○岩淵悦太郎編著『第三版 悪文』(日本評論社)

お久しぶりです。
この本は、人に伝わりにくいなど、悪いとされる文をとりあげで、どこが悪いか、どこを修正すればよいかなどを論じたもの。
あくまでも「文」(一文)が対象であり、「文章」(「文」の連続)は対象外である。

私にとって、本書は今日において大きな存在意義を見出すことは困難である。
私は文章技術に関する本(いわゆるハウツー本)をよく読む。
本書は、文章技術に関する本といってよいだろう。
初版の刊行年が1960であり、無論その当時において少なからぬ意義があったとは思う。
しかし、今日では本書よりもはるかに、体系的で、わかりやすく、まとまった、文章技術に関する本はいくつかあると思う。
本書は、10名ほどの著者が、それぞれテーマを立てて論じている。
それぞれ違った見方で論じられていて(「論ずる」と評価できないものもかなりあるが)、参考になる部分もある。
しかし、おのおの「悪文」とすべき文がまちまちであって、そのことが本書の評価を下げていると思う。
全体的に、悪文を指摘するばかりで(もちろんそれはよいのだけれど)、修正文を挙げていない場合が多い。
これは本書のマイナスポイントである。

10人の著者の中では、水谷静夫の「言葉を選ぶ」は強く印象に残った。
世の「悪文」をこれでもかとあげつらっている。
著者自身も言っているが、とても性格の悪い人なのだろう。会話をしていても、文章を読んでいても、常に揚げ足をとる事に注意がいってしまう人のように思う。
しかし、それ故に各々の「悪文」に対する指摘は的確である。

最後に、文章技術に関する本では、

  木下 是雄『理科系の作文技術』 (中公新書)

を文句なくすすめたい。「理科系」とあるが、およそほとんどの分野の作文に応用可能である。
『悪文』と比べて、はるかに体系的で、論理的で、わかりやすくく、また『悪文』のように一つの「文」だけでなく、「文章」についても多くの事を学ぶ事ができるだろう。


また良書があった紹介していきたい。

お久しぶりです。

本当にお久しぶりです。
以前投稿してから一年も経ってしまいました。
実は去年生活環境ががらりとかわりました。
本当に慌しく、緊張が解けない毎日を送っておりました。
色々なことが有りすぎて本当に濃密な一年でした。

歌もいくつかできましたが、とりあえず一首載せておきたいと思います。

人生というものを、

  いただきはいたるべきこそ思ひしか
   飽かでゆくべき山路(やまぢ)なりけり



最後までよんでいただきありがとうございます。
(2月7日誤字修正)

詠歌(比叡山等)

こんにちは、先ほどの小泉『読書論』に続けて、読みためた歌を載せたいと思います。

〇 ふしだらな心を(先年九月)
 
 つくるとはかねて知れれどやみがたく
  おさへ難きは色の罪かな


〇 台風の頃にできた歌。地元のお寺の五重塔を望みながら(同月)

 野分き吹き五重(いつへ)高殿ゆれもせで
  つねよりはやく雲のすぎゆく


〇 比叡山登山にて(九月)

 (その日は湿度が高かったが、鷺の森神社にて)
  つゆけさも祈れるほどにさぎの森
   あきの風とや神のなすらん

 (雲母(きらら)坂にて。音無川と平行して登る)
  さか登る共としおもふ名にしおへど
   音なし川のせせらぎの音

  雲母坂げにもへぬらん千歳かな
   うがつばかりに通る山みち

 (峰道にて。回峰行者の心を)
  行者(ゆくもの)の峰をめぐれば神ほとけ
   いのるこころのわずかにか知る

 (横川(よかわ)から下山中、ようやく山を抜けるか、というところ)
  山くれてこころほそさもいや増すに
   遠くにひびく沢のせせらぎ

  山ふかみ暮れんといそぎくだりいず
   ついには虫のなきぞ初めける

 (山を出て大原の里につく)
  高杉のしげき山路を下りいでて
   はじめて月は東なりけり



最後まで読んで頂きありがとうございます。
もうすぐ春ですね。よい季節をお過ごし下さい。
〇 小泉信三『読書論』(岩波新書、1950)

 随分ブログの更新をしていなかった。あらためて空けましておめでとうございます。
 最近気付いたのだが、なかなかブログの更新ができないのは、ブログに時間を費やすより、読書の時間の方がはるかに貴重と思えるからであろう。もし、読書経験を豊富にもち、博識の人ならば、自分の知識を人に伝えようとする気持ちが強く、もしブログをやっているのであれば、更新も多いであろう。しかし、私の場合、一般に比べて読書量ははるかに多いのだろうが、人に何かを伝えようとする衝動にかられる程には、知識が広くない。むしろ、まだまだ知識が浅いという気持ちが強く、本を読む時間の方が、はるかに貴重なのである。
 それでも今回重い腰を上げて(というかこのブログは本来、愚詠の和歌の発表の場所のはずだったのだが・・)記事を書くのは、本書の影響に依る。

