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先日奈良明日香村に遊びに行ったときの歌をアップします。
まずは欽明天皇陵です。
欽明天皇陵をみて、
あおぎやれば やまかともみゆる ちかくれば
たかぎしげしき すめらみささぎ (仰ぎやれば山かとも見ゆる近来れば 高木繁しき皇陵) ○みゆる 「見ゆ」の連体形。本来終止形のところ、係り結びで連体形としています。しかし、この場合係り結びは発生しないかもしれません。 ○しげしき 繁茂しているという意味の「しげし」の連体形。 ○すめらみささぎ 天皇陵の事。スメラは「天皇」+「の」という意味です。「すめらぎの」としようとも考えましたが、字余りを考えてこうしました。 飛鳥は幾重にも連なる山に囲まれた盆地です。
欽明天皇陵を目指している時、遠くを見ると最初これは山かと思いました。 しかし近くに寄ると、それは木々の生い茂る大きな前方後円墳の天皇陵である事がわかりました。 そのような感動を歌にしました。 次は、ホトトギスについてです。
わがために あらぬとはしる ほととぎす
ききてやまざる このみみをゆるせ (我が為にあらぬとは知るほととぎす 聞きて止まざるこの耳を許せ) ○ききてやまざる ほととぎすが鳴く度に耳をそばだてて聞かずにはおられない ○このみみ 私自身の耳の事です。 飛鳥の里を歩いていると、どこからともなくホトトギスの声が聞こえてきます。
それは当然私のためではなくて、求愛(?)のためか何かでしょう。 しかし美しい鳴き声に、耳を傾けずにはおられなかったのです。 別に私が聞いていたとしてもホトトギスは文句は言わないと思いますが、いちよう聞くことは許してくれよと、歌には詠んでみました。 しかしながら・・・・・・、もしかした私が聞いたのはホトトギスではなくてウグイスだったかもしれません・・! その場合、「ほととぎす」→「うぐいすよ」と訂正したいと思います。 次は岡寺です。
(本堂)
(三重塔、横向きですが・・・)
(三重塔下からの展望)
岡寺の三重塔下からの展望が見事で、
おかでらに とよあきつしま ながむれば
とほきすめらぎの ここちやしられん (岡寺に豊秋津島眺むれば 遠き天皇の心地や知られん) ○豊秋津島 大和国。広義には日本国を示す。古事記等に出てくる古い言い方です。 ○とほき 遠い昔の「遠い」。つまり何十代も前の。 ○すめらぎ 天皇。 非常に風光明媚な場所で、昔の天皇の「国見」はこんなものだったのではないかと思って詠んでみました。
もう一首。 とほみれば さやけきあおも うすまりて
かすみをくわえ やまぎわにきゆ (遠見ればさやけき青も薄まりて 霞を加え山際に消ゆ) ○とおみれば 遠くをみる事。辞書には載ってませんで、私の造語です。もっと適当な言葉はあるかもしれません。しかし、中世の和歌人達にも通じるでしょう・・・。 ○さやけきあお はっきりとした青。 もう新緑の季節はやや時期はずれかもしれませんが、近くで見える青葉の青(緑色)は、岡寺から遠くに目を移すに従って青色もあせていき、霞が加わってシロっぽくなり、最後には遠くの山際辺りで緑色も消えてしまいます(写真)。
そのような事を詠んで見ました。 さて、次は橿原神宮です。 西日さす夕方頃、閉門の時間ぎりぎりに拝殿で参拝した時にできた短歌です。 あまてらす にしひをうけて いやひかる
こがねまとへる ちぎのきっさき(きりさき) (天照西日を受けていや光る 金纏へる千木の切先) ○あまてらすにしひをうけて 下記説明参照。 ○いや より一層。ますます。 ○こがねまとへる 千木の先端が金加工してある事をさします。 ○ちぎ 神社建築における屋根の突き出し部分。 ○きっさき 刀の先端部分の事ですが、ここではするどく立派な千木を鋭利な刀になぞらえて、金加工されている千木の先端部分をさします。 さて、橿原神宮は、明治期に創建された比較的新しい神社ですが、祭神は初代天皇と日本書紀・古事記に記されている神武天皇です。
神武天皇は、天照大神の子孫です(そういう事になっています)。 ちなみに上代においては、皇太子の事を「日継の皇子(ひつぎのみこ)」といいました。 すなわち、簡単に言ってしまえば、「日の神」=アマテラスの日本国を統治せよという命を「継承」する皇子という意味です。 このように考えた時、歌の「あまてらす にしひをうけて」に、二つの意味を持たせて詠みました。 一つは、「あまてらす」を無視して、ただ「西日に当たっている」という意味。 もう一つは、アマテラスの日本を統治せよという命を「受けた」神武天皇という意味を含ませています。 さて、写真でわかると思いますが、拝殿からはさらに奥に拝殿があって奥の本殿はよく見えないのですが、かろうじて(設計上そういうふうになっているんだとおもいますが)本殿の千木だけはわずかに見え、本殿の大きさを想像させます。 その千木には金加工がしてあって、西日が当たってとてもきれいに見えました。 その時の感動を歌にしました。 故事を含ませて詠んでみましたが、ただ・・・・、この歌ちょっと無理があるかもしれません。
なお、このブログは「自作和歌」等のブログと銘打って更新しているのですが、「和歌」といってもその語義の指す範囲は広いです。 どうような和歌を読むのか明示していませんでしたので、ここで申しておきます。 私が主に目指しているのは、古今和歌集等の勅撰和歌集に出てくる古代・中世の短歌です。 すなわち、基本的には和語のみを用いて(やむをえず音読みをする場合もありますが)、古文法に拠ります。 ですから擬古文になります。 そういう事でこれからもよろしくお願いいたします。 最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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おはようございます。
写真も含めて、さらに本格的な和歌のブログになっていますね。
写真を撮影して載せながら歌を詠むのもいいですね。
「遠見みれば」は、僕は次のうちどれかを選ぶと思います。
「見渡せば」、「見晴らせば」、「遥かなる」のうちどれかを選びます。
「西日」と言えば阿弥陀さんを思い出しますね。
西日を拝むのは西方の果てに阿弥陀さんの極楽浄土があると
考えられているからですね。この辺りは「浄土三部経」を読むと
その詳細が書かれております。
僕もいろんな事を勉強していこうと改めて思いました。
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2012/6/30(土) 午後 0:09
玄斎さん
コメント頂きありがとう御座います。
そうですよね。 写真はやはりあった方がよいですよね?
そう思いまして、写真を乗っけてみました。
本当は歌だけがあって、その歌を読めば情景がはっきりと浮かぶ、そういう和歌がよいなとは思ったのですが、如何せん、そのような実力はありませんで、写真を補助的に使って歌に共感して頂ければと思って記事を書きました。
提示頂いたうち、「見晴らせば」はよさそうですね。
古文にその用例があれば使わせていただきたいです。
確かに「西日」は阿弥陀の西方極楽浄土ですね。
しかしこのような知識も所詮はだれかの受け売りであって、やはり「浄土三部経」などの原典(少なくとも漢訳)に当たらなければと常々思っています。
寺の法事などで経典の転読をする時も、どうしても私は「訓読」を試みてしまいます。全然、わかりませんが・・。
そう思いつつ金岡照光『仏教漢文の読み方』という書籍を購入しましたが、未だに本棚の肥やしです・・・・。
2012/6/30(土) 午後 7:38 [ 三島 ]