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以前ふとできた歌を載せます。
まなびぢは さかかぜふかむ あゆまずは
しらざるままに きしかたかへらむ
(学び路は逆風吹かむ歩まずは 知らざるままに来し方返らむ)
○まなびぢ 「みち」は、本来道路の意味の「ち」に接頭語「み」が付いたものです。つまり「まなびぢ」は、学びの道の事です。(たぶん)自分の造語です。
○さかかぜ 逆風の事です。
○きしかた 今まで歩んできた道の事。
これは「ものを考える事」についての歌です。
人によって、物事を考える程度はまちまちです。
ここでの「学ぶ」とは、単に学問や特定分野の知識の修得のみを意味してはいるわけではありません。
特に、自分自身について思索しよりよい人格を目指そうとする試み、それを「学ぶ」と表現しています(抽象的で申し訳ないです)。
人はだいたい思春期に入ると、自分の事を他人との比較の中で深く考えるようになるかと思います。
そういう体験はだいたいどの人もしてきているでしょう。
しかし、思春期を過ぎて、自分自身の事を考え(「学び」)続ける人と、そうでない人とは、はっきりと分かれるように思われます。
後者の人でも、ある時までは自己を研鑽してきたはずです。
興味深いのは、研鑽をやめてしまった時のその性格や価値観(つまり人格といってもいい)が変わらずその後の人生も歩んでいくかと思いきや、私の知る限りそうではなくて、その人格は退化し、子供の時の状態に近づいていくように思うのです。
一方で、自己の研鑽はきりがないもので、色々な経験(特に失敗)をする事で自分の価値観は日々変わります。
私も、高校の時にこの価値観ならば問題ないと感じた時があったのですが、その時から比べると価値観は大きく変わっています。
ですから、自己の研鑽の道=「まなびぢ」は、果てしないけれど、そこにはどうやら逆風が吹いていて、考える事をやめる=「まなびぢ」を歩むのをやめると、知らないままに今まで来た道へ吹き返されてしまう、そのように思うのです。
特に高学歴の人に憂いを覚えます・・・。
大学に入るまでは人並み以上に勉学に励んだでしょうから、自己についてよく考えてきたものでしょう。
しかし、入学するや、知識の習得のみに専念し、考える事をやまてしまう方は世の中に少なくないように思います。
つまり、「いい大学に入った、よかった〜」という思いで四年間過ごすと、その後のその方の人格的な成長はなかなか見込めないように感じます。
せっかくの「考える」力も、これでは宝の持ち腐れではあるまいかと、そう思います。
わかりにくい文章で申し訳ありません。
最後まで読んでいただいてありがとう御座いました。
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先日奈良明日香村に遊びに行ったときの歌をアップします。
まずは欽明天皇陵です。
欽明天皇陵をみて、
あおぎやれば やまかともみゆる ちかくれば
たかぎしげしき すめらみささぎ (仰ぎやれば山かとも見ゆる近来れば 高木繁しき皇陵) ○みゆる 「見ゆ」の連体形。本来終止形のところ、係り結びで連体形としています。しかし、この場合係り結びは発生しないかもしれません。 ○しげしき 繁茂しているという意味の「しげし」の連体形。 ○すめらみささぎ 天皇陵の事。スメラは「天皇」+「の」という意味です。「すめらぎの」としようとも考えましたが、字余りを考えてこうしました。 飛鳥は幾重にも連なる山に囲まれた盆地です。
欽明天皇陵を目指している時、遠くを見ると最初これは山かと思いました。 しかし近くに寄ると、それは木々の生い茂る大きな前方後円墳の天皇陵である事がわかりました。 そのような感動を歌にしました。 次は、ホトトギスについてです。
わがために あらぬとはしる ほととぎす
ききてやまざる このみみをゆるせ (我が為にあらぬとは知るほととぎす 聞きて止まざるこの耳を許せ) ○ききてやまざる ほととぎすが鳴く度に耳をそばだてて聞かずにはおられない ○このみみ 私自身の耳の事です。 飛鳥の里を歩いていると、どこからともなくホトトギスの声が聞こえてきます。
それは当然私のためではなくて、求愛(?)のためか何かでしょう。 しかし美しい鳴き声に、耳を傾けずにはおられなかったのです。 別に私が聞いていたとしてもホトトギスは文句は言わないと思いますが、いちよう聞くことは許してくれよと、歌には詠んでみました。 しかしながら・・・・・・、もしかした私が聞いたのはホトトギスではなくてウグイスだったかもしれません・・! その場合、「ほととぎす」→「うぐいすよ」と訂正したいと思います。 次は岡寺です。
(本堂)
(三重塔、横向きですが・・・)
(三重塔下からの展望)
岡寺の三重塔下からの展望が見事で、
おかでらに とよあきつしま ながむれば
とほきすめらぎの ここちやしられん (岡寺に豊秋津島眺むれば 遠き天皇の心地や知られん) ○豊秋津島 大和国。広義には日本国を示す。古事記等に出てくる古い言い方です。 ○とほき 遠い昔の「遠い」。つまり何十代も前の。 ○すめらぎ 天皇。 非常に風光明媚な場所で、昔の天皇の「国見」はこんなものだったのではないかと思って詠んでみました。
もう一首。 とほみれば さやけきあおも うすまりて