 本書は、経済学者で、戦時期に慶応義塾塾長を勤めた小泉信三による、まさに「読書論」である。体系性はあまりなく、読書について思いつくままに記述した感じがある。

 本書を読んで、一つならず自分の読書の姿勢につき、反省される事があった。特に「第七章 読書と思索」では、ただ読書をするという受動的な姿勢だけではなく、自分で思索するという能動的な姿勢を、奨励している。まさに『論語』の「学びて思わざれば則ち罔し」である。私とて、この事は十分にしってはいたのだが、本章をよみ、最近漫然と読書しているだけではないか、などと反省したのである。
 そして次に思ったのは、読後に、このブログにおいて、「思索」した事を書くという事であった。いつも、いいものを書かなければいけないなどと考えながらブログに臨むから、書くのが億劫になって更新が途絶えてしまうのである。もっと、楽に15分でもいいから短い時間を使って、読後に考えた事を書いておくのが、いいのではないか、と。そのようにすれば、たまたまブログに立ち寄った人に良書を(または悪書を)紹介できるし、後に見返してみて、自分の思索の跡をたどる事さえできるのである。

 本書は、1950年という戦後すぐの時代に書かれた本でありながら、戦争に関する記述がほとんどない。というか、戦後の書物にありがちがちな、陰鬱とした気持ちにさせるという事が、全くない。

 また、この人は、福澤諭吉の影響をうけているからか、物事に対して考え方のバランス感覚が極めて優れていると思う。
 特に、筆者が、マルクス『資本論』に感動を覚え、これを非常に重要視しながら、それでいて、共産主義の学者の抽象論に赴く姿勢を鋭く批判するところは印象深かった。確かに、唯物史観論者あるいは共産主義の学者の特徴として、その著作には、抽象的な記述があまりにも多く、具体的な事に果たして考えが及んでいるのかと思われる事は多々ある。例えば、「生産諸力」とは具体的にはいったい何の事なのだろうか。

 福澤諭吉、慶応義塾に言及していたところなど、もう少し考えた事を書こうと思ったが、あまり時間を使うと億劫になってしまうので、この辺でやめておきたい。短い文でも、このように読度の思索の「跡」を、継続して残していけたらなと思う。
吉田一郎『国マニア』(ちくま文庫、2010)

普段、岩波文庫や講談社学術文庫など割と固めの本を読んでいる身にとっては、このような軽めの本は珍しい。
なお同じ出版社の筑摩書房でも、ちくま学芸文庫なら割合読んではいるのだが。
たまたま古本屋で見かけて、その頃難しい本に苦戦していたために、軽めのものを買ってみたわけだ。
300円前後と安く、まあこのような冒険もわるくないかな、という気持ちで。
表紙には、たくさんの国旗が印刷されていて、そういえば小学生の頃など、世界の国の旗を見ては喜んでいたなあと思い出した事も、購入の淡い動機にはなった。

本書は、「世界の珍国、奇妙な地域」を3、4頁ほどの分量で、時にウィットな批判も交えて解説するというもの。
普通の日本人には、全くなじみの薄い国・地域ばかりである。
今「地域」といったが、これは日本国にとっての地域であって、他国から独立国としての承認がある所も多い。
無論、そのような「地域」が世界にある事は知っていたのだが、これほどまでに多くあるとは知らなかった。

本書は、題名からして、内容が薄っぺらいようにも思える(私だけか?)。
実際、言葉尻はとても学術書などといえるようなものではない。
しかし、内容はよく調べられていて、世界史、現代世界史、経済史など、ある程度の広範な知識背景無しでは、ここまで記述しえなかっただろうと思うのである。

本書では、イギリスの植民地関連の地域・国が多く取り上げられている。
恐らくそれは、筆者自体、返還前後の香港に渡航・在住経験があるためであり、またそれはこのような著書を生み出す契機にもなっているはずである。
本書を読み終えてまず感じたのは、イギリスが、過去にいかに多くの地域に支配を及ぼしたか、そして現在においてもなお、世界中にいかに大きな影響力があるかという事である。
同時に感じたのは、イギリスが如何に自己の都合のいいように、世界を、文字通り搾取してきたのかという事である。
ところで私は、理想を持つ事を大事にしているが、同時に現実主義者の一面もある。
弱いものいじめは好きではないし、また自分自身、弱いものから何かを奪おうなどとは思った事もない。
しかし、現実は、弱いものはいじめられるのであって、それらをすべて根絶できるとも思わないし、しようなどとも思わない。
19世紀の列強による世界の侵食は、致し方ない面もあるのでないかと思ってもいた。
そのように思っていながら、本書を通じて、私は、なお英国が行ってきた搾取の度合いの大きさを感じずにはいられない。
これに関連して思い出すのが、宇沢弘文の『社会的共通資本』(岩波新書)という本であり、確かこんなくだりがあったように記憶している。
筆者が、イギリスの大学に留学中、その大学の講師にならないかという話があったが、筆者は断った。
なぜなら、その大学の運営資金は、植民地時代のいわば搾取が元になっており、現在でも利息が当該旧植民地からあがってくるからというものだった。
その頃の私は、なにをそんなに気にする事があるのかと思ったものだが、今ならなんとなく宇沢の気持ちもわかる気がする。

本書の中で、一番印象に残った地域は、英国領「ピケトニアン諸島」である。
南太平洋に浮かぶ、まさに絶海の孤島の住人の祖先は、もとは、18世紀後半、イギリス軍の指揮から反抗的に離脱した十数人の水兵と、タヒチ島の女性達だという。
つまり、落人の島なのである。
たしか、『今昔物語集』に同じような内容の説話が載っていたと思うのだが、これは現実の話なのである。

書名や出版社に関わらず、慣れていないジャンルの本にも挑戦する大切さを知った事だった(もちろん今までもそうしてはきたのだが、思い直した次第)。
是非一読をお勧めしたい。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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