ある古典(論語)を読んで感動した時にできた歌です。
ふるぶみを よみてしりつる ことわりに
おさえがたくも なみだただおつ
(古文を読みて知りつる理に 抑えがたくも涙ただ落つ)
○ふるぶみ 古典の事です。
いにしへも いまもかわらぬ ことわりの
あればぞのこれる ものとこそしれ
(古も今も変わらぬ理の 有ればぞ残れる物とこそ知れ)
先日終電間際の首都圏から下りの電車で論語を読んでいました。
乗られた事のある方はわかると思いますが、かなり混雑した車内に遊びつかれた若者(自分もその一人ではありますが)が遊びの時のテンションそのままに群れていて(それについては別段不快な気持ちはないですが)、なんと言いますか、かなり無秩序な状態になっているわけです。
そのような車内で私は一人論語を読み、周りも騒々しさもあまり苦にならず、一文一句にひどく感動しました。
そして目的の駅に着いた時、思わず上の一句目のような状況になってしまったというわけです。
論語に限らずこういう体験はあるのでしょうか? 自分だけでしょうか?
私は周りの影響で、ようやく壮年になって論語を読み始めたのですが、もう少し前から読みたかったなという思いと、しかしながら今になってようやく論語を理解できる程に心が成長したのかもしれないとも思います。
論語を読んだ事のある方は、初めて読んだときどのような事を感じましたでしょうか。
さて、私の友人に感動を伝えて薦めてみると、彼はすでに高校生の時から論語を読んでいたそうです。
その友人はとても頭がよいのですが、いつもへらへらしていて、決して自分の知識が豊富な事や頭がよい事を自慢しません。
かといってあえて自分を隠しているわけではないのです。
つまりただ謙虚という評価だけでは彼を推し量れません。
当然私は彼が論語を読んでいたなどとは知りもしなかったです。
私は、高校生の時には、別に読もうもしませんでしたし、読んでみてもさすがに理解はできなかったろうと思います。
この意味で友人と自分には10年単位で時間差があるといえるのですが、それでも私は彼に少しでも追いつけた事がうれしく思います。
また、この古典が2000年以上残されてきた意味を知る事ができて、とてもうれしいです。
なお私は彼からどれほどの事を学んだかわかりません。
そんな事を思いつつ一首。
きみなくば おきつこじまの ふかいどの
みあみにあそぶ かはずならまし
(君なくば沖つ小島の深井戸の 水浴に遊ぶ蛙ならまし)
○おきつ 沖の、という意味です。「つ」は、「の」の古い用法です。
○ふかいど 深い井戸の事です。とりあえず自分の造語です。
○みあみ 水あみの事。
○かはず 蛙。
ことわざ「井の中のかわず」をただ歌にしただけのものです。
こんな事は本人の前では言えないですけども、匿名性が保たれているブログというものはいいですね。
(ただfacebookやtwitterでは個人情報は明らかに漏れているように思います)
最後まで読んでいただいてありがとう御座いました。