かすみをくわえ やまぎわにきゆ (遠見ればさやけき青も薄まりて 霞を加え山際に消ゆ) ○とおみれば 遠くをみる事。辞書には載ってませんで、私の造語です。もっと適当な言葉はあるかもしれません。しかし、中世の和歌人達にも通じるでしょう・・・。 ○さやけきあお はっきりとした青。 もう新緑の季節はやや時期はずれかもしれませんが、近くで見える青葉の青(緑色)は、岡寺から遠くに目を移すに従って青色もあせていき、霞が加わってシロっぽくなり、最後には遠くの山際辺りで緑色も消えてしまいます(写真)。
そのような事を詠んで見ました。 さて、次は橿原神宮です。 西日さす夕方頃、閉門の時間ぎりぎりに拝殿で参拝した時にできた短歌です。 あまてらす にしひをうけて いやひかる
こがねまとへる ちぎのきっさき(きりさき) (天照西日を受けていや光る 金纏へる千木の切先) ○あまてらすにしひをうけて 下記説明参照。 ○いや より一層。ますます。 ○こがねまとへる 千木の先端が金加工してある事をさします。 ○ちぎ 神社建築における屋根の突き出し部分。 ○きっさき 刀の先端部分の事ですが、ここではするどく立派な千木を鋭利な刀になぞらえて、金加工されている千木の先端部分をさします。 さて、橿原神宮は、明治期に創建された比較的新しい神社ですが、祭神は初代天皇と日本書紀・古事記に記されている神武天皇です。
神武天皇は、天照大神の子孫です(そういう事になっています)。 ちなみに上代においては、皇太子の事を「日継の皇子(ひつぎのみこ)」といいました。 すなわち、簡単に言ってしまえば、「日の神」=アマテラスの日本国を統治せよという命を「継承」する皇子という意味です。 このように考えた時、歌の「あまてらす にしひをうけて」に、二つの意味を持たせて詠みました。 一つは、「あまてらす」を無視して、ただ「西日に当たっている」という意味。 もう一つは、アマテラスの日本を統治せよという命を「受けた」神武天皇という意味を含ませています。 さて、写真でわかると思いますが、拝殿からはさらに奥に拝殿があって奥の本殿はよく見えないのですが、かろうじて(設計上そういうふうになっているんだとおもいますが)本殿の千木だけはわずかに見え、本殿の大きさを想像させます。 その千木には金加工がしてあって、西日が当たってとてもきれいに見えました。 その時の感動を歌にしました。 故事を含ませて詠んでみましたが、ただ・・・・、この歌ちょっと無理があるかもしれません。
なお、このブログは「自作和歌」等のブログと銘打って更新しているのですが、「和歌」といってもその語義の指す範囲は広いです。 どうような和歌を読むのか明示していませんでしたので、ここで申しておきます。 私が主に目指しているのは、古今和歌集等の勅撰和歌集に出てくる古代・中世の短歌です。 すなわち、基本的には和語のみを用いて(やむをえず音読みをする場合もありますが)、古文法に拠ります。 ですから擬古文になります。 そういう事でこれからもよろしくお願いいたします。 最後まで読んで頂いてありがとうございました。
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熱田神宮に詣でた時にできた歌です。
ひびきゆけ わがかしわでよ みつえなる
たまがきこえて みつるぎのもとへ
(響き行け我が拍手よ三重なる 玉垣越えて御剣の元へ)
○かしわで 神社の参拝の時の拍手。
○みつえ 三重にまわりをとりかこんだ。
はっきりとは見えませんが、三重に白木の垣根が取り囲んでいたようでした。
○たまがき 玉のような美しい垣根。神社の垣を指す事が多いです。
○みつるぎ 熱田神宮の祭神の依代(よりしろ)は、草薙の剣です。
熱田神宮は、参拝できる場所から本殿まで、割と距離があります。
ですから、心なしか私の拍手も強く成らざるを得なかったのですが、その事を歌に詠んでみたというわけです。
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時々昔仲がよかった人を思い出す事があります。
最近できた歌二首。
うつしよに さやかにきみと すごししに
やとせはながれ ゆめともおぼゆる
(うつし世にさやかに君と過ごししに 八年は流れ夢とも思ゆる)
なにおもひ いましこのとき なにをせむ
しるわざなけれど さちやあれきみ
(何思ひ今しこの時何をせむ 知るわざ無けれど幸やあれ君)
今後ともこのブログを続ける事ができたらと思います。
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週末に更新したいと思っているのですが、週が明けてしまうとなかなか更新できません。
これからは極力一週間に一回は更新できればと思います。
短いですが、今日の日中できた一首を紹介致します。
以前と同じくまたもやアジサイの歌です。
あじきなき つちにしおうる あじさいは
いずこよりえて あまたいろそむ
(味気無き土にし生うるアジサイは 何処より得て数多色染む)
○あじきなき 現在の味気ないと同様、面白くないという意味。
○し 強意の助詞「し」。
アジサイは味気ない単色の土に植わっているのに、花を咲かせば、いったいどこから持ってきたのか、あまたの色に染まっている。
そのような感動を歌にしました。
最近奈良に旅行に行きましたが、早いうちにその時の事を更新できればと思います。
最後まで読んでいただきありがとう御座いました。
今週もがんばりましょう。
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