと思う事は、幸福な事である」がある事はほぼ疑いないように思う。
つまり、ラッセルは、ある社会において子供を生まないような選択が多数なされれば、その社会は滅亡するしかなく、その意味でそのような社会は不幸だ、というのである。
これに反論できる人は多くはないだろう。
かといって、社会の仕組みを、出生率が高かった戦前・戦後に巻戻そうという事は、絶対に不可能だろう。
また、ラッセルにとっては、自分が死んでしまっても、子供がいれば、命は絶えるが、分身が生きるという意味で、安く死ぬ事ができるという。
この点は、異性を愛する事すら涅槃への障害と見なす、原始仏教の考えとは違っている。
ちなみこの著作を読んで大きくものの見方がかわったとは思われない。
私もおりに触れてぼんやりと考えていた事と類似する箇所が多かったからである。
むしろ、自分の「幸福」に対する考えを補強できたことが、本書を読んだ収穫だろうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